大きな花束を抱えた青年は、慣習のように慰霊碑の前へとそれをおろす。
しばらく見つめてから、ゆっくりと車いすを動かしてその場から離れた。
早く帰らないとうるさい奴らがいるから。
心の中で笑って、青年──刹那は視線を動かす。
慰霊碑のずっと奥の方に、誰かが手を合わせているのが見えた。
彼女の前には、石。
慰霊碑、だろうかあれも。
刹那は気になって車いすをそちらへと進めていった。
がたがたの地面を気をつけながらすすんで、そこへとたどり着く。
文治派の慰霊碑以上に小さく、追いやられている慰霊碑だった。
どこのだろうか、武力派か?
女とぱちりと目が合った。
彼女は、驚いたように目を見開く。
「……こんにちは」
「どうも」
「文治派の方が、どうして武力派の慰霊碑に?」
やはりこれは武力派の慰霊碑なのか。
刹那は納得したように少し首を傾けてから、女を見た。
「よく俺が文治派の人間だったとわかるな」
今更そんなことはどうでもいいのだが。
女は小さく笑って刹那を見た。
「私、貴方に殺されかけたことありますから」
女──真穂は少しだけ横へと移動する。
覚えがない。
そういいたげな刹那を見て真穂は困ったように笑う。
「仕方がないです。私だって、今まで殺した人なんて覚えてないと思う」
見たって思い出せない。
彼女はそう言って視線を目の前へと持って行く。
「私は貴方を恨んだりしてません。そういう時代だったんだから」
彼女の視線の先を刹那は見た。
小さな小さな石が3つ。
リヤン。
犬の名前、だろうか?
八王子久住。
……あの、男の名前は「久住」だった気がする。
曖昧で、断定できないが。
犬はわかる、だけど。
「八王子、は……何故墓が別なんだ?」
慰霊碑に書けばいいものを。
真穂は刹那の言葉に視線を上げる。
「久住さんのお墓は私が勝手に建てただけなんです」
「何で」
「扱いが酷かったんですよ」
どうして、なんて聞かなくてもわかる。
──奴隷だったからだ。
やはり八王子久住はあの男で間違いないようだ。
刹那は理解してから、最後の墓石へと目を移した。
これも酷い扱いをされた人間のものだろうか。
それだけ少し古くて、傷がついている。
「……珠希、?」
書かれていた名前を、声に出す。
「知っているんですか?久住さんの好きな人、らしいんですけど……」
真穂は驚いたように声を漏らした。
八王子久住の好きな人、つまり知り合い。
珠希。
“刹那、さ……知り合いに槇田っている?”
だいぶ昔に向けられた、春樹の言葉。
その当時は、何を言っているのかと不思議だった。
槇田なんて目の前の男しかいなかったし、何故そんなことを聞くのか意味もわからなかった。
いなかったわけじゃないらしい。
「──槇田、珠希?」
俺は、名字を知らなかったのだ。
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