ぷくく。
と、堪え切れない笑みを口端ににじませて、荘厳な雰囲気を醸し出すナドラガ教団の扉を、ゆっくりと押し開いた。
衛兵の不審がった視線がチクリと刺さるが、そんなものは無視するに限る。
人一人入れる程の隙間を作って中へ滑り込むと、広い教会内に響き渡る程の大声を出すため空気を吸い込んだ。
「トビアスーっ!!!!いるー?!」
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悲鳴にも似た金切り声に、入口まですっ飛んできたのはエステラだった。ナマエさん、と弾ませた声をあげ、駆け寄ってきた彼女は、私の容を見て「唖然」の二文字が、ピッタリ当てはまる表情を浮かべる。
おっ、びっくりしてるな。思わず上がってしまう口角を抑えずに、よーっす!という呑気な挨拶をお見舞いした。
「……ナマエさん、その、髪は」
「気付いてくれた?!これね、美容院で染めて来たんだよ!似合うかなあ」
「…いや私が言いたいのはその事ではなく」
麗しい竜族の神官は、溜息を吐きながら色のことです、と項垂れた。
「うん、トビアスとそっくりでしょ!素敵だと思わない?」
綺麗に染めてもらった、艶紅ともつかない髪を見せ付ける様に一回転してみせると、エステラは眉尻を下げ力なく苦笑して見せた。
「どうしてナマエさんはそこまでトビアスに固執するのですか……仮にも竜族の救世主となろうお方だというのに」
「仮にもってひどいよエステラ〜!私はね、ただトビアスの困った顔が見たいだけなんだよぅ」
「……はぁ」
そうなのだ。私はただ、トビアスの眉間に、数ミリの皺を寄せたいだけなのだ。
初めて相対した時、不信感をちらつかせながら此方を覗き込んだ瞳。
整った顔に刻まれた二本の皺に、口角が上がったのをよく覚えている。
ーーへぇ、勇者の盟友にそんな目を向けるの。
勝気な私は、その瞳に宿される疑心の色が嫌いではなかった。寧ろ、面白いとさえ感じた程だ。
業火の聖塔で、2回目に会った時、なんとまあ、張り合われた。頼んでもいないのに、どちらが氷の領界への扉を開く事が出来るか、一方的に勝負を叩きつけられたのだ。
不謹慎にもほどがある。が、とってもとっても愉快で、仕方がなかった。
負けず嫌い同士、シノギを削るなんて…楽しすぎる。売られた喧嘩は買うしかない!
熱くなる人…まあ正確に言うと人間ではないのだけれど。嫌いじゃないよ。
この勝負、もらう。キミが悔しがる顔を、そして、再戦を挑まれることを夢見て。
その一心で塔の最上階まで上り詰め、番人だ何だかを倒したのに。
途中、トビアスが次々に繰り出す、途轍もない威力の魔法に驚きもしたし、感心した。私は幼い頃から脳筋思考で、剣を振るって、力でねじ伏せることしか頭になかったから、純粋に尊敬した。
ーー因みに魔法もかじってはみたものの、全く成長しなかったーーー
その上、トビアスは剣も使うものだから、この上なく興奮した。
鮮やかな剣技は鍛錬に鍛錬を重ねたものだと、一目で見て取れた。
こんな人が、私を認めず、目くじらを立てて突っかかってくるなんて!
着々と歩み始めていた"ライバル"という関係性に、久しく抱かなかった高揚を感じた。
それなのに。
無事、氷の領界への道が開け、私が解放者と分かった途端、なんだ。
態度はころっと一変し、従順に非礼を詫び、皺を刻むどころか、朗らかな笑みさえ浮かべたのだ。
尊敬の意を述べ、途端に丁寧になった口調に苛立ちは募る。
キミは私につっかかって張り合ってくれていればよかったのに。
苛立ちと空虚さと、何かが混ぜ合わさったような感情が私を襲う。
また、一線を引かれ、私は偉人だか英雄だかに仕立て上げられるのか。
そんなのは嫌だ。
子供じみた考えなのは百も承知だ。
アストルティアでは、勇者の右腕。この世界では解放者。名誉だって、地位だって背負っているのは分かっている。
でも、それ以前に私は一人の人間で。
同等に接して欲しかったし、寂しさだって感じる。
やっと、この世界で出会えた、同等に接してくれた人物にーーいや、寧ろ下だと思われていたのかもしれないけど!
跪かれ、崇め奉るような発言をされれば裏切られた気分にもなると言うものだろう。不可抗力だ。
ーー困らせてやる。
トビアスに嫌がられるくらいに困らせてやる。
芽生え始めた加虐心ともつかぬ何かに促され、私は即日嫌がらせ、もとい悪戯を開始した。
手始めに、敬語を辞めろと脅しーーー物の見事に相手にもされなかったーーー、エステラに持って来たぬいぐるみをトビアスにも差し出しーーー逆に珍しさに驚き、礼まで言われたーーー、甘いものが苦手と聞けば、すかさず調理ギルドの友人に頼んで、ケーキを差し入れた。友人の趣味が反映されたそれは、まさかのビターチョコで作られたザッハトルテで、気付かず渡した後、物凄く喜ばれてしまった。
失敗、失敗、失敗。
他にも数多の悪戯を繰り返してはいるものの本人は気付かないどころか、寧ろ喜ばせてしまっている。
そして、今日。
お揃いの髪。
トビアスと同じ色に染められた髪をいじりながら、唇はニンマリと弧を描く。
染めたついでに、長さも肩ぐらいまで切り揃えて。
言うなれば女人間版トビアス。
流石にこれはトビアスも気味悪がるだろう。
どんな顔をするだろう、出会い当初みたいに不信感丸出しの顔をしてはくれないだろうか。
気味悪がったトビアスが私を不審に思い始め、運が良ければ敬語が抜け、あわよくば…あれ、これはライバルという関係に戻れるのか…?
頭の中で立てた未来ライバル像への道が靄に包まれ、ウンウン唸り始めた時だった。
「ただいま戻りました」
大きな音と共に、護衛の衛兵達を引き連れた悩みの種がご帰還された。
勿論考えをストップし、入った時と同じ様に嬉しさを滲ませた大声を発する。
「か、解放者様!?」
「トービアスっ!!!どう!?お揃い!」
驚きの声を発する護衛達の間をすり抜け、本人の前に躍り出た。エステラにしたのと同じ様に、右足を軸にしてターンしてみせる。
髪が空気の抵抗を感じ、ハラリと首を擽るまで、一秒。
自分より背の高いトビアスを見上げて、私は言葉を失った。
「………っ」
その整った顔に乗った表情は、予想していたどの貌とも異なっていて。
「か、解放者、さま…」
いつも張り詰めた、凛とした雰囲気を纏った声は震えていて。
「……あ、あれ?」
真っ赤になったトビアスの顔。
嘘。こんな顔、今まで見たことが無い。
笑ったトビアスも知っている、怒った…というよりは厳しい目つきをし、敵対心を向けるトビアスも知っている。
ーーーでも。
「に、にあわ、な、いかな」
思わず私の声も掠れてしまった。
頭の中で、様々な思考が渦巻いて、混乱を引き起こす。
嘘、どうして、こんな顔!
「……よく、お似合いです」
弾かれたように彼の顔を見上げると、その頬の赤みを抑えないまま、鋭い目元を、眉を、へにゃりとさげた。
ーー真っ赤にさせられたのはどちらだったか。
一瞬で、ライバルとか、立ち位置とか、どうでもよくなってしまった。
敬語すらどうでもいい。
その代わり、新しい目標を、こっそり心の中で掲げる。
「…と、びあす」
「な、なんでしょう」
「…その顔!私以外に見せちゃダメ!いーい!」
カッと目を見開いた彼の、仰せのままに、と言う言葉が耳を刺した。
よし、私の思考を奪った罰。
次はもっと真っ赤にさせてやるんだから!
▼思考奪還大作戦の開幕
星乃ちゃん、いつも構ってくださってありがとうございます…!
トビアス様麗しいのが全くわからないブツになりました。ちょっと修行し直します。
いつもその名の如くお星様みたいに瞬いて、キラキラ輝いてる星乃ちゃんの文章に幸せ感じてますありがとうございます!いっぱいいっぱいおぶんしょ貰ってるのに返すのが遅くなって土下座しかないです…
これからも是非仲良くしてやってください!
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