目の前にうず高く積まれた板チョコの山に、本日何度目かわからないため息をついた。
この大量の板チョコは、数ヶ月前から副業として始めた調理職人のギルドマスターに手渡されたものだ。半分は納品するチョコレート菓子に使用する材料として。
そして、もう半分は。
「恋する女の子は応援しなくちゃ!」
ーーーすぐそこまで差し迫ったバレンタインの手助けとして。
去年までの私なら、ありがた迷惑だといって友人へ渡すチョコレート菓子の材料に当てていただろう。
だが、今年は違う。
今年の私には、バレンタインにチョコを渡したい…特別な、それも異性の相手がいる。
渡された板チョコは、さすが調理ギルドで仕入れたものと言うべきか。そこらへんの市場では簡単に手に入らない、高級ブランドものだった。詳しくは知らないが、メギストリス辺りで人気を集めている洋菓子店でも使用されているらしい。まさに、特別な相手に渡すチョコレートに使うのに御誂え向きと言うわけだ。
料理には、それなりに自信があった。だからこそ旅人、盟友、解放者という身分を抱えながらも、調理職人の端くれになったのだ。
目的はまあ、単なるお小遣い稼ぎのようなものだけれど。ギルドマスターにも褒められるぐらいなのだから、それなりの腕は持っていると思う。
だけど、今回ばかりは上手く作れる自信がない。
「うわー…どうしよう…」
材料は大量にあると言えど限られているし、時間的にも失敗は許されなかった。何せ、こちらは毎日毎日、世界中を忙しなく飛び回っているのだ。バレンタインデーというイベントにうつつを抜かす暇は、本来ならば無い。
しかも、渡したい相手というのが別世界の、別の種族の、超禁欲的な生活を送っているような神官なのだ。そして、根本的に食べるものも違う。この世界で美味しいと呼ばれる料理を手渡しても、かの竜族からすればゲテモノ料理だという事も…ありうる。
そして、まだまだ問題は尽きなかった。
定番であるトリュフや生チョコレートなどを持っていけば、業火に包まれたあの土地では3分でチョコレートドリンクの出来上がりだ。折角チョコレートを作っても、意味がなくなってしまう。クリームを使うのも、衛生上あまり良くない…と思う。いっそオーブンの中ぐらい熱い土地であれば、とバカなことを考えてみるが、そんな気温となれば、私達が足を踏み入れることはおろか、竜族であっても生きるのは難しいであろう。
「はああ…」
目の前の板チョコより山盛り大盛りになった課題に、盛大なため息を零す。
問題のバレンタインデーは明日。刻一刻と迫るタイムリミットが追い打ちをかけてくる。外は夜の帳が下りて、針は既に11の文字を指しているのに、焦る気持ちが募るだけで全く動けない。
それでも、竜族の世界でバレンタインデーがあると聞いたその日から、チョコレートをこの特別な日に彼に…トビアスに渡したかったのだ。
いつから、と言われれば最初からだったのかもしれない。出会ったその時から、盲目的に彼のことを想ってきた。
最初こそ、素っ気ない攻撃的な態度を取られていたが、最近はむしろ友好的だ…と思う。敬語を使われ、目上の人として扱われるのは少し寂しい気もするけれど。
彼の、真っ直ぐなところが好きだった。寡黙そうに見えて競争心が強いところも、感情的な一面も、命を呈してまで仲間を庇うところも。明るい紅色の髪も、厳しい目つきを三日月型に細めて笑うところも。彼の全てが、全部、全部大好きだった。
一緒になりたい、と何度願ったことか。しかし、そんな高望みをしてはいけないことも知っている。私達には立場があって、種族の壁があるのだから。
だから、せめて明日だけは。
言葉にはしないから。形だけで、想いを伝えることを許してほしい。
「…よしっ!」
花畑に囲まれた、身に余るほどの大きな家で私は小さく意気込んだ。
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結局お菓子作りとの格闘は、朝まで続いた。トビアスに渡すお菓子は、チョコクッキーとなった。衛生面と食べ易さと、とっつきやすさを考慮した精一杯の結果だ。味は、それなりに美味しくできたと思う。少なくとも、今まで作ったクッキーの類の中では、一番美味しいと思える出来だ。
納品用の愛の篭らないガトーショコラと、込めすぎたクッキーが何だかアンバランスに思えた。
炎の領界へ飛ぶ前に、オルフェアの調理ギルドへ立ち寄った。可愛らしいプクリポのマスターにガトーショコラを渡して、報酬を貰う。因みに、このガトーショコラの行き先は知らない。「ナマエさん、応援してるよ!」というマスターの言葉が、緊張で暴れまわっていた心臓を少しだけ宥めてくれたような気がした。
いってらっしゃいの言葉を背に受け、天に石をかざす。あたたかい太陽の光が透けて眼を射るころには、身体は宙に浮き上がっていた。空を切り、世界を超えて。大好きなあの人の元へ。
エジャルナに足がつく頃には、少しだけ落ち着いていたはずの鼓動が、その何倍ものスピードで早鐘を打っていた。悩んでいるうちは可愛いものだった。いざ、渡すとなれば、心地よい緊張は消え去って目の前が真っ暗になるほどの不安が押し寄せるばかりで。
どうしよう、美味しいって思ってもらえなかったらどうしよう。受け取ってもらえなかったらどうしよう。
思考の糸は、乱れに乱れて解れていた。トビアスの部屋の扉は、もうそこだというのに。絡まった糸が、足に巻きついているみたいだった。
必死に、やっとの思いで扉を叩く。
留守だったらいいのに、と自分で自分の思いを否定するような脳内の発言を叩き切る。
「トビアス!わ、私!ナマエ!い、居る?」
あ、声が震えている。そう思った瞬間、中から物凄い音が聞こえた。どん、ごすっ、どん、みたいな物音が。
不思議に思っていると、次いでドタドタと足音がして、ガチャリと扉が開いた。
思ってもみなかった登場の仕方に、思わずまくしたてるように言葉にならない言葉を羅列させた。
「と、トビアス!あのね!これをうけとってほし」
「か、解放者様!良かった、今日来てくださって…!渡したいものがあったんです」
「えっ、あのちょっ、と、トビアス?」
珍しく焦った様子のトビアスに気圧され、渡す機会を見失ってしまった。一体、何が起ころうとしているのだろう。良ければ中に入ってお待ち下さい、と言うトビアスの言葉に従って、椅子に腰掛けた。
「解放者様は、バレンタインというイベントはご存知ですか?」
「う、うん、もちろん」
そのために今日ははるばるここまで来たのだ。知らないわけがなかった。私と話しながらも、トビアスはごそごそと何かを探しているようだった。
「なら、話は早い…解放者様、いえ、ナマエさん」
ーーーハッピーバレンタイン。
その言葉と同時に、すっと私の目の前に、綺麗にラッピングされた青いバラが差し出された。
「え……」
「この間、生き残りを偶然見つけたんです。あまりにも綺麗な青だったので、解放…いえ、ナマエさんを思い出してしまいました」
トビアスの青味がかった肌が、ほんのりと色付いている。トビアスの目は、真剣で。私の胸を一思いに貫いて、突く。
「出過ぎた真似をして申し訳ありません…もしかして、お気に召しませんか?」
「ち、違うの!凄く、その、嬉しくて」
そう嬉しくて、嬉しくて仕方がないのだ。綺麗な青が、私の髪色とつながって、他の人ではなく私を思い出してくれたことも、バレンタインに私にプレゼントとしてくれたことも。けれど、けれど!
「あの、トビアス…?バレンタインって…女の子から男の子にあげるものじゃ…」
「…?…いえ……そんなはずは」
「…………………」
「…文化の違い、でしょうか…」
「そ、そうなのかな」
なんだ、そういうことなのか。バレンタインがナドラガンドにあるかと問うた時の、頷きながらもエステラが微妙な表情をしていたことを思い出して納得した。
「…アストルティアではね、女の子が男の子にチョコレートを作って渡す日なの」
「チョコレート…?」
「そう、チョコレート。甘いお菓子なの。私もね、今日はそれを渡すために来たの」
ーーハッピーバレンタイン。
先程トビアスが私に投げた科白。手作りなんだよ、という言葉を添えると、ぼん!と音が聞こえそうなほどにトビアスは真っ赤になった。
「か、解放者…!そ、それは!」
「もしかしたら…こっちの世界の食べ物だから、口に合わないかも知れないけれど、食べてもらえたら嬉しいなって」
「…あ、ありがとうございます…!」
「…ううん、こちらこそ、だよ、」
渡せた。良かった。
目の前で優しい表情を浮かべながら、クッキーを齧る姿に、目を潤ませた。
トビアスはきっと知らないだろうけど。青いバラの花言葉は『神の祝福』だ。
もしかすると、立場や、世界の隔たりなんて、気にする必要なんて、なかったのかもしれない。
だって、このナドラガンドでは絶滅したと思われていたその花が、このタイミングでトビアスの目の前に現れたのだから。
▼まだ芽吹いたばかりの恋に、紺碧の祝福を
(20160204)
星乃ちゃんすいません偽物しかなかったです。
雰囲気はトビセナちゃんを目指しましたが、どんまいな感じになりました!おめでとうございます!
バレンタインイベにもお付き合いありがとうございました! せなちゃんが尊くて私は…トビアスさまとセナちゃんは結婚するとしんじております。
おっそろしくすてきなごうりぬちゃんもありがとうございましたと何回も言わせてください…
そして真面目に偽物すぎてやばみを感じているのでお気に召さなかったら容赦なく燃やしてください…
またTwitterでもティアでも一緒に遊んでください!これからもよろしくお願いします!!
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