「……は?」
それからの春樹の第一声はそれだ。
状況が理解できない、素っ頓狂な声。
ぱた、ぱたりと刹那の腹から血が落ちているのが遠くからでもわかる。
刹那は腹を片手で押さえながらもう片方の手で女を押しのけた。
後ろ髪を斜めで結ぶ女の手には短刀があった。
赤く染まったそれは先ほどまで彼の腹を突き刺していたのだと容易にわかった。
なんだ、なんだ。
刹那は何か恨まれているのか。
まぁ、心当たりがないかというとありまくりなんですけど。
喧嘩売りジジイだからね、いや、自分からは売ってない。買いジジイだわ。いうほど老けてねぇけど。
ただね、ほら、負けないから、刹那は。負け無しだから。
恨まれはしてると思うんだよ。
周りが喧騒としてくる。
その騒ぎでむつきちがきてくれれば嬉しいんだけど、
俺が。
「なんだ、やるかコラ」
刹那が持っていたコンバットナイフに手を掛けた。
押さえていた手を離したせいで血が再び床に落ちる。
何故不利な状況で喧嘩を売る?馬鹿なの?喧嘩馬鹿なの?
刹那は少し苛立っているようだ。
うん、これなら相手が降参する可能性も──……
春樹は女の顔を見て、目を見開いてからきゅっと口を閉じた。
無意識に、唾を嚥下する。
女は
──笑っていた。
ただ笑っていただけじゃない。
目が虚ろで、死人のような。
狂ったような笑いだった。
あ、やばい。あの人やばい。
彼女がナイフを振るう前に、慌てて立ち上がって刹那を後ろへと引っ張って引かせる。
何すんだ、と言いたげな刹那の腹の傷に強めに触ってやった。
刹那はびくりと揺れて顔を歪めた。
普段気にはしていない様子を見せていた人間でも、やはり傷は痛いもののようだ。
春樹は女をゆっくりと、身を動かさずに見た。
「──……小野寺刹那が、強いって噂だから試したのに、大したことないのか」
女はゆっくりと目を伏せて、短刀を仕舞う。
殺気とかそんなのはない。
彼女に殺気は終始なかった。
刹那も気付かなかったんだから、少しもなかったんだろう。
彼女が纏っているのは、悦楽のようなものだけだ。
「怪我人はどいつだ」
誰かが呼んでくれたのか、助かった。
睦月が現れたことに、春樹は安心して深く息を吐き出す。
睦月は女を見て、表情を曇らせた。
「……安土、調子が良さそうだな」
「あぁ、とても。変な物も襲ってこなくなったんだ」
「虫はこなくなったか……顔色も随分と、悪くなった」
死人が動いていると錯覚しそうな、青白い顔の女……安土はからからと笑う。
ご冗談を、こんなに調子がいいのに。そういいたいようだ。
虫、あの虫か。
ということは、彼女は、安土と呼ばれた女はジャンキーなのか。
彼女がいなくなってから睦月は刹那と春樹の方を向いた。
彼は刹那が痛そうに腹を押さえていたのを見て少し驚いた様子を浮かべていた。
「珍しいな、お前が痛覚を訴えるなんてよ、弱ったか?」
「冗談はよしてください……」
「冗談じゃねぇだろ。脂汗出てんぞ」
「……春樹が、」
俺?
春樹が驚いて自分を指差した。
刹那の視線は、ジトリとしたものだった。
責めるような視線。
「春樹が人の傷口を躊躇なく抉るから」
「うわぁドSなのか槇田、そんな優男みたいな顔して」
「いや抉ってはいねぇよ!?」
抉るというグロい表現になるほど指を食い込ませてはいない。
強く押したくらいだろ。
春樹は慌ててつっこみを入れた。
何にせよ、刹那にとどめをさしたのは春樹らしい。
「痛覚正常。医務室行くぞ」
嫌そうな表情を浮かべたものの今回ばかりは反抗できないらしい刹那が睦月に腕を引かれて歩いて行った。
春樹もそれに続いて医務室へと向かった。
快楽中毒者
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