モノクロの色彩
高校生の頃から付き合っていた彼は目の病気だった。
だった、と言えば語弊があるだろうか?
数年前、大学生の頃に目の病気に「なった」のだ。
後天性の全色盲。
簡単に言ってしまえば、世界が白黒に見える病気。
色を失ってしまったのだ。
彼は色鮮やかなものが大好きだった。
写真、絵画。
風景。
綺麗で心奪われるものが大好きだったのだ。
彼自身高校は美術部、大学は美術専門に通っていたほどで。
仕事としては諦めたものの、今現在も、私を見ながらキャンパスに絵を描いていた。
「……はぁ」
「斗真、できたの?」
筆を置いた彼の元へと駆け寄る。
うん。そういった斗真が私に見せてくれたのは、モノクロの私の絵だ。
見えないとどうも色合いが難しくて、カラーは描けないといっていたことを思い出す。
全色盲になった当初はカラーで絵を描いていたが、どうも色合いがちぐはぐだった。
モノクロなら綺麗に塗れているであろうそれは、カラーでは綺麗とは言い難い作品になってしまうのだ。
斗真は納得のいかない顔でblackと書かれた油絵の具のチューブを手で弄んだ。
最近の彼の周りには、キャンパスも、絵の具も。黒ばかり。
一枚だけ濃い青で描かれたものがあるが、彼は絵の具の確認を忘れて、今も気がついていないのだろう。それは黒であると、思っているのだろう。
「香代はさ、いいの」
「何が?」
「俺なんかで、いいの」
「斗真がいいの。私は斗真が好きなんだから」
私の言葉に、斗真が安心したような顔を見せては私にキスをする。
必要な物以外ほとんどない彼の部屋で、静かに時間を過ごす。
斗真の手が私の頬に触れて、彼は泣きそうな笑顔を私に向けた。
「……香代の色が見えないのは、寂しい」
綺麗な斗真の目には、私が映っている。
色の付いた私だ。
でも彼からしたら、私も色を持っていないのか。
「……見せてあげようか」
「見えないよ」
彼は私に苦笑する。
いいや、私は斗真に色を与えてあげられるよ。
モノクロの世界に、色を増やしてあげられる。
治療法の見つかってない病気だから不可能だとかなんだとか、そんなの関係ない。
斗真は私の全てだもん。
斗真のためなら、できないことなんてないんだから。
斗真の腕を引くと彼は首を傾ける。
「外に行こ?」
「何で?」
「何でも」
渋々立ち上がった彼の腕を引っ張っていく。
棚にぶつかって、筆が落ちたからんという音が静かに響いた。
外に出てすぐの道は、人通りが少なくない。
近くの公園を通り過ぎて、緑の多い道を進んでいく。
派手な色の服を身にまとったおばさんを横目に、また近所の噂なんかしてんのねと呆れながら前を見る。
スーパーについて、適当に買い物を済ませた。
彼の好きな食材とか、なんか。
それを彼に持ってもらい、外に出る。
夏から秋に変わりつつある今は、風が心地よくて、気温も丁度いい。
木の葉も、緑から黄色、赤へと変化するのももうすぐだろう。
よく通る灰色の車の煙は不快だが。
私が笑顔を向けると、斗真は曖昧に笑みを返した。
「あのね、斗真。大好き」
曖昧な笑みのまま、彼は少しだけ顔を赤くする。
「何、突然」
照れているのか、それでいて私から視線はそらさない。
「斗真が大好きだから、だからね、」
そう、そのまま。
そのまま私だけを見ていて。
「私が斗真に色を見せてあげる」
私を目に焼き付けて。
「……香代?」
何を思ったのか、彼の表情から笑みは消えた。
「愛してる」
私は彼に向かって笑いかけて、丁度来たトラックの前へと飛び込んだ。
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大きなトラックが彼女にぶつかり何かがはじけた。
大きな音が
はじけた何かが
彼女の、さきほどの笑顔が
嫌に鮮明に俺の記憶に残った。
飛び散ったのは灰色。
黒に近い灰色だ。
──……いいや、これは。
これは、
赤。
事故なんかじゃない。
彼女は今、自ら飛び込んだ。
自殺、したのだ。
最期は笑顔で。
「斗真に、色を見せてあげる」
そう言って、笑顔で。
彼女は俺のせいで死んだ。
彼女は俺のために死んだ。
周りに人が集まってくる。
野次馬、警察、消防。
警察が近くにいた俺に事情聴取をすると話して。
恋人であると伝えると色々聞かれた。
何で自殺をしたのか。
君が側にいたのに。
だから、正直に答えた。
「彼女は俺に、色を見せてくれようとしたんです」
当然、変な目で見られた。
頭がいかれてんじゃないかって。
やけに鮮明に見えたそれは、頭から離れない。
そう、確かにあれは、見えた。
赤だ。
自分に飛び散ったそれも、赤。
見えたよ。
赤が見えた。
香代のおかげで、俺は色を見れた。
ありがとう、香代。
キャンパスにかきかけだった彼女の顔に、俺はredと書かれた黒と白の境目の赤色を塗りたくった。
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