花束を抱え車いすに乗った青年が大きな墓石の前でゆっくりとそれを見つめていた。
そこには、多くの名前が刻まれている。
たくさんの殉死した人間たちの名前が刻まれたそれの前に、青年は大きな花束をゆっくりと降ろした。
「お前、ホントここ好きな」
呆れたような声に、青年は後ろを向く。
「刹那」
刹那、そう呼ばれた彼は車いすに座ったままゆっくりと微笑んだ。
「春樹、お前仕事は?」
「昼休み!弁当忘れたなーって家帰ったらお前いねんだもん」
広い、小さな花が少しだけ咲いた野原にぽつんと置かれた墓石は、何やら追いやられているようにも見えた。
それでも、人のために戦った“人間”を忘れないように。
頻繁に刹那は、花束を持ってこの場所に来ていた。
「足悪ぃんだし1人だと危ねぇからっつってるだろ。エリカちゃんは?てっきり一緒にいるもんだと思ったんだけど」
「エリカなら、ドレス選びにいったよ」
「あぁ、ウエディングドレス」
「そう」
思い出したように春樹は頭を掻いた。
刹那は春樹から目をそらして墓石の文字をなぞっていった。
そこには、知っている者の名前も、あまり知らない者の名前も刻まれているらしい。
まぁあれだけ大人数の軍隊なら、知らない人間がいても仕方がないが。
「お前仕事戻らなくて大丈夫なの」
「はいはい、戻りますよっと。ジジィをお家に戻してからね」
「ジジィじゃねぇ」
春樹は刹那に近付いて、車いすを押し始めた。
くるり、と向きを反転させた時に、2人の視界の先には男女が墓石へと歩いてくる。
「あ、いた」
「うん、いたね」
2人は笑いながら刹那と春樹に近付いていった。
「春樹さん、お仕事終わったんですか?」
「何なのみんなして。エリカちゃんまで俺を除け者にしようとする……!」
そんなわけではない。
そういうようにエリカは苦笑する。
刹那は真顔で春樹を見た。
「……除け者にできたらいいんだがな」
「おい。車いすごとひっくり返すぞジジィ」
刹那の言葉に泣き真似をやめてその人物を睨む春樹。
やめろよ、なんて刹那は苦笑した。
エリカとその隣にいる青年は、2人を見て笑う。
「いいの、あったか?」
刹那は視線を春樹からエリカに向けて。
ドレス、と付け足して首を傾げてみた。
あ、とエリカは言葉を漏らして話を始める。
「はい!」
数年前と比べ、彼女は自然に笑うようになった。
それは抗争が終わったおかげか、はたまた隣にいる青年のおかげか。
どちらでもいいのだけれど、とにかくエリカは幸せそうに笑ってくれるのだ。
「帰りましょうか、お昼、食べましょう」
春樹と交代するようにエリカは車いすを押し始める。
「俺も帰りたい」
「春樹さんは仕事戻らないと……」
「3人に言われたらもう俺は仕事に戻らなきゃいけないのね」
わざとらしい悲しそうな表情を浮かべた春樹は鞄に入っていた弁当に「会社に戻るかぁ」と話しかけていた。
春樹の会社は家の向こうなので、結局途中までは一緒に行くことになるわけだが。
「結婚ねぇ、いいねぇ」
「お前には縁のない話だ」
ばさりと春樹の言葉を切る刹那を見て青年は苦笑した。
今度エリカと結婚するこの青年は、いつだかに刹那が助けた青年だった。
バディのドッグタグを手に持って、悲しそうな、苦しそうな表情を浮かべていたその人。
今はエリカと同様、幸せそうな笑顔を見せる。
抗争が終わって、刹那が目覚めて。
平和になったその国で、当たり前のように3人は一緒に暮らしていた。
家からはいなくならない。
エリカは結婚すると言った後にそう言った。
結婚するなら一緒に住んだ方がいい、そう告げると、
じゃあ彼にここに住んでもらおう、そう馬鹿馬鹿しいことを言った。
刹那は呆れたが、エリカは楽しそうに嬉しそうに笑っていた。
言っただろ、お前にかけがえのない大切な人ができるまで、って。
言ったでしょう、貴方にかけがえのない大切な人ができるまで、と。
反復した言葉に、刹那は苦笑した。
数年前、刹那が泣きながら告げた言葉はまだ生きていたようで。
エリカは当たり前のような顔をして、笑顔を向けてくれたのを思い出した。
一生このまんまだぞ、下手したら。
それでも良いですよ。
本当に?
本当に。
あぁ、それならもうかけがえのない大切な人なんていいかなぁ、なんて刹那は考えた。
というか、エリカと春樹がかけがえのない大切な人なんだから、もう他にはいらないなぁ、なんて心の中で彼は呟く。
もちろんそれは恋愛感情なんかじゃないし、青年からエリカを奪おうなんて気はさらさらないのだけれども。
「娘を嫁に出す気分ってこんなんか」
ネクタイについたピンをいじりながら刹那は口を開く。
「俺は妹を嫁に出す気分ー」
「それでいくとお前は俺の息子か。ねぇわ」
また春樹の言葉をばさりと切って。
刹那は眠いのか小さくあくびを漏らした。
2人の変わらない姿がエリカにとっては嬉しくて。
力強く車いすを押すと反動で刹那が少し浮いた。
「う、わっ」
「あ、すみません」
「……落ちるかと思った」
「俺がやったら殴るくせに!」
「当たり前だ」
刹那さんは、春樹さんに厳しいなぁ。
それでいて、私にはやたら甘い。
子供とかできたらさぞかし甘やかすのだろう。
エリカはそんなことを考えながら笑みをこぼした。
「何笑ってんの」
車いすから、刹那はエリカを見上げて。
さっきの行動のせいで驚かせたのか、不快にさせたのか。
少しだけむすりとした顔を浮かべてかいた。
「だって、」
エリカは笑う。
太陽の光が、彼女の首もとにある花をかたどったネックレスを輝かせた。
「幸せだから」
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生き抜け。それが一番の復讐になる。
― タルムード
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