望んだぬくもり | ナノ

んだぬくもり

人もめったに入らない山奥の土地。
ひっそりと人目を避けるように建っているが、雨風をしのぐには十分すぎるほどの家。
【神々の黄昏】が起こった後、前の住人は食べ物を求めてふもとの街へ下りて行ったらしく、人が住んでいた痕跡がそのまま残されていた。

この世界では珍しい快晴の空のもと、九楼撫子は洗濯や掃除に精を出していた。

「よし、この部屋はこのくらいでいいかしら。」

根っからのお嬢様気質ではあるが、過剰に甘やかされて育ったわけでもない。
もともとの真面目な性格も相まってテキパキと家事をこなしていた。

他の者は『目覚めたばかりでいつ倒れてもおかしくないのだから、無理をしなくていい。』と言ってくれたが、その者達は食料や生活に必要なものの調達で忙しいのだ。自分ひとりがじっとしているわけにはいかない、せめて政府に見つかりにくい家の中のことぐらいは手伝わせて欲しい―――という主張が通った結果だった。

しばらく休憩しようと和室の襖にもたれかかろうとしたとき、すぐそばで眩い光が見えた。

相手が誰であるかなど、考えなくとも名前が出る。

「おかえりなさい、理一郎。」

「ああ・・・ただいま、撫子。」

撫子の微笑みにこたえるように、理一郎も微笑み返す。
転送の影響だろうか、少しふらつきながらも撫子のそばに腰を落とす。

「10年前のお前の事故を防いできた。もう大丈夫だ。」

「本当に!?よかった・・・。」

心底ほっとしたような顔を見るだけで、理一郎はすべてが報われたような気がした。




一度は、何もかも手元から無くなってしまったかのように思われた。
10年前の撫子の精神を半ば強引にでも送り返した後、理一郎は有心会の研究所の前で立ち尽くしていた。

「撫子・・・。」

幸せになってくれ。
事故のことは俺がなんとかするから。
この世界のことなど忘れて平和な世界で、10年前の俺と・・・いや、お前を幸せにしてくれるなら誰でもいいから。
幸せに、なってくれ。

もう届くことのない気持ちを心中で唱え終えると、未練を断ち切るように、今自分がすべきことを考えた。

程なくして有心会の者たちが戻ってくるだろう。
今度ばかりは殴る蹴るで済まされないことはわかっている。もしかしたら殺されるかもしれない。
自分はいい。いざとなれば過去へ自身を転送できるから。しかし、自分に協力してくれた研究員たちはそうはいかない。彼らだけでも先に逃がさなければ。

―――それに、こちらの世界の撫子を有心会に置いておくわけにはいかない。

彼らはきっと、撫子を政府との交渉に使おうとするだろう。しかも彼女は眠っているのだ。意識がないほうがより残虐なことも容易になる。

「・・・そんなことさせてたまるか。」

たとえもう、目覚めなくても。理一郎の探していた撫子はこの世界の彼女で、彼のもっとも大切な存在なのだ。
もう目を開けることがないならば、せめて安らかに眠らせてあげたい。その眠りを誰にも邪魔されないようにしてあげたい。

この条件を満たすには、研究員たちに撫子を任せて逃げてもらうしかない。
主犯は自分だから、自分が囮になれば時間稼ぎにはなるはずだ。

「俺はお前を守る。何をしても、何をされてでも。」

強い決意を声に出すと、後ろを振り返り、まだ研究所の中にいる研究員たちに逃げるよう指示をしようとした。

・・・が、ドアノブに手をかけようとするより先にドアが開かれた。

「加納くん。ちょっと・・・いいかな。」

研究所の明かりを背にしているので表情は見えなかったが、その声は疲れ切ったようなものだった。
怪訝な顔をして中に入るとすぐに、理一郎はその原因に気づくことになる。


「あのときは驚いたんだからな。眠ってるはずのお前が起き上がってるんだから。」

「それは私のセリフよ。目が覚めたら知らない人が私をカプセルに閉じ込めてるんだもの。」

あの後詳しく調べたところ、10年前の撫子の精神を送り返したことで脳波に影響が生じ、この世界の撫子を目覚めさせたのだという。
目覚めた彼女は知らない男に囲まれていることにパニックを起こし、普段のおしとやかな印象からは想像できないほど暴れたらしい。

落ち着かせようと努力した研究員たちも困り果て、理一郎を呼び戻すに至った・・・ということだった。

「真剣に『守る』なんて独り言を言ってた俺が恥ずかしい・・・。」

「何か言った?」

なんでもない、と少し不貞腐れて返事をしながら、撫子が持ってきた水を口にする。

「ねぇ理一郎。私にキスしなかった?」

「ぶほっごっほごほごほ!」

「ご、ごめんなさい。大丈夫!?」

なんで知ってるんだよ!と言い返したかったが、水にむせたせいでそれができない。
その上、むせたということはその言葉が真実であると白状しているようなものである。

理一郎が落ち着くのを待って、撫子がぽつりと呟く。

「・・・やっぱりあれは夢じゃなかったのね。」

「え?」

「私ね、本当にちょっとだけ・・・。断片的にだけど、眠ってたときの記憶があるの。ああでも、事故にあってから10年前の私の精神が体に入るまでは記憶が飛んでるから、『10年前の私が入っているときの記憶』って言ったほうが正しいのかしら。」

「ってことは・・・。」

撫子に告白したことも、抱きしめたことも、眠っていたはずの彼女に筒抜けで・・・。
普段クールで落ち着いている理一郎の顔色が赤くなったり青くなったりするのを見て、撫子はつい笑い出しそうになってしまった。

「大丈夫よ。断片的なものだって言ったじゃない。一番鮮明に見えてたのはキもがっ!」

「二度も言わなくていい!」

顔を真っ赤にした理一郎が撫子の口を片手で抑える。
しかし、すぐに心底申し訳なさそうな顔をして・・・。

「悪かった。忘れてくれ。」

「?」

なんで、と撫子の瞳に疑問が浮かぶ。それを見た理一郎は答えるべきかしばし迷った挙句、告げる決意をした。

「10年前のお前は俺が好きだと言ったけど、今のお前が同じ気持ちだっていう保障はない。お前の体なのに勝手に触ったりして悪かった。その償いと言ったらアレだけど、もしお前に好きな奴がいるなら・・・。10年も経ってるしどこにいるかなんて簡単には分からないだろうけど、落ち着いたら一緒に探しに行ってやるから。な?」

撫子の瞳を真っ直ぐ見つめてそう告げた彼の表情は、悲しみと、辛さに満ちていた。
自分が結ばれたのは10年前の撫子で、今目の前にいる彼女ではないと今になって思い知らされたのだ。

撫子の口を解放しようと手をどかした瞬間、彼女の両手が彼の首に回される。
彼が驚いて身動きさえも忘れている間に、撫子の顔が眼前へと迫っていた。

「!?」

唇に温かく、柔らかい感触。
それが唇だと気づいたのは、彼女のそれが離れてからだった。

「なで、しこ?」

「理一郎が悪いのよ?何か勘違いしているみたいだったから、分からせるにはこれが一番いいと思って。」

してやったりと蠱惑的に微笑む様は、10年前の彼女にはできない所業だ。
眠っていたとはいえ、精神的にも大人の女性へと成長を遂げたこの世界の彼女だからこそできる表情である。

「恥ずかしくて告げられてなかったけど、私、理一郎には感謝しているの。」

理一郎の瞳を見つめて、つぶやく。

「ずっと探してくれてありがとう。ずっと守ってくれてありがとう。ずっとそばにいてくれてありがとう。そして・・・。」

すぅ、と深呼吸をする。次の言葉に精いっぱいの気持ちを込められるように

「ずっと私の味方でいてくれて、ありがとう。」

遠い日に二人で交し合った約束。この約束があったからこそ、お互いへの信頼を特別にし、誰も立ち入りできないものにしたといっても過言ではない。

「私ね、理一郎が好き。たとえ理一郎が10年前の私がいいって言っても、絶対にあきらめな・・・!?」

今度は撫子が驚く番だった。理一郎の腕の中に、強く強く、閉じ込められる。
昔から変わらない、よく知った匂いに安心したのか、そのまま彼に身をゆだねた。

「好きだ、撫子。」

ささやく声は優しくて甘い。

「もう怖い思いはさせない。俺がお前を守ってやるから・・・。」

撫子を拘束する力をゆるめ、彼女と視線を合わせる。

「そばに、いてくれ。」

その言葉を聞き、撫子は微笑む。
肯定の意を表すように彼の背中に腕を回すと、また強く抱きしめられる。


静かな山奥で、二人きり。
長年の想いが通じ合ったことに対する喜びと、お互いが望んだぬくもりにただ、酔いしれていた。





―完―

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