クリアベール。
その名の通り、清涼な空気に包まれた、小綺麗な町だった。
町娘達が盛んにお喋りを交わし、熱っぽく語り合っている。
外に蔓延る悪のことなど、一欠片も感じさせないぐらいの、のどかな町。
「ねぇっ!あなたみた?銀髪の剣士様!」
「見た見た!凄くかっこよかったよねー!ドキドキしちゃうー!同い年位だったのに凄くクールで…!また会えるかしら?」
「暫くこの町を拠点に活動するって言ってたから、また会えるわよっ!」
えー!?アンタあの剣士様と喋ったっていうの!?などと娘達が忙しなく会話しているのを尻目に、ステラは涙目になっていた。
「……どうして誰も気付いてくれないんだ…」
ーーー
遡ること数時間前。
クリアベールにボロボロになりながら辿り着いたステラは、町の入り口に立って、まずはうーん、と伸びをした。度重なる戦闘でバキバキになった体を解す。
綺麗な町…。アバウトな感想が頭の中で弾ける。
すると、そこへ金色の髪をした村娘が通りかかったので、宿屋の場所を尋ねようと口を開いた。
「…あの、すいませ…」
「……?」
あろうことか村娘は返事をせず、不思議そうに辺りを見渡した。
まるで、自分など見えていないというように。
「あら、気のせいかしら。誰かの声が聞こえた気がするんだけど」
可愛らしく小首を傾げ、疲れているのかもなぁ、などとひとりごちると、そのままスタスタと行ってしまう。
ステラは町の入り口に、一人ポツンと残されてしまった。
「………何だろう、新手の嫌がらせとか?」
頭を過ぎった恐ろしい想像を掻き消すように、一人納得した。
そうだ。あの町娘の性格が悪かったんだ。
うんうん、と頷いていると、背後からどんっ、と鈍い衝撃があった。
「おわっ!」
「…きゃっ!?あら、ごめんなさ…って、誰も居ないじゃないの。」
「なんだ?どうしたんだ?」
「おかしいわねぇ、確かに今、何かに当たった気がしたんだけど」
「おいおい、冗談はやめてくれよ」
衝撃を与えた女と、その連れの男の方を弾かれたように振り返る。
「ぼ、僕はここに…」
しかし、至近距離に立つ女の瞳には、自分のことなど微塵も映っていない様子だった。
試しに女の前で両手を振り回し、大声で叫んでみたが、瞳は一向に自分を捉えることがない。
そのうち、先程の娘と同じように、口論しながら二人で歩き出してしまった。
ーーー嘘だと、いってよ…こんなことってありえない…
認めざるをえなくなってしまった。
自分が人に『認識されていない』、ということをーー。
その後、宿屋を自力で見つけ出し、女将に念の為声をかけてみたが、結果は変わらなかった。
宿屋を出て、町の隅で村娘達のたわいないお喋りに耳を傾けながら、今の今まで過ごしてしまっていた。
募る不安と絶望感。
思い当たる節は幾つかあった。
1つは階段のようなところから転げ落ちた時、本当は命を失っていて、ここに存在する自分は、幽霊なんじゃ…2つ目は、夢をみてるだけとか。だが、意識と感覚はあまりにもはっきりしすぎて、夢と言うには鮮明すぎた。
夢じゃないなら…
もしくは…
「…別の世界にいる…?とか…」
昔、マザー・ベルタに聞いた『幻の大地』のことを咄嗟に思い出して首を振る。自分達が住んでいた世界とは異なる、もう一つのセカイの話。
違う。あの時、御伽噺だって笑ったのは自分じゃないか。
今だって、今だって…?
「…とにかく、一度もどろう…」
鉛のように重く、錆び付いた足を懸命に動かし、階段があった場所まで戻ることを決めた。
数刻後。
「…来る時こんな森の中なんて…通ったっけ…」
夜の帳が下り、星々が瞬く中、ステラはひとりごちた。
迷った。完全に迷った。
苦笑の色を顔に浮かべ、はは、と自嘲気味に笑う。
現在地、さわさわゆれる樹海の中。
それしか景色から得られる情報は、ない。
どうしてこう、自分はついてないのだろうか。
階段を落ちてから魔物には遭遇していなかったが、度重なる戦闘と、長距離を歩いたせいで、ただでさえ疲労困憊しているというのに。
休まる場所もない、誰にも見てもらえない、更に、見ず知らずの土地で迷う。
肉体的にも、精神的にもピークが迫っていた。
「僕に…どうしろっていうんだ…神様…」
教会で育ち、毎日祈りを捧げ、信仰深く生きてきたつもりだ。なのに目の前に拡がるのは闇ばかり。
別に見返りを求めてそうしてきた訳じゃないが、あまりにも酷、というものではないのか。
ハァ、とため息をついたところで、シスターの聖母のような微笑を思い出す。
『神は乗り越えられない試練はお与えになりません』
「…そうだよね…何バカなことを考えているんだ…僕は…」
どこか投げやりになっていた心を修復し、木の根元に座り込んだ。来た道が分からなくなる程真っ暗になっていたので、ここで夜を明かそう、とシスターお手製のマントに身を沈めた。夜の森を不用意に歩き回ると命取りになりかねないのだから。
ーーーー
バサバサ、ギィギィ!
不快なノイズが耳に入り、そっと瞼を持ち上げる。マントから外をちらりと伺えば、日はのぼっていなかったが、周りが見通せる程には明るくなっていた。
もう一度眠ってしまいたかったが、雑音の発信源を探す。
あれは…イービルフライか…。
群れを成したこれまた飛行型の魔物が、3m程離れたところを横断していた。包まっていたマントと肩に羽織り、立ち上がる。仮眠しかとっていない体は未だ重い。
どうせ透明人間の僕は見つかりっこないのだから、とやり過ごすことも出来た、が。
先手を打てる優位な状況なのだから、人に被害を加える魔物は始末するに限る。どこか変なところで正義心の強いステラはレイピアの柄をぐっと握り、イービルフライにゆっくり、ゆっくりと近付いていった。
のだが。
「…ギィ?」
「…なっ」
突然、群れの中の一匹が此方を見据えたーーように思った。
否。赤い目の先は、映らない筈の自分を確実に捉えている。
「ギイイイイ!!」
そして、凄まじい鳴き声を上げると、群れの仲間が呼応するように、一斉に此方を向く。
出来れば魔物に見つけて貰いたくなんて無かったのだけれど。
「見つけてくれて、ありがとう」
ニヤリ、と蒼い目を細めて笑う。
数から考えて、先程とは状況は一転している。明らかにステラの方がが不利だ。
だが、魔物の目に映るということは、自分はココに存在している、ということ。
もしかすると、まだ、人の目に映る可能性が残されているのかもしれない…!
そのことが、どうしようもなく嬉しくて、風を裂き、群れへ突っ込んだ。
とはいえ、不利な状況は変わっておらず。
威勢が良かったのも最初だけ。
数匹落としたところで、疲れが顔を出し始める。
充分に休息が取れていないため、剣捌きも快調とは言えない。
更に、守備力を低下させる呪文や、頭がクラクラする変な踊りをみせられたものだから、たまったもんじゃない。
そうして出来た、一瞬の隙を突かれ、利き手の左手首を、敵の攻撃が直撃した。
咄嗟にレイピアを取り落とす。
尚も命の灯火を消そうと執拗に追ってくる嘴は、次に腹を裂こうとした。
急所は外したものの、下腹部には鋭い噛み跡。
身を焼く程の痛み。
真紅の薔薇の如く咲き誇る鮮血。
力が抜け、悲鳴を上げそうになるのを押さえ込んで、地面に倒れこんだ。
「…うっぁ…」
流れ出した緋が土に染み込む。
群れの中の一匹が、倒れた自分にとどめを刺そうと、空中を旋回する姿が、ヤケにスローモーションに見えた。
ああ、これが走馬灯って奴かな…
ーーーシスター…ごめんね…
勢いをつけるためだろうか、敵が一旦頭上から左にずれた。
その時だった。
凄まじい断末魔と共に、魔物が墜落したのは。
墜落した魔物の側にに、一人の少年が立っていた。
星のように鈍く輝く銀髪に、切れ長の紫群青の瞳。青い服と、お揃いの青い帽子。細身の体と整った顔立ちをしている。
そして、手に持つは、一振りの剣。
彼の瞳は一寸先の群れを捉えた。
そして、手に持つ剣を振りかざすと、天が轟き、群れに落雷が降り注いだ。
そして、生き残った魔物の元へ疾駆すると、目にも止まらない速さで斬りつける。
剣先が、青い閃光を描く。
その美しい横顔には、なんの表情も張り付いていないように見えた。
敵を一掃し、目を閉じ、静かに十字を切る。
ーーーーそうか、町の女の子が話していたのは…
黙祷を終えた少年が、鞘に剣をパチリと収めてから、此方を振り返った。
思わず、痛みを我慢して、自由の効く右肘で上半身を起こす。
少年が、髪と同じ色の眉を顰めて、口を開く。
その、紫水晶の様に澄んだ瞳と、ステラの蒼い瞳が、かちあった。
「…そこに、誰かいるのか?」
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