鍵を開いて
記憶を、こじ開けて
―赤部屋と王様―
〜nightmare〜
憎たらしいほどに綺麗に輝く赤い鍵に視線を落とす。
3人で長い長い廊下を歩いて、扉へと向かっていた。
窓から外を眺めると雲が世界を濁らせている。
小さな蝋燭が一定間隔で置かれた私たちが今歩いている廊下は外の暗さも相乗して薄暗く不気味だった。
そう、さながら洋館ホラーハウスのようだ。
チェシャ猫はリンクがどうとか言っていた。
1人としかできないと。
そうだというのならば私とジャックはもう不可能で。できるわけなくて。
ナイトしかいないわけだが。
記憶を失っている彼にそんなことは到底無理としか言いようがないのだ。
ぴたと一歩手前を歩いていたナイトが止まる。
ああ、着いたのか。
嫌なくらい、嫌な感じがする、赤色の扉。
白ウサギも悪趣味なものだ。
何故これを残しているのかと思えるほどに。
「開けるか」
ジャックが私の手の中にある鍵を見て呟いた。
静かに頷いて鍵穴にそれを差し込もうと手を動かした時、ナイトがそれを私の手の内から奪い取って見つめた。
「……俺が開けよう」
自ら、鍵を手にして。
鍵穴に赤いそれを差し込んだ。
ギ、という聞くのにも堪えられないほどのおぞましい低い音を耳にする。
その重たい扉の開く音はしばらく耳に残った。
押して開いたドアの先は、初めて見た。
正確に言えば、入口から初めて見た。
前回は瞬間移動というファンタジック移動でこの部屋に来たから、どこか違和感を覚える。
その部屋は当たり前のように使われていなくて、廊下以上に薄暗い。
それでもわかるほど、床にべっとりと張り付いた赤。
あり得ないほど、前回の量より増されているんじゃないかと思えるほどの赤。
ゴツ、とナイトのブーツが低く響いた。
何もないこの部屋で、音は反響して消える。
「……ここ、は」
ゆっくりと。
ゆっくりと吐き出されたその言葉。
苦しそうで。
悲しそうで。
聞いていられなくなりそうな声だ。
言わなくても感じるのだろう。
伝えなくても、理解したのだろう。
――自分が死んだ、場所なんだって。
「うっ……おえっ」
嗚咽交じりの吐くような声。
何も出ない。
胃液さえも出ない、空気を吐瀉するような行為を何度か繰り返す。
頭が痛いのか。
ナイトは頭を押さえて前を見据える。
段々あるはずのない血の臭いが鼻を掠めていく感覚に陥っていく。
この部屋はあり得ないほどに居心地が悪くて。
苦しいほどに、涙が溢れそうになってくる。
ふいに、ナイトが私の手を掴む。
遠慮もなしに、力を目一杯こめて、ぎゅうっと掴んだ。
「……死にたく、ない」
ぽつりと。
誰かに伝えるまでもなく、独り言をそっと呟く。
「消えたくない」
力を、こめて。
ナイトの爪が、私の手の甲に少しだけ食い込む。
ナイトの、前回の彼の言葉のように思えた。
本当は死にたくなくて。
死んだ人間が、どんな風にちっぽけな消え方を知っているであろうから。
何もなかったかのように。
いずれ、誰の記憶にも残らないんじゃないかってくらい、あっさりと消えてしまうから。
そんな死に方は、したくなかったんじゃないだろうか。
「何で、あの時、笑っていたの」
わからない。
わからないよ。
そんなに
死にたくないなら。
消えたくないなら。
吐き出してしまうくらい、苦しいのなら。
どうしてあの時、笑っていたの。
「……笑わなきゃ」
言葉とは裏腹に、彼の瞳からは大粒の涙がぼたりぼたりと落ちていく。
笑顔なんて、作れやしないよ。
涙が枯れてしまうのではないかというくらい、泣いていた。
堪えるように力を込められた唇からは、切れた箇所から赤い液体が伝う。
「お前が、心配するから」
私が?
違う。私のことじゃない。
誰だ、誰のことを言っているんだ。
「ナイト、大丈夫か?」
ジャックの心配するような声も届いていないようで。
彼はぶつぶつと言葉を吐き出していく。
意識があるのかさえわからない。
無意識に言葉を羅列しているようにもみえた。
「――キン、グ」
自分のことではない、誰かを。
誰かなんて、おそらく1人しかいないんだろうけど。
呼称を言葉に吐き出して。
彼は大きな涙の粒を落とした。
何かが落ちたような、音が奥の方で聞こえる。
何か置物でも落ちたのだろうか。
次に聞こえてきたのは。
「うえっ!」
人の声、だった。
それも、聞き覚えのあるそれ。
「……融さん?」
「何だここ!暗いぞ!だ、誰かいるのか!?」
間違いなくそれは、前回のキング――本田融、彼の声そのものだった。
電気はどこでつけるんだろうか。
融さんは廊下の微かな光を見つけたのか、こちらに向かってきているらしいことが音でわかる。
「融さん」
再び名前を呼ぶと彼の姿が見えてくる。
「……あぁ、歩。それに、岡田?……なん、だここ……」
安心したように胸を撫で下ろして、視線を動かした融さんの視線はナイトに向かったところで停止した。
私に向かっていた手がぶらりと重力に忠実になる。
何故彼がここにいるのか。
きっと、“リンク”をしたんだろう。
ということは。
ということはだ。
ナイトに、記憶が戻ったということだろうか。
「……はじめ」
融さんの口からは、静かに彼の本当の名前が漏れる。
「お前、はじめだろう!?どうして、ッ!」
取り乱したように、ナイトに掴みかかって融さんは彼をがくがくと揺らした。
泣きそうに目を伏せて、口元ぎゅっと噛んだ。
「……どうして、俺は……お前のことを忘れていたんだろう」
懺悔するような。
後悔するような。
言葉にナイトは涙をまた落とした。
「――わからない」
彼の口から出た言葉は、意外な言葉で。
涙は止まらない。
嗚咽が、止まらない。
そんな彼を、ただ見ていることしかできなかった。
「お、前、誰なんだ、わかっ、ないんだ……」
途切れ途切れの言葉は申し訳なさそうに悲しそうに紡がれる。
わからないのか。
記憶が、戻ったわけではないのだろうか。
「一瞬だけ、戻ったのか……?」
ほんの一瞬だけ記憶を取り戻して。
その瞬間で、融さんと“リンク”したというのか?
そんなこと、あり得るの?
いやでも、何でもありの世界だからないこともないのかもしれない。
「はぁ!?わからない!?冗談がきついぞ!小さい頃から一緒にいただろうが!」
「……す、まない」
……ということは、2人は幼馴染なのか。
あぁ、融さんにも説明しなければならない。
この現状を。
彼は全てを忘れてしまっていることを。
融さんが来てくれたことに、内心ほっとした。
何でかというと、幼馴染ということは彼のことを良く知っているわけで。
前回の世界でも、キングとしてナイトの1番近くにいたのは彼なのだ。
彼こそがナイトにとっての記憶の“要”で“鍵”。
大切な存在であることが、明白だ。
「……融さん、説明するからとりあえずこの部屋出ようか。ね、ジャック」
「あぁ、そうだな。こんな胸糞わりぃ部屋はとっとと出てぇもんだ」
「ジャック……?まさかこれ、また」
ナイトのことだけじゃなくワンダーランドの記憶も思い出しているのか。
それは都合がいい。説明が減る。
「その通りだよ、胸糞わりぃ世界に再びようこそ、王様」
ナイトは小さく首を傾けた。
あぁ、そうだ。
彼もまたキングなのだ。
融さんは……融さんのままでいいか、呼び方。
ごちゃごちゃになりそうだし。私達以外の住人が。
私達は吐き出しそうになる部屋から足を踏み出した。
「……さぁ、キャストは揃ったね?
じゃあ、エンディングへと話を進めようか」
赤い女は、静かに笑う。
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