「チェシャ猫は公爵夫人が嫌いなの?」
「チェシャは公爵夫人が大嫌い、大嫌い。つーん」
「……何で?」
「彼女、彼女は赤子に手をあげる。何度も何度も。ばしばしっ!」
ぎゃ、虐待か。
「だからチェシャが赤ん坊預かってる。よしよし」
「よしよしできてねぇだろ、大泣きだったろ」
呆れたようなジャックが赤ん坊をチェシャ猫に返した。
「んー、まぁ、公爵夫人に鍵をもらえばいいのね?」
「そういうこと、にゃあ」
まぁ、白ウサギよりましだろう。
1度会っただけだが物腰柔らかそうな女性だったし。
「リンクできるかは、君たち次第、くすくす」
……リンク?
それって、私がジャックを呼び出したやつだよね?
「……他の全員を呼び出す、ってこと?」
白ウサギは「1番親密だった人間とリンクする」と言っていなかっただろうか。
「リンクできるのは1人だけさ、くすんくすん。アリスとジャック、君たちはもうしちゃった、しちゃった!!」
「んじゃあ、あとできるとしたらナイトってことか?」
アリスだけじゃないのか、リンクするのは。
というか、できるかどうかだなんて。
ナイトは記憶がないじゃないか。
“赤の部屋”に行けば、何か変わるのだろうか。
「ありがと、チェシャ猫」
「うん、うん。アリス、さようなら、さようなら、にゃあ」
チェシャ猫から離れて、公爵夫人の元へと向かう。
城から左って言っていたから……こっち方向で間違いない、はず。
「……ジャック、城を出て左だったら、こっちで合ってるよね?」
「合ってっけど……ナイトに言った方がいいんじゃねぇの?」
移動しながらジャックが小声で私にそう伝える。
「そう?記憶の手がかりなんてないじゃない、あの人に関しては」
あの人──公爵夫人は前の世界にはいなかった人だ。
会って話をしたところで、何かを手に入れることなんてできないと思う。
天気もそんなに悪くない。
置いてきてしまったとはいえ、機嫌は悪くもないようだ。
まだ起きてないのかもしれない。
「鍵を手に入れてからナイトと一緒に扉を開けるのが一番早いんじゃない?」
「まぁ……そうだけどよ」
見えてきた。
エニグマが言っていた、白黒の滑稽な家。
お城ほどではないけれど、大きなお屋敷。
「あらあらあらぁ?アリスちゃんじゃないのぉ」
タイミングを図ったかのように公爵夫人はお屋敷から出てきた。
「ワタクシに用かしらぁ?」
「ええ、丁度よかった」
一歩。
踏み出した私を、彼女は見つめる。
ゆっくり、ゆっくりと口元で弧を描いて。
少しだけ、首を傾けた。
「――鍵が欲しいのかしらぁ?」
……どうして、わかったのか。
それなら、話が早くて助かるけど。
彼女に近付いて、私は笑顔を作った。
「そうなの、城の“赤の部屋”の鍵。少しの間だけでいいの、貸してくれる?」
彼女はモノクロの傘をくるんと回した。
私の手首を、ゆっくりと掴む。
彼女の手は、酷く冷めていた。
「可愛い可愛いアリスちゃん。ワタクシから鍵を奪おうと言うのかしらぁ?」
「……貸してほしいだけ。誰も奪おうとなんてしてない」
ぎり、と力が強まった。
痛い、痛いから。
「ワタクシの役は“鍵を守ること”なのよぉ。それが最優先、何よりも何よりも何よりも大切なのぉ」
笑顔、笑顔、笑顔。
張り付いたような、笑顔を彼女は崩さない。
喋るたびに、崩れていく厚化粧。
引っ掻いて引っ掻いて引っ掻いて引っ掻いて白い化粧は崩れる。
「もし奪おうというのならぁ」
ぼろり。
崩れた化粧の中にいたのは。
――醜い。
失礼かもしれないけれど、ただそれ一言でしか言い表せない人間だった。
彼女は傘に手を掛ける。
「死んでもらうしかないわぁ!!」
持ち手のところを引っ張れば、傘からすらりと長い剣が現れた。
すごい、ファンタジック。いや、もう世界がファンタジーだし今更だな。
「……っ、くそが!アリス!」
ジャックが私を後ろに引いて、隠し持っていたらしいナイフで応戦する。
ぶつかり合う金属の音が耳を痛くさせた。
「どこからそのナイフ……」
「黒いやつから貰ったっつうかそれどころじゃねぇ!」
黒いやつ……黒ウサギか。
確かにそれどころじゃないわ。
彼女から逃げるように後ろに下がっていく。
公爵夫人は醜い顔にニタニタと笑みを浮かべて剣を宙で振るった。
「あらあらあらあらあらあらあらあらあらあらあらあら逃げるのぉ逃がすわけないじゃない死んでちょうだい綺麗にして部屋に飾ってあげるわぁ!」
部屋に飾るってどういうことよ。
死体コレクターか、あなたは。
絶対飾られてたまるものか。
「おいっ!どうすんだよどう考えても鍵寄越さねぇぞこの女!」
「し、し、侵入する!」
「相手は剣持ってんだぞあほか!」
近寄ってくる彼女から逃げながら、ジャックと話す。
貸してくれないなら奪うしかないじゃない!
仕方ないじゃない!
“――君も“やる”ことなのに”
ふと、エニグマの言葉がよぎる。
違う。
違う違う違う違う!
私は誰かを、殺したりなんかしない。
「う、わっ!」
鉛が私の横を通り過ぎる。
あの人、剣だけじゃなく銃も持ってる。
まずい、非常にまずい。
打開策が一切見つからない。
「気絶させるのが1番だろうけどよぉ、問題はどうやって、か」
ジャックがナイフを見て舌打ちをした。
ナイフじゃ気絶させるなんて不可能に近い。
「あはははははは!待って待って待ってちょうだい綺麗に殺したいのにこの距離じゃ無理じゃない銃で殺したくないのよぉ!」
じゃあ使うなと叫びたい。
公爵夫人の方に振り返って、攻撃に備える。
「……っ、アリス!」
慌てたように、ナイトがやってくる。
後ろから、声が聞こえた。
それと同時に、公爵夫人の銃から銃弾が放たれた。
やたらとゆっくりに見える。
走馬灯のような、それ。
これを躱したら後ろのナイトにあたる。
ほぼ反射的に、腕を出す。
わざと、銃弾に当たるように腕を差し出した。
私の前腕に、銃弾は沈んでいく。
赤い液体が、綺麗に飛び散った。
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