洗体もそこそこに急いで長屋に戻って彼の部屋の前に立った。

泣いているだろうか―。

ゆっくりと襖を開けると薄暗い部屋の中で文机に向かい、何やら熱心に書き込む後ろ姿が目に入った。

下ろされた髪が白い寝間着の襟元で揺れて居た。

思い浮かんだような姿で無い事に胸を撫で下ろす。

後ろ手に襖を閉めると自分に気付いて慌てて机を片付けた。

「あっ、おかえりなさい!早かった、ですね」

「ああ、そうかな…」

既に敷かれた二組の布団に視線を落とす。
無意識なのか、殆ど距離も無く並んだそれに何だか善からぬ事を考えてしまいそうですぐに目を逸らした。

彼の向かいに腰を下ろし、一度咳払いをして顔を見やると流石に静かに言葉を待っている様子だった。

「さっき言ったけど、どうして私が不機嫌になったか…考えてみたかい?」

期待などしていないし、本当は自分から彼に話してやるつもりだったのだが気になって尋ねる。

ぎゅっと握った手を膝に置いて上目遣いで呟いた。

「…怒らないで下さいね?」

「うん」

「焼き餅、ですか?」

見当違いな事を言われるのは辛いが、はっきりと言葉にされるのも恥ずかしいとは我が儘だろうか。
顔が熱くなるのが分かった。

「もしかしたら、って思ったんですけど、違ってたら恥ずかしいし…。まさか利吉さんが僕の事で焼き餅を妬くだなんて、って…」

「…私が君の事を好きだって、信じられない?」

そう言って頬に触れるとびくりと肩を上げて俯いた。
やはり自分は感情を伝えるのが下手なのだろうか。
不安にさせているのだろうか。

「そうじゃないんですけど、想像もして居なかったし!だから…お見合いの話、わざとしてみたんです」

「…は?」

予想して居なかった展開に伸ばした手は固まってしまった。

「何だって?それは、つまり…」

「御免なさい…っ!利吉さんが気にするかどうか、本当に僕の事を好いているかどうか気になって…すみません!」

土下座の拍子に勢い良く畳みに額を打ちつけ、痛いと呟く声が聞こえる。

まんまと彼の策略に嵌ったのだ。
しかし彼がそんな事をするだなんて思いもしなかった。
意外に考えているんじゃないかと変に感心してしまった。
しかも自分に妬いてもらう為に―。

「…君、狡いんじゃない?」

内心は可愛いと思っているが意地悪くそう言うと、そのままの体勢でもう一度「御免なさい」と呟いた。

「じゃあお見合いはどうするの?」

「…最初から断るつもりでした。今、その文を書いていたんです」

頭を上げて文机に目を遣る。

ひょいと紙を取り上げると「見たら駄目です!」と必死になるので、立ち上がって彼の手が届かない高さで目を通す。
取り返そうと何度も跳び上がっては失敗する彼を横目で見ながら。

『この度の見合いは辞退させて戴きたく…自分には想う方が居るので―』

そのような文章が見えた所で彼に奪われてしまったが、自分の機嫌を良くするには十分な威力があった。

「…本当に君は狡いよ」

何度も跳び上がったせいで肩で息をする彼を引き寄せ力一杯抱き締めた。

「り、利吉さん!?あの…」

恥ずかしいのだろう、腕の中でもぞもぞと動いて居る彼が更に愛おしくなって自然と力が入る。

「…小松田君、好きだよ」

触れる程近く耳元でそう囁くと全身が大きく跳ねた。
みるみる内に耳まで真っ赤に染まって行く。

「…僕も、利吉さんが好きです。だけど…どうしたら良いか分かりません」

そう言って自分の肩に顔を擦り付ける。
ふわっと石鹸の香りがして心臓が高鳴った。

「私に、任せてくれるか?」

声を出さずに小さく頷いたのを見て彼の両肩に手を置くと、ゆっくりと顔を上げて自分を見詰めた。

大きく潤んだ瞳が期待と不安で揺れて居る。

真っ赤にして居る頬に触れ、小さく口付けただけで目をぎゅっと瞑る仕草に一気に体温が上がる。

「…質が悪い」

「わっ!り、きちさん…っ!」

そのまま敷かれた布団に押し倒してしまった。



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mokuji

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