カシャン、
表現するならこの音が一番妥当だろうか。
カシャン、カシャン。
指が、屋上のフェンスをならす。
金網の隙間から下を覗く。
見えるのは、幼馴染の姿だった。
グラウンドを疾駆するその姿。
敵チームからボールを奪い、炎を撒き散らし、飛び上がる。
ボールが、ゴールに突き刺さる。
点が入る。
無敵の天才ストライカー。
それは、昔と変わっていないはずなのに。
刹那、上がった黄色い歓声。
「……遠い」
遠いよ修也。その言葉は、声に掻き消され、風に靡き、土煙に巻かれた。
私達の間は、それぐらい遠い。
金網を乗り越え、そこを飛び降りても、きっと君には届かないのだろう。
修也。修也くん。豪炎寺。
どんどんと退化していく呼び名は、私達の関係を体現している。
隣に並び、一緒にボールを追いかけた日々は、彼の中で風化し、忘れ去られているのだろう。
なのに、私は昔の思い出を引きずったまま、燻る熱を忘れられないでいる。
彼は歩く。走って、遠い所まで行ってしまっているのに、私は一歩も進めずに、後ろを振り返って立ち尽くしているんだ。
滴る涙が、コンクリートの床に、シミをつくった。
空が翳って、点々と、着々とシミを増やしていく。
突然の豪雨に為す術もなく、フェンスに頭を預けた。
虚しさと、気だるさと、全てが羽交い混ぜになって、動く気を削いでくる。
風邪を引くだろうか、頭の隅でそんな事を考えた。
カシャン。
凭れかかった拍子に、音がなる。
ズルズルと床にへたり込んで、制服が濡れる様をぼうっと眺めていた。
「なに、してるんだ」
ザザザ。
雨がひっきりなしに叫ぶ音の中を、その声は閃光の如く貫いた。
屋上の扉の方に首を回す。
「しゅ……っ……豪、炎寺…」
雨を気にせず、彼は私の方へ歩み寄る。
なにが、どうなってるのか、冷水に打たれた頭では、さっぱり分からない。
「綺凛」
「…どうしたの、練習は?」
「何、してる」
眉間に刻まれた二本の皺は、私を責め立てているようだった。何となく、それが、怖い。
昔よりも鋭くなった眼光に、焼かれそうになる。
言葉は減った。その分、光は強く、鋭利になった。
カシャン、
身じろぎした瞬間に、再び音がなる。
「綺凛」
「……………」
「どうして、俺を避ける」
「……避けてなんか」
無い、とは言えなかった。
私が転校してきた学校に、修也が居たのは驚きだった。
小学校以来の再会だった。
単純に嬉しかったし、幼心に抱いていた恋心を呼び覚まし、加速させるのには充分だった。
名前を呼ぼうとした。
「豪炎寺くんと知り合いなの?」
目を見ようとした。
「豪炎寺くんって、かっこいいよね!」
そうだよ!かっこいいでしょう?
素直にそんな言葉を言えるほど、私は幼くなくて。
無作為に修也の周りに溝を掘って、遠いなんて嘆いてみせた。
彼は、私の名前を呼ぶ。
私は、彼の名字を呼ぶ。
ーーー変わったのは、どちらだったか。
その証拠に、彼はこちらを振り向き、歩み寄ってくれたではないか。
「……入ろう」
差し出されたその手をとるのを、一瞬だけ躊躇ってしまう。
重ねた手は、ひんやりとしていた。
「……ねえ」
「…どうした」
「昔みたいに、名前で呼んでも…いいかな」
「…ああ」
目を、久々に合わせた。
私も、寂しかったんだ、ごめん。
語るように、視線に全てを込める。
その瞬間、くしゃりと浮かべられた笑みに、ぎゅっと手を握り返した。
金網で隔てられていたんじゃない。私達は、本当はずっと、手を伸ばせば届く位置に居たのに。
私がフェンスの向こうの幻影を追っていて、それに気付けなかっただけなんだ。
「ねえ修也、好きだよ」
ほら、声だって、こんなに簡単に届いてしまう。
(2015.11.2)
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