きっかけ




 雨が降る。
 街は傘で色とりどりに飾られ、パシャリ、パシャリと水が跳ねる音が響く。

 みんなは
「雨は、湿気が酷い。服やカバンや髪が濡れる」
 なんて言って嫌がるけれど、私は雨が好きだ。

 普段の景色が一変するのも面白い。


 そして、なによりも
 彼が、電車に乗ってくるから。

 彼は、雨の日に乗ってくる。
 普段は自転車通学なのだろうか。
 私が乗る次の駅で乗車してくる。
 同じ駅で降りて、反対方向に歩いていく。

 知っていることはそれだけ。
 名前も学年も知らない。
 高校は制服で近くの青凛高校の人であるとわかった。


 好きになった理由は簡単。

 彼は以前、私を痴漢から助けてくれた。
 その後、降りる駅まで私を庇うようにたっていてくれた。
 その日から私は、雨の日が待ち遠しくなった。


 さりげなく見ているだけでいい。
 近付く勇気なんて自分は生憎持ち合わせていないし。
 話しかけるなどなおさら不可能だ。

 大体
「あの時は痴漢から助けてくれてありがとう」
 何て言ったところで、

「は?」
 で終わるに決まってる。

 覚えているわけがないのだから。



『桜桃女子学園前ー桜桃学園女子前ー』



 学校の前、降りる駅だ。
 彼も降りて、反対方向へと歩いていった。




「別に話しかければいいじゃない」
「無理だって」


 友達・真美に相談するとさらりと言われた。
 明るく、誰にでも話しかけることができる彼女には容易い行為なのだろう。

 けど、
「奈美花は極度のあがり症だもんねー」
 話しかけようとしても緊張して無理なんだ。



 ――放課後。
 部活に特に入ってない私は駅にいた。

 人が多い。
 この時間は帰宅する人が多いみたい。

 目の前に、ぱさりと。
 ……何かが落ちた。

 ……学生証?
 拾ってみると、青凛高校の学生証。

 前を見ると、青凛高校の制服を着た“彼”が前の方を歩いていた。
 ……話しかけるのは難しい。
 でも。
 学生証は大切だよね……っ!!


「あの……っ」
 声を掛けて見たが彼は振り返らない。
 声が小さかったのか、群衆のざわめきで聞こえなかったのか。
 自分は関係ないと思ったのか。

 彼はすたすたと進んでいってしまう。
 ……どうしよう。
 仕方がない名前を呼ぼう。
 それなら振り返ってくれるはず。
 すみませんと思いながら学生証を開く。


“灰原涼”


 彼の写真の横にそう記されていた。
 彼はどんどん群衆に紛れていってしまう。

 ……えーい!

「はっ、灰原涼さん!!」

 大声で叫ぶと多数の視線がこちらへ向く。

 ……は、恥ずかしいよ。

「……」


 彼……灰原さんは驚いたようにこっちを向く。
 や、やった!


「あのっ、学生証落としてますっ!」


 灰原さんは人を避けながらこちらへ駆け寄ってきた。


「ありがとう! ……なんで、俺の名前、」



 不思議そうに私を見る灰原さんに、私は慌てて理由を喋る。


「1回呼んだときに、は、反応なかったのでっ! これの中を見せて貰いました……すみません」


 そういって私は学生証を灰原さんに渡した。


「あ、なるほどね」
 爽やかに笑ってくれた。


「君、たしか同じ電車じゃなかった? あ、違ったらごめん」
「あ、そ、そうです」
「だよね。もうすぐ電車来るよ」


 お、覚えててくれてた?

 電車が来ると言われて、私は灰原さんの後を追うように乗車場所に向かった。
 電車に乗れば……あの日のように、私を庇うように立ってくれて。


 灰原さんが降りる時に、
「バイバイ」
 って言ってくれた。


 話せないと思っていたのに……嬉しい。
 彼にわずかに触れた指先が、熱い――……




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