「本当にいつまでたってもかわいくないな、お前は。一応年頃の女なんだろう」
いつもの軽口のつもりで放たれた言葉だったのだろう。
呆れた笑みを、その整った顔に乗せて。
だが、その言葉は今の私を抉るのに十分過ぎた。
言葉は時に、どんな鋭利な刃物よりも深く、消えない傷を残すものだ。
10年以上の付き合い、同じ部活。数年前から抱いていたほのかな恋心が、刹那のうちに断ち切られた気がした。
「…そう、だよね」
「…綺凛?」
「一人で帰る。今までごめんね」
制止の声があったのかさえ分からなかった。私の脳内は既にぐちゃぐちゃにとけて、混ざって。渦巻く感情が、目の端を伝って流れ落ちた。
ああそうだ。彼は以前から何度もその言葉を口にしていたではないか。
息も絶え絶えでたどり着いた家の前で、柄に似合わず静かに泣いた。
"神崎さんってさ、本当に男らしいよね"
"サッカーばっかりやってさ、かっこいいっていうか、かわいくないっていうか"
"わかるー、豪炎寺くんの隣に立つには華々しさが欠けるっていうか?"
"そうそう!女子力ゼロ!!"
"なんで豪炎寺くんも一緒にいるんだろうね"
キャハハ、という甲高いノイズが、ドロドロの脳内に反響する。頭の中をせわしなく駆け回る声達と、呼応するように鳴く携帯の電源を、画面も見ずに落とした。
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「鬼道!」
珍しく顔を歪めた豪炎寺くんが、これまた珍しく荒々しく部室のドアを開けた。
「どうした豪炎寺、お前が慌てるなんて珍しいな」
「いや、それが…」
椅子に座る鬼道くんが、ちょっと青ざめるのも頷ける。キッ!と気迫を漂わせていた豪炎寺くんが、突然落ち込んだような表情を見せたのだから。感情の変化に乏しい彼が、ここまで落ち込むなんて。
今日は珍しいことだらけだ。
そして、もう一つ珍しいことが。私は何の躊躇もなくその疑問を口に出す。
「あれ、豪炎寺くん、綺凛ちゃんは?一緒じゃないの?」
「…木野…いや…ああ…」
「豪炎寺、落ち着け、ゆっくり説明しろ」
鬼道くんのゴーグルが、キラリと輝く。多分あのフィルターの奥の緋色の瞳は、面白そうに、三日月型に歪んでいるのだろう。
今日はみんなの、年相応の反応が見られて嬉しいなあ。皆、一度フィールドの上に立つと、大人達顔負けの凛々しさと熱意にあふれているんだもの。
ふふ、と穏やかに笑みをたたえていると、豪炎寺くんは唐突に爆弾を着火させた。
「…綺凛に、今までごめんね、と言われた。それ以来連絡がついていない」
「……」
流石に、私も、鬼道くんも絶句してしまった。暑苦しいはずの部室内が、一気にひんやりとした冷気を纏った錯覚さえ覚える。
それほどまでに、豪炎寺くんは真剣だった。
「…今までこんなことは無かった、10年間一緒に過ごして来て、泣いたところも初めて見た」
俺はどうすればいい、という豪炎寺くんの声は震えていて、見ているこちらまで虚しさに襲われる。
鬼道くんも、豪炎寺くんの言葉に答えあぐねているようだった。それもそうだろう、ここまで冷静さを欠いた彼は初めて見る。雷門に来た時だって、彼は極めて冷静で、その当時は、冷徹だった。
「…豪炎寺、お前神崎に何かしたのーーーー」
か、と言葉が続くはずだったのだろう。
ガラリ、とドアが開く音さえしなければ。曇天を背に受けて立つのは、話題の中心人物である、綺凛ちゃんだった。
「…あれ、みんなどったの?辛気臭い顔しちゃって」
「…神崎…お前…」
「え、ちょっと、鬼道が暗い顔するなんて似合わないよ!あれ、秋までどうしたの、私入っちゃダメだった?」
明るくハキハキと喋る綺凛ちゃん。
円堂くんが、女の子だったらこんな感じなんだろうなってぐらい、明るくて、サッカーが大好きで。
なのに、今日の彼女は、虚勢を張って喋っているようにしか見えない。
明るさという鍍金が、ボロボロと今にも剥がれてきそうな位、その裏の感情が見え隠れしている。
現にーーー
「…綺凛」
振り絞った様な、声が響いた。
綺凛ちゃんは、鬼道くんから、視線を動かさなかった。
長いような、短い間の後、俯いた彼女。
影になって、表情は、よく、見えない。
「………なん、ですか、豪炎寺くん」
その言葉は、私達に大きな衝撃を与えた。
豪炎寺くんに至っては、もう、見るに耐えない悲痛な顔をしている。
きっと、衝撃よりも、絶望の方が勝っているのであろうそんな顔。
おかしい。
あんなに、一言二言目には、修也修也、と、くっ付いて笑顔を振りまいていた綺凛ちゃんが。
おかしい。
豪炎寺くんに目も合わせないなんて。
その上、名字呼びと来た。
「ごめん、今日部活休む、キャプテンに言っといて秋」
「う、うん…」
「…じゃあ、私はこれで」
「………綺凛っ!!」
「ごめんなさい!」
バタン、と無慈悲にも閉じられた扉を見つめて、豪炎寺くんの漆黒の瞳は輝きの色を無くした。
「…豪炎寺」
「…俺は何もしていない、はずだ…ただいつも通り一緒に帰っていたら、突然、こう、なった」
「豪炎寺くん……」
鬼道くんが顎の下に手を添えて考え込む。そして、ふと何か思いついたかのように、神妙な表情のまま顔を上げた。
「…突然と言ったな」
「…あ、あ。いつもの通り軽口叩きあって帰っていた…あ」
「あ?」
「…いや、関係ないか……」
「どうした言ってみろ」
意外と答えは身近なところに隠れているもんだ、と落ち着いた声が響く。
「…可愛くないな、とは言った…が、アレは前から言っているし…」
「木野」
「…鬼道くん」
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ハァ、ハァ、と白い息と共に、己の無力さを吐き出した。
何だ、俺はいつから国語が苦手になったんだ。こんなにも簡単な問いにさえ答えられないなんて。
『女の子の心はね、脆いの』
私だって円堂くんに同じこと言われたら、泣いちゃうなあ、と言った木野の顔は、アイツの表情と酷似していて。
『だって、気がある男の子にそんなこと言われちゃったら、意識してないって言われてるのと同意義だと思っちゃう』
言葉を反芻し、ぎゅっと胸を掴まれるような錯覚に陥った。
木野の言葉の裏を返せば。
ーーーアイツは俺に、恋心に近しいものを抱いている、そういうことなのか?
足は緩やかにブレーキをかける。
体を動かすことしか頭になくて、男女分け隔てなく皆を愛し、笑顔を振りまく、綺凛が、俺を。家族という地位を除いて、特別な地位に、俺を?
真偽なんて分からない。
しかし、昔よりも周りを見渡すことが出来るようになった彼女の目は、確実に心に亀裂を齎すようになったのだろう。
無知が故に幸せだったあの頃とは違い、繊細になった彼女に、俺は弾丸を容赦無く放った。
それだけは、違えようのない真実だ。
「……っは」
自嘲の笑みが零れ落ちた。
どうすれば、彼女の涙を拭う手が差し伸べられるのだろう。
振り払われる、その前に。
鉄橋の下に見つけた、小さな背。
かける言葉さえ、カラカラに乾いた喉は生み出せない。
(2015.11.30).
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