「あの、貴方、もしかして、円堂守さんじゃないですか……!」
雷門イレブンサッカー部のの監督に就任して数日。変わり果てた雷門の校舎で、無様にも迷っていた俺に声をかけてきた女性がいた。
いや、正しく言えば女性と少女の狭間に漂っているような、不思議な女の子だった。
声に振り返れば、服から覗く折れそうな程華奢な体躯に、しなやかな筋肉を乗せて、にっこりと優雅に微笑んでいる。身に纏うジャージがなんともアンバランスだ。
その子は、俺が中学2年生の時の体育の担当、『神崎先生』の娘で、綺凛と言うらしい。色濃いサッカーの思い出に紛れた朧げな記憶を辿っていくと、なるほど、目元とか、輪郭とか、似通った部分がある気がする。因みに、大のサッカーファンで、俺より4つも下らしい。
「父が、貴方のことをよく話してくれたんです。明るくて、周りを惹きつける、すごいキーパーだって」
昔の試合も、海外での試合も全部見ました、ファンなんです。そういって彼女は儚く笑う。つられて俺も、そうか、ありがとな!と笑みを向けた。
「円堂さんはどうして雷門へ?」
「ああ、雷門の監督を任されてさ!」
「サッカー部の…!最近不穏な感じですけど、貴方が来てくれたなら大丈夫ですね!」
「あ、なぁ、ここからサッカー棟ってどうやって行けばいいんだ?」
「ふふ、案内しますよ」
「本当か?!ありがとな綺凛!」
そう言うと、宝石みたいに綺麗な瞳が、大きく見開かれて、すっと優しく細まった。色白の頬に、僅かに緋色が混ざったのが、ひどく印象的な出会い方だった。
二回目に彼女と出会ったのは、シトシトと物悲しげな音を奏でる雨の日。体育館に、トレーニングに使うための備品を借りに来た時だった。部活が始まる、少し前だったと思う。
ーーー彼女は踊っていた。
体育館の中というシチュエーションに、これまた似合わないオーケストラの重厚な音。
その音楽と一体となって踊る彼女の姿。
惹きこまれた、魅せられたーー!
綺凛だけが、浮世から切り取られている。
ただ呆然と彼女を見つめながら、そういえば大学に通いながら、新体操部に週に一回、バレエを教えているんだ、と音無が話していたのを思い出した。
大のサッカーバカである俺は、芸術とかそういった類のものには一切興味を示したことがなく、当然初めてバレエを踊る姿なんてみた訳だが。
切なげな表情と、全身の動き…すべてから感情が伝わってくる。彼女が腕を動かす度、羽根が舞い散る様と錯覚し、着ているジャージは、それこそ違ったものに見えた。硬そうな靴を履き、爪先立ちで音を刻む様に人間離れしたものを見た。
「すっげぇ……すごいな、綺凛!!」
音楽がプツリと途切れた瞬間、思わず手を叩いていた。綺凛は驚いたのか、ぽかんとした表情を浮かべてから顔を真っ赤にした。
「え、円堂さん!?いつからそこに!?」
「んー、ちょっと前かな!それよりスッゲーな綺凛!俺バレエなんて見たことなかったけど、スッゲー感動した!」
感極まって彼女の手を握ると、彼女は顔をさらに赤くして目を逸らす。
「綺凛?どうした?もしかして嫌だったか……?」
「いえ……その違うんです、う、嬉しくて……」
俺は言葉をあまり知らない。いい表現なんて知らないし、飾って綺麗に話すことなんてできない。だから、とてもありがちで、陳腐な言葉になってしまう。
この時の綺凛の笑顔は、最高に綺麗で、可愛いと思った。
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フィフスセクターが解散した。打ち上げと称して音無が企画した小さな飲み会に引き摺られるようにして彼女は現れた。2人ともサッカー好きということもあってか、仲がとても良いらしい。
集まったのは俺、鬼道、音無、綺凛。立向居や豪炎寺、風丸や不動たちも誘ったらしいが、都合がつかなかったらしい。そこで、圧倒的に足りない人数の代わりに急遽連れられて来たのが綺凛だった、というわけだ。
「すまないな……春奈が強引で」
「いえいえとんでもない!春奈さんにはいつもお世話になっていますし、天才ゲームメイカーの鬼道有人さんと話すことができてとても光栄です!」
「ねぇ兄さん!綺凛ちゃん凄く可愛いでしょ?お嫁さんにどう?」
「春奈……お前……」
「まぁまぁ!今日は楽しくいこーぜ!フィフスセクターの解散を祝して!」
乾杯!鳴り響いたグラスがかち合う音に、今抱いたモヤモヤが吹き飛ぶような気がした。
ーーあれ、俺、何に苛立ってるんだ……?
やがて音無が酔い潰れて、鬼道が家まで送って行くことになった。音無もああ見えて、かなりのストレスを溜め込んでいたらしいと見える。無理をさせてしまったな、と思うと同時に、感謝の念が湧き上がった。
「すまない円堂……金は後で返すから」
「あー!いいっていいって!鬼道にいっぱい迷惑かけちまったし…だから今日は俺の奢り!気にすんなって」
「ありがとう円堂、お前も遅くなりすぎるなよ、奥さんが待ってるんだからな」
「おう!」
鬼道にひらひらと手を振って、横ですっかりお酒にやられてしまった綺凛を見た。
「おつかれさまでーす……」
「お前大丈夫か?相当酔ってるだろ、帰るか?」
「うふふ、大丈夫れすよう……円堂さんと飲み会なんてなかなかできないし…」
ふらっと意識が飛んだのか、こちらに倒れこんで来る名前。慌てて抱き留めるが、その瞬間にハッとしたように綺凛は起き上がる。
「うわぁぁ!?すいません!わ、私なんてこと……」
「き、気にすんなよ!それより大丈夫なのか?帰ったほうが…」
気にしているのは俺の方だと思う。今なら酒のせいだと言い訳できるが、この顔の熱は間違いなく酒の所為などではない。華奢な肩だとか、色白の肌だとか。ほんのり色付いた頬や、やけに扇情的に映る唇だとか。これはマズいなあ、と脳裏にこびりつくそれらに対して、ぼんやり思う。
「…やです、私、帰りたくない…」
そのぼそりと呟かれた言葉さえ、曲解してしまう。今の俺を焚きつけるものでしかなくなって、ドロドロに溶かしてしまう。マズい、何かがマズい。
「なあ、綺凛……お前……」
またハッとしたように綺凛は目を見開いた。そしてさっと顔を青ざめさせる。そして、突然ボロボロと泣き出してしまった。頬を滑る涙に、脳がマズいと警鐘を鳴らす。
このままじゃ、俺は。
「な、なーんて嘘です、奥さんいるんですよね、早く帰ったほうが……」
「お前……何泣いてるんだ……?」
「……奥さん、いたんですね…知らなかった…」
バカだなあ、と自嘲し、痛々しく笑う彼女に、ついに抑えがきかなくなった。
「なあ…綺凛、俺のこと、好きか?」
「……ッ、」
夏未の顔が頭をよぎる。それを振り払ってまでも、手を伸ばしてしまう。
はい、と小さく聞こえた声が、始まりの合図だった。
(2016.3.4)
一年前に書き始めて放置していた円堂さん。高校の時の友人の話がモチーフというどうでもいい補足。[ 9/9 ]