誰の名







また知らない所で嫌がらせされたかー。



入学した途端、生意気だとあいつが上級生から目を付けられ、仕様も無い嫌がらせを受け始めてひと月。 

同室の自分はやっとそれに気付いて、あいつの唯一の味方になると決めた。

入学した時の事は今でもはっきり覚えて居る。
あいつを一目見て驚いた。
一瞬くの一志望だと思ったが、違うと気付いてからも目が離せなかった。

同じ年の筈なのに人形の様に整った顔立ち、品の有る振る舞いー。
何より風に靡いてさらさらと揺れる美しい黒髪が何だかこの世の物とは思えず衝撃だった。

その後同室だと分かり嬉しい反面、何を話して良いのかと柄にもなく困惑して、挨拶以外殆ど話せなかった。

勿論あいつには話していない。
(多分殴られるか無視されるかのどちらかだから)

しかし仕込まれた針で怪我をしたあいつを医務室に運んだ日ーつまりお互い思う存分殴り合った日から、確実に距離は縮まっている、と思う。

自分はそう思うのだがー。

「火薬倉庫に閉じ込められて居た」

真っ白な顔を朱く染めて部屋に戻って来たのは半刻前ー。

何時からかとか、どうやって出たのかとか質問していたら、突然畳に突っ伏してしまった。

華奢な体は元々強く無いのであろう、肌寒い火薬倉庫に何時間も閉じ込められて居たせいで熱が出てしまったようだ。

苦しそうにそれでもはっきりと自分の助けに拒絶の言葉を向けるあいつを無視して、所謂“お姫様抱っこ”で医務室に行くのはあの時から二度目であった。

事情を知る新野先生は素早く診察をし、何やら薬を飲ませて自分に部屋で休ませる様に、と言った。
人目に触れる医務室で療養させないのは新野先生の配慮だと理解して、再び部屋に戻り急いで敷いた布団に寝かせる。

目を閉じて細い肩で息をする額に、預かった氷嚢を乗せるとうっすらと目を開けた。

「済まん…文次郎」

「謝るなよ、らしくねぇな」

「私とした事が、ドジを踏んだ…」

ふうっと息を吐いて再び目を閉じると、そのまま穏やかな呼吸に変わって行く。
薬の効果かも知れないが、自分の前でこうも自然に眠りに付いた事実に頬が緩んだ。

それにしてもどうしてこいつに嫌がらせなんてするのだろう。

いや、恐らく憎んでの事じゃ無い。
態度が生意気だとか気に入らないとか最もらしい理由を付けて、要はきっとこいつと絡みたいだけなのだ。

ふと見下ろすとすうすう寝息を立てて眠る顔が綺麗でじっと見詰める。

いつもこんなにも見詰める機会は無いし、とここぞとばかりに顔を近付けた。

「んとに女みたいだなぁ。黙ってれば、だけど」

睫毛長いな。
…ちょっとくらい触っても起きないか。

魔が差して指を伸ばした瞬間ー。

「…ん、…ちゃん、助けて…」

起きたのかと思って慌てて手を引っ込める。
しかし瞳は堅く閉じられたままで寝言だと理解した。

しかしー。

「誰の名前、呼んだんだろ」

助けて、って言ってた。
親だろうか、それとも…友達…?
…こいつに、そんなに仲良くしている奴が居たのだろうか。

「誰だよ…!」

何故だか胸がもやもやして居ても立っても居られず、今後の指示を仰ごうと一旦部屋を出て医務室に向かった。





暫く廊下を行くと上級生たちが見え、廊下の端を歩くようにしていたらあいつの名前が聞こえた。

「お前また立花にちょっかい出しただろう。いい加減やめろよ」

「ちょっかいって火薬倉庫に入れただけだろ。そんなんじゃ全くびびらねーよ」

「何でそんなにあいつに関わるんだよ」

「いや、暇つぶしだけどな。そう言えば今日は誰かの名前呼んでたな。助けて、とかって
。友達なんて居ないのにな」

「うるっせーな!!」

そこで我慢の糸が切れて、気が付けば自分より相当大柄な先輩に殴りかかっていた。

“友達なんて居ないー”

自分はあいつにとって友達で無いと言われた気がして、八つ当たりって奴だろうけど…。

きっとまともに攻撃出来たのは最初の一発だけで、後はやられる一方だったと思う。
隣に居たもう一人の先輩が二人を引き剥がし、自分は医務室に行くように言われて渋々向かった。

中に入ると案の定新野先生に溜め息を付かれ手当てされる。

本当はあいつの事を聞きに来た筈なのに、自分は何をしているのかと頭を垂れた。

「あ、ねぇ…君」

声を掛けられて頭を上げると、自分と同じ一年生の制服を着た赤毛の生徒がこちらを見て居る。

手足に包帯を巻かれて制服は所々破れて居た。

「お前は…」

「僕、伊作。は組の善法寺伊作って言うんだ」

名前を聞いて何となく聞いた事の有る気がした。

「確かお前って、入学式の日に池に落ちて溺れた奴?」

「…あ、うん。それ、僕」

そう言って俯いたがすぐさま顔を上げる。

「君の名前は知ってるよ!文ちゃん、でしょ?」

「…文ちゃん?いや、違う、俺じゃ無い。俺は潮江文次郎…」

そんな風に呼ばれた事は一度も無い。

「え、違うの?だって仙蔵君が…」

あいつの名前が出て来て思わず伊作に詰め寄る。

「あいつが、何だって?」

「う、うん、あのね。火薬倉庫の前を通ったら中からバタンって音がしたから、耳を当てたら『文ちゃん、助けて』って言う声がして…」

「…」

「先生に言って鍵を開けて貰ったら中に仙蔵君が居たの。だから君が文ちゃんなんだって思ったんだけど…」

「…何で俺だと思ったんだよ」

あいつが呼んだ名前がどうして俺だって?

伊作が大きい目を更に見開いた。

「だって君達親友でしょ?仙蔵君は君の前だけ笑うじゃない」

「!」

「だから君が文ちゃんなんだと思ったんだよ」

顔が熱くなるのが分かった。
じゃあ、さっき部屋で呟いた名前はー。

「こら、てめぇ〜!伊作に何やってんだっ!」

突然後ろから背中に蹴りを入れられ倒れた。

見上げると同じく一年生の制服を着た、目付きの悪い奴が仁王立ちしている。

「伊作に何かしたら俺が許さねーぞ!」

「…何だと?勘違いで人に蹴り入れやがって。そんなに喧嘩したきゃ相手になってやろうか?」

そう言って立ち上がると伊作が慌ててそいつの肘を引っ張った。

「ち、違うんだよ、留ちゃん!話してただけだよ。ほら、仙蔵君と同室の文ちゃんだよ、潮江文次郎!文ちゃん、僕と同室の留ちゃんだよ、食満留三郎!」

伊作にそう紹介されてもお互い睨み合ったまま呟く。

「食満留三郎…」

「潮江文次郎…」

何だかこいつとは長期戦になりそうな予感がした。
(実際そうなる事をこの時はまだ知らないが)

その後部屋に戻るとまだ眠りに付いて居る姿に安心した。
多分今、自分が情けないくらいにやけているだろうから。





「何だ文次郎?ニヤニヤして、厭らしい奴だな」

「ちょっとな、思い出し笑いだ。…お前昔は俺の事、文ちゃんって呼んでたよな?あの時は素直な奴だった」

「何だと?…そんな訳無かろう。馬鹿者めが」

間違い無く君が呼んだのは俺の名ー、
それだけでこの六年報われた。
あの一言で自分は救われたのだから、最後まで責任を持てよ。

にやりと笑うと白く細い手がゆっくり伸びて来て、遠慮がちに頭を撫でる。

「…もんじの方が呼びやすいだろう」

ほら、今も変わらない。

「おう、それで良いぜ」

そう言って目を合わせ、二人で笑い合った。


(完結)


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