息が苦しい。
それでも、足を止めることはしない。



走れ。
走れ。
走れ。

奥へ奥へ。



「……っ、は」



あまりにも息苦しくて、春樹はスピードを落とした。




──こんなときばかりは、あの体力馬鹿が羨ましい、なんて。


探している人物を思い浮かべる。




建物の中には死体だらけだった。

両軍の人間が、転がっている。


見知った顔を見かけて少しだけ顔をしかめ、それでも見慣れた顔は見つからない。


もっと奥か、そう考えてゆっくりと足を進めた。



耳に、足音が届く。


誰のものか分からず、春樹警戒を強めた。

見慣れたそいつであればいいのに、見慣れたそいつではないのだろう。




現れたのは、見慣れた人物ではあるが探している人物ではなかった。


党首、そう呼ばれた女。




「……槇田」



党首の呼ぶ声に、春樹は警戒を解かないでいた。



あいつは言ってた。
「党首の命令で刹那を殺す」
微かに聞こえたが、確かに言っていたから。




彼女は悲しそうな表情を作ってみせる。

現状が現状なだけに、わざとらしく見えた。




党首に頭を適当に下げて先へと進もうとする春樹。



止めるような声に、渡される小さな金属。


血塗れになって文字が見えない、ドッグタグの片割れだった。




それはおそらく、いや、確実に探している人物──小野寺刹那のものであることを彼は理解していた。



ギリ、と歯を食いしばる。




「……残念だ」



何が残念、だ。

殺したのは、殺すように命令したのは誰なんだよ。



春樹は持っていたハンドガンを党首に向ける。


彼女は、少しだけ驚いた表情を浮かべた。





「ふざけんな……刹那を殺したのはあんただろ!」




彼自身わかりきっていた。

彼はスナイパーライフル以外はてんで駄目で、ゼロ距離でもないかぎりほぼあたりはしない。




それでも、向けざるを得なかった。

向けないと、やっていけなかった。




「全部聞いてた、あんたが刹那を殺すように命令したってこと、あんたがそいつも殺したこと!通信機を通して!」


「……」



党首は作っていた表情を冷めたものへと変える。



何だ、知っていたのか。
そう言って手を腰に当てた。




「将来敵になったら脅威になりそうな道具は処分するに決まっているだろう」

また、戦争が起きないとはいいきれないから。
その保険のために。


彼女は彼を、その他大勢を、殺したのだ。
今まで彼女のために働いてきた、その人たちを。




す、と。
党首は春樹に銃を向ける。


彼女のような、すらりとした銃だ。




「それを下ろせ、槇田。お前を殺すつもりはない」

「俺は脅威になり得ない、と?」

「飼い主がいれば狂犬でも、失えばお前はただの愛玩犬だろう」



飼い主とはバディのことを言っているのだろうか?

狂犬だの、愛玩犬だの。
そもそも俺は犬じゃない。


春樹は悪態をついて党首を睨みつけた。




「……狂ってるな、お前も」

党首の言葉に、春樹はゆっくりと手を下ろした。


お前も。
他に誰を指しているのかは知らないけれど。



この人は許さない。
殺してやる。

でも、今じゃない。
今殺してしまえば、戦争はまた始まってしまう。



春樹は怒りを押し込んだ。




彼女がいないかのように、背を向けては走り出す。

彼女は追ってくることはない。



奥へと進み、段々と気持ちが悪くなってくる。


少しは慣れたかと思った血の匂いが、狭い部屋に充満してくらくらする。





最後らしい部屋についた春樹。



「……刹那」



名前を呼んでみるが、返事は来るはずもなかった。



死体は折り重なっていて、誰がどこにいるかもわからない。





――何で。
俺は生きてるのに。




春樹は足を進める。死体をかわしながら。


真ん中あたりに、見慣れた格好をした血みどろの青年を見つけた。



「刹那!」




名前を呼んで、揺すぶって。

返事どころか、反応も返ってこない。




触れた手は少しだけ温かくて、これから冷めていくのかと考え春樹は吐き気を催す。



「……お嬢ちゃんと仲直りしろよ。
お前ふざけんな本当に、マジで。
最初から最後まで本当最悪な奴だな。

なぁ……なぁ、刹那」



何で泣いたような跡が残ってんの。

泣いたの?
何で。



お前はさ、
 
死にたかったの?

……生きたかった、の?





青年は濡れていく、春樹の涙によって。




「起きろ、起きろよ、クソ馬鹿」



目を瞑って、下唇を噛んで。
届かないとは、知っている。


現実から逃げ出したいけれど、逃げ出せるほど子供じゃない。
逃げ出してしまえば、後にもっと辛くなるとは分かっていた。



叶いはしないのはわかってるけど。

せめてこれからは、幸せになってほしかったんだ、なんて。
お前に笑っててほしかった、なんて。

思っちゃってたりしたんだよ。



また抗争やら戦争やらが起きたら真っ先にお前は行っちゃうんだろうけど、才能の塊のようなお前は自分の意思に関係なく利用されるんだろうけど。













手を離した、瞬間だった。




ぴくりと、指が動いた。

そのことに春樹は目を見開く。

勘違いか、見間違いか。
はたまた自分が手を離した反動か。




刹那の口元に耳を近付けると、微かに、ほんの僅か、気付かないくらいに呼吸音が届いた。

今にも消えてしまいそうな息だが、確かに聞こえるのだ。



……生きて、いる?

武装した上から心臓の位置に触れたって、鼓動を刻んでるかどうかなんてわかりはしない。


いや、でも。
そうだ、まだ息がある。



死んでなんかいない、生きている。


目の前に倒れているこいつは、生きている。




殺してやるもんか。

楽に死なせてやるもんか。



たぶん、辛いよ。

感情を殺してきたお前にとって、感情を殺さずに、
人間らしく生きることなんて、死ぬより辛い。



でもお前はもっとその辛さを味わうべきだよ。


幼い頃にどんな目にあって、どんなに辛かったかなんて詳しく知らないし、知っていたとしても俺には到底理解できないけどさ。


幸せのある辛さを、味わってみるべきだよ。




春樹は自分よりも大きな人間を抱えるように持ち上げた。

その人は、自分よりもでかいくせに、やけに軽かった。




感情は血に沈む


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