彼女の目が苦手だった。
全てを見透かしたような、それでいて穢れのない、純真な輝きを放つ蒼穹の色が。
あの光に一度捕らわれると、背中をぞわりと何かが駆け抜ける。
ーーーこんな感覚は、知らない。
彼女の目が、苦手だった。
力強いあの輝きは、私を私でいられなくする。過去に置いてけぼりの、『オレ』を呼び覚まして、掬い上げるのだ。全てをオルストフ様に、ナドラガ教団に捧げると誓ったあの日に置いていった俺を。
一度だけ見た戦いで、彼女の目が細まって、敵を見据えた時。その光が鋭利な剣そのものとなって、相手を射抜いた。その瞬間、表情を持たないはずの聖塔の守護者が怯んだように見えた。後に彼女が待ち望んだ解放者様だとわかり、私は悟ったのだ。あの目の煌めきこそが、彼女の全てを表しているのだと。器なのだと。元の世界でも、人々の希望を背負って戦っていたということをエステラに聞かされた。
彼女の目の光は、刃物のように鋭くて、強くて。綺麗で、儚い色をたたえていて。自分との隔たりそのもので、苦手だった。
ところがどうだろう、今その光は瞼の奥に隠されている。いつもの蒼色も、輝きも、笑顔も、真剣な眼差しさえもない。
「…え………?」
なぜか真下の地面に寝転がって目を閉じている解放者様ーーナマエさん。
眠っているのだろうか、でもどうしてこんなところで?
ここはエジャルナの外れだ。ナドラガ教団が封鎖していた地下の格子の先。
「解放者様、こんなところで寝ていては風邪を……」
手を伸ばそうとしたところで、自分が漸く剣を手にしていたことに気がついた。
ーーーガシャン…
滑り落ちて響いた金属音が、一瞬で現実を揺さぶり起こす。
地面に落ちて鈍く輝いた剣からは、真っ赤な血が滴っていた。そして、地面に倒れる解放者様の周りにも。
何が起きているのか、混濁した頭では理解できなかった。
ただ在るのは、手にこびりつくように残った、肉を貫く感覚だけ。
「……解放者様ッ!?」
遡ってみれば、ここ数時間の記憶がない。ここには人っ子一人おらず、自分が罪を重ねたことは明白なのに、手に残る感触以外の記憶が全くないのだ。
ーーーどうして、どうしてこんなことに。
「解放者様!?解放者様…!ナマエさんっ……起きてください!!」
泣いたのはいつぶりだろうか。頬を滑り落ちる生暖かい雫が、一層胸を苦しくさせる。
力強いあの眼差しが見えないのが、こんなに不安を呼び起こすなんて。あの深い青が、色濃い赤の中に紛れて消える。浅い呼吸が、彼女が死の淵に立たされていることを表していた。
自分の手が紅に染まるのも厭わず、華奢な肩を揺さぶった。解放者様、解放者様、ナマエさん。繰り返し繰り返しあたりに木霊する必死な呼び声は、さぞかし醜いものだろう。その嫌悪を足掛かりにして、彼女が目を覚ましてくれることを切に祈った。
「……と、びあす……?」
長い睫毛が、ゆっくりと震えて持ち上がった。あの力強い青の輝きが、光が、その輝きを弱めながら三日月型に細まった。
「…よかった、正気にもどったんだね……」
その言葉で全てを悟る。解放者様に、ナマエさんを傷つけたのは、他でもない自分自身なのだと確信する。
「……殺してください」
「え…?」
「私はっ……あなたになんてことを……!許されるわけがありません、せめてあなたの手で私を貫いて……」
「……ねぇトビアス」
冷たい彼女の手が、頬に触れた。弱い力で、親指が涙を拭う。もう私は、いてもたっても居られなくなった。喉につかえた心臓が、今にも飛び出してきそうだ。気持ち悪い。ただ吐きそうな感覚と、虚無感と、絶望がドロドロと私を侵食する。殺してほしい、でないと罪の意識に苛まれて、脳を焼き切ってしまいそうだ。
「……これはね、昔から決まっていたことなの。だから、気に病まないで……?」
「…ナマエさん…それはどういう…」
「……私が、このナドラガンドで死んじゃうってこと。トビアスにその役目を押し付けることになっちゃってごめんね……」
いつもは溌剌とした笑顔が、痛々しい微笑みへと変わっている。それだけで、こんなに胸は苦しくなるのに。
「でも…嬉しかったよ……」
「…え……?」
「だって、最期を看取ってくれるのが好きな人なんだから…私、幸せだよ…」
「……っ…!」
「私ってずるいよね、最後にこんな、縛り付けるようなこと言うなんて…」
「最後なんて言わないでください!私は、私は…っ…!」
オレは。
あなたの、目が苦手だった。あなたの目を見ていると、隣を歩く資格を無くしたみたいで。
けれど、同時に憧れでもあったのだ。
その輝きの強さは、この地の平穏そのもので、いつの間にか頼りきってしまっている自分がいた。その奥に潜む優しさに、いつの間にか身を委ねている自分がいた。
「…あなたが…ナマエさんが…好き、で……!」
ああ。だから、こんなにも胸が軋む。
ありがとう、と小さな声を空気に漂わせて。
幸せになってね、と言葉を残して。
光の粒となって彼女は召された。ガタガタと震える手で、虚空を掴もうと何度も試みる。
「……ナマエさん……っ……」
遺体が残らなかった理由は分からない。ただ分かるのは、彼女が神様に愛されすぎてしまったということだけ。
沢山の運命という名の糸に縛られていた彼女の命を、あっさりと摘み取ってしまった。他でもない、私自身が。行き場を失った使命の糸も、私が抱いた恋心も、沢山の人の憧憬も。絶大な信頼も、色々な思いが解けて、虚空に漂っている。張り詰めた糸が緩んで、はらりと靡く様を、私は色のない瞳で見つめる。
何をしていいのかも分からない。何が償いになるのかも分からない。ばら撒かれていた筈の血液でさえ残っていないのだから、彼女が死んだという事実さえも、信じてさえもらえないだろう。
しんと静まり返った地下道を見つめた。床に転がっていた洋燈の灯りが、突然消えた。地下へと続く道は、暗闇に閉ざされてしまった。まだ、この場所は地上からの光が薄っすらと届いている。
ーー彼女は、もういない。
(2016.3.4)
邪神1撃破記念だったのにおかしいですね!?いや、内容もおかしかったです……ほんとうに……ほんとうにすいませんでした……星乃ちゃんの……トビアス様の死ネタ短編がとても好きで……というか星乃ちゃんの書く文章は全部大好きなんですけどね!?逆を書いてみたくなりました…あのほんとごめんなさい…トビアス様はこんなこと言わないしセナちゃんイメージして書いたはずなのにセナちゃんじゃないからこれは誰だって悟り開いてます…本当に……捨ててください…今回は特に本当に申し訳ない…また一緒に冒険してください…次は…かわいいのを書きたいです…遺言…
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