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平和に暮らすためにこそ戦争を起こすのである。
―アリストテレス
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ここに来てから何日が経過したのだろう。
食堂のお手伝いにも慣れてきた。
「エッリッカ!」
お昼時が過ぎて人の流れが減る。
そんなときに美貴ちゃんが上機嫌で私に飛びついてきた。
わぁ、と小さく声を上げて彼女を見る。
「はいっ!給料でたわー」
渡されたのは、茶色い小さめの封筒だ。
「え、私に?」
「そっ、あんたに」
中には、お札。
お金が入っている。
食堂で働いている人は食事をこの場で取るからか、食券は入っていない。
休みの日も顔パスで食べれるし。
「いっ、いいの?」
「もちろん!ちゃあんと仕事なんだから、報酬は出るんよ?」
お手伝いレベルで考えてたから貰えるものとは思ってなかった。
党首も、私のこと嫌そうだったし。
……働いてる、から認めてもらえたのだろうか。
「食堂は人手が足りないから助かってるわ」
美貴ちゃんがニコニコ話す。
そういえば、食堂は給料が少ないとみんな愚痴を洩らしてたっけ。
だから人気のない働き場なのかもしれない。
これだけもらえれば充分だと思うな。
生活が生活なだけに趣味に力を入れよう!とか無理なわけだしね。
「んで、エリカは今日の仕事終わりでしょ?お疲れ様」
あぁ、私今日午前だけだった。
「話してるとこ悪いが、朝食セット頼む」
「あ、刹那さん」
「あぁ、エリカ。おはよう」
「お、おはようございます?」
え、おはよう?
まぁ「エリカこんにちは」って言われても違和感あるけど。
ていうか、もうお昼が過ぎてるのに朝食セット?
朝食セットは9時までですよ。
「もう朝食セットはないですよ、兵士さぁん」
「……売り切れ?」
受付の向こう側に立って首を傾げる刹那さん。
頭にくっきりと寝癖がついていて、表情は眠たげだ。
着ている白いシャツはしわしわだ。
着替えずにそのまま来たのか。
今起きました!と言わなくてもわかる。
今日はお仕事ないのかな。
朝はきっちり起きるイメージがあったけど、案外そうではないらしい。
朝食セットを頼むあたり、おそらく寝ぼけているし。
美貴ちゃんが呆れたように刹那さんを見た。
「売り切れっちゅうか、もう昼過ぎてんで終わってます」
「まだ朝だろう」
「もう2時になるところですけど!?」
その言葉に、刹那さんは掛かっている時計に視線をやる。
時計が指す時間は、1:43。
やっぱり寝ぼけてるよ。
たぶん、短針と長針逆に見てる。
眉間に指を持っていって俯いた。
時間に気付いて、自分に呆れたのか。
「……すまなかった。じゃあ唐揚げ定食で」
寝起きから肉食べるんだ。
あ、私も一緒に食べよう。
「美貴ちゃん、私は塩ラーメンお願いします」
「はい、了解ーしばらくお待ちくださいな」
エプロンを取って食堂の調理場から出て、刹那さんに駆け寄った。
「今日はお休みですか?」
「あぁ。エリカはもういいのか?」
「今日は午前だけです」
そうか、と眠たげだけれども刹那さんは笑う。
頼んだものを渡されて、空いている席に向かい合わせに座った。
春樹さんはまだ寝ているのかな。
「刹那さんも寝坊したりするんですね」
寝ぼけて少しうとうとしていたのは可愛かった……なんてさすがに言えないけれど。
もう26歳の男の人に可愛かった、だなんて駄目だよね。
刹那さんは箸を持ちながら苦い顔をする。
「……昨日夜の訓練が思いの外盛り上がってな。寝たのが日が変わった4時過ぎだったと思う」
さすがに起きれなかったらしい。
普段日が変わる前には寝ている。
変わった後に寝るとしても2時前には寝る、らしい。
しかも訓練の後でしょ、疲れがたまってるよね。
訓練で盛り上がってそこまで延びることってあるの?
寝る前に窓から見える射撃場に人はいなかったから、対人訓練、とかいうやつかな?
対人訓練ってなにするんだろう。
……殴り合い?
「まぁ盛り上がりの原因は春樹が酒持ってきたからだけどな」
盛り上がったって……宴会方向に?
どうやら勝った人間が多くお酒を飲める、と賭けて訓練を始めたらしい。
「飲みすぎたのかもしれない……」
あ、勝ったんだ刹那さん。
強いんだなぁ。
刹那さんは愚痴に近い話を続ける。
安定したように愚痴の部分は春樹さんがいかにアホか、という内容だけれども。
今日の刹那さんはよく喋る。
まだ覚醒してないからか。
喋っていないと寝てしまいそうなのかもしれない。
「ごちそうさま」
空になったお皿を前に手を合わせる。
返却口に置いて、食堂を後にした。
何気なくポケットに手を突っ込むと、茶色い封筒が姿を現す。
あ、そうだ。
お給料貰ったんだ。
「刹那さん、私、初めてお給料貰いました!」
じゃん、と刹那さんの前にそれを出してみせる。
刹那さんは少しだけ寂しそうな顔をしてから、笑った。
「良かったな」
寂しそうな顔された……何で?
せっかく自分でもできることあったのに。
「……でもあまりお金使う機会ないですよね」
「そうだな、俺も金は貯まる一方だ」
売店でお菓子でも買い溜めしようか?
刹那さんは何かを考えるような素振りを見せた後、私に視線を移した。
「お前、今日はもう暇か?」
「はい」
「外に出てみるか」
……え、外?
目を見開くと、補足するように「戦いが起こってる場所じゃなくて、買い物する街」と言った。
街?
そっか、外でも安全な場所はあるんだ。
買い物ができる場所。
お金の使い道があるかもしれない。
「行ってみたいです」
「じゃあちょっと着替えてくるから部屋で待ってろ」
部屋に戻って外にでるために着替える。
普通に買い物ができるのかな。
どうしよう、何を買おう。
あ、そうだ。
日頃の感謝を込めて、刹那さんと春樹さんに何か贈り物をするのはどうだろう。
うん、いいかもしれない。
ノックの音が響く。
ドアを開くと、シャツにパーカーを羽織り、下はスウェットのようなものをはいている刹那さんが立っていた。
名札であるらしいドッグタグは常に身につけているようで、それはきらりと光った。
「行くか」
私に背を向けたその人の後を追うように歩き始める。
歩幅はゆったりとしたものだった。
「街まで結構距離があったりしますか?」
「いいや、家を出たらすぐだ」
そうなのか。
ここまで運ばれた時は意識がなかったから。
それから、ここを出たこともない。
だから私はそのことを知らなかった。
抗争の犠牲になっていない街がある。
こちら側寄りってことは文治派が治めている街、なんだろうな。
家を出ると、冷たい風が吹いていた。
冬も近いらしい。
少しだけ歩くと、懐かしく思えるような景色が目に映る。
お店がまともに機能している、荒れていない街。
当たり前のように、多くの人が外を歩いている。
美味しそうなファストフードに目を向けてみる。
服が飾られたショップに目を向けてみる。
見ているだけで楽しい。
ウィンドウショッピングとかって、楽しそうだと思ってたけど本当に楽しい。
これをウィンドウショッピングと呼んでもいいのかはわからないけど。
「何か見たいものはあるか?」
少しだけ笑みを零して、刹那さんが私の頭を軽く叩く。
「えぇっと」
そうだ。
何にしよう。
思考を巡らせても何も思いつかない。
何を贈れば喜んで貰えるだろうか。
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