女の人の悲鳴が聞こえる。
痛い、いたい、イタイ。
苦しそうな声だ。
──誰?
そう声を上げても、自分自身の声は音にならない。
声に近付こうとしても、方向もわからない。
足元が黒い。
小さな虫が這い上がってくる。
ざわざわと、自分の足を這い上がってくる。
「うっ、えっ」
血の気が引いて足を大きく振ってもそれらは離れない。
うわ、うわ、気持ちわり。
「まっ、まっ……ちょっと待って」
その大量の黒い虫は腹あたりから体を食いちぎっていく。
死ぬ、と男は顔を青くした。
イタイ、これは痛い。
痛いどころじゃない、死ぬ。
めのまえにはひめいをあげていたらしいおんなのほねがあった。
むしがじぶんにむらがったことでみえるようになったらしい。
「あっ、う……お゙えっ」
目覚めるなり春樹は胃液を吐き出す。
訳がわからない恐怖だけに溺れた夢に心底不快感を覚えた。
「具合悪いのか」
「あ、刹那……おはよ」
「あぁ。軍医殿のところいったら」
仕事までまだ時間があるから。と興味なさげに呟く。
……そうだなぁ。夢までむつきちわかるかな。
春樹はゆっくりと起き上がって部屋を出た。
床に転がっていたことを考えると、春樹はどうやら酒を飲んで刹那の部屋で寝こけたらしかった。
「むつきちおはー!」
「槇田か。どうかしたか?元気そうだが」
「嫌な夢見ちゃってさぁ」
「夢なんか知るか」
酷い、と春樹は冗談混じりに泣き真似をしてみせる。
睦月は呆れたように溜め息を漏らした。
「ちっちゃい虫がいっぱい這い上がって俺を食うの!まじ気持ち悪いよあれ!」
春樹の言葉に睦月は顔をしかめる。
ゆっくりと春樹に近付いて、身長差からか見上げるように春樹の顔を近くで見据えた。
「えっ、何……?」
「……いや、お前薬でもやってんのかなって」
「やってないよ!?」
「あぁ、目ぇ見りゃわかる」
あぁ、なんだ。目を見てたのか。
春樹は睦月をじっと眺めた。
彼の言葉を待つ。
「最近流行ってんだよなぁ。どこから仕入れてんのかわかんねぇけど」
「時代が時代なだけに仕方ないかもね」
「強くなれる、だとか。んなもんに頼って、強くなって嬉しいのかね」
……まぁ、俺は嬉しいかな。
麻薬って怖いから俺は手を出そうとは思わないけど。
ハイリスク・ハイリターンだよね。
綺麗になれる、
痩せる、
強くなれる、
そんな甘い言葉を並べて、金の為に人を陥れるもんだから怖いものだ。
「お前の夢のそれ、その麻薬中毒者の言ってることと同じだわ」
睦月の言葉に春樹は嫌そうに目を細めた。
やっていないと言うのにも関わらずまだ疑っているのだろうか。
疑ってねぇよ、なんて睦月は呆れたように呟いた。
「お前感受性強いんじゃね?」
適当な軍医の言葉に春樹はもういいよと溜め息をついた。
考える気ないじゃん、むつきち。
無理はするなよ、と最後に優しいと思われる言葉をもらった春樹は医務室を出て歩き出す。
刹那はまだ部屋にいるだろうか。
いつものようにテンションを上げることなんてできない気分のまま、春樹は重い足をゆっくり動かして進む。
刹那の部屋に行っても部屋の主はいない。
どこだ、飯か。
あいつは飯を食いに行ったのか?
食堂に向かえば、案の定。
といってもスープしか飲んでいないけれど。
「お前ちゃんとがっつり食えよ!」
春樹が近付いて叱りつけても刹那は無視だ。
この野郎。年上のくせに子供か。好き嫌いする子供なのか。
お前なんて栄養不足で筋肉が脂肪になってたるんたるんしてしまえばいいさ!
デブ寺刹那になってしまえばいい!
膝で座っている刹那の腹を小突く。
仕返しに春樹は蹴られた。
「今の内に食っとかなきゃピンチの時やべぇんだぞ!」
「いざとなったら野草でも土でも食える」
野草や土を食う前に肉やら魚やらを食してください。
野良犬以下じゃねぇか飼い犬だったくせに。
仕事に行くか。
そういって刹那は立ち上がった。
え、え、とわたわたする春樹を気にしない様子で刹那は食器を片した。
「俺朝食ってない!」
春樹の言葉に、食堂を出ようとした刹那が振り返る。
「時間そろそろやばい──……」
あ、と春樹が声を漏らした。
刹那と女がぶつかる。
余所見するから他人に迷惑かかるんだ。
まぁ、声をかけた俺のせいなんだけど。
言葉を止めた刹那に春樹が首を傾げた。
どうした、そう声を掛ける前に、
ぱたりと
床に赤い血の雫が落ちた。
蠢く悪夢
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