雨音が、室内にこだましている。
真っ暗で何も見えない。
そっぽを向いている彼女と雨音だけが、今の自分の五感を満たす全てだった。
「撫子」
呼びかけてみたものの返事はない。
困ったものだと、理一郎は小さく溜息ついた。
事は遡ること数分前。
「なかなか復旧しないな…」
先程の烈しい落雷で停電になってから、かなりの時間が経過していた。
幼い頃から、自分達は不思議と雷雨に縁がある。
今だって、自室で一緒に高校の課題をこなしている最中だったのだ。
課題を終わらせることができないばかりか、この状況では身動きもとれない。
…それに。
暗闇の中、二人きり。
身体は、吐息が触れそうなほど近くて。
こうした状況に、冷静でいられるはずなどなかった。
内心の動揺を抑え切れなかった理一郎は、つい悪態をついてしまう。
「お前が遅刻してきたからこうなるんだよ。早く帰れていたら、困ることもなかったのに」
もちろん悪気などない。
しかし、この言葉が予想外に撫子の機嫌を損ねてしまったらしい。
そっぽを向いてしまった彼女は、以来一度も口を利いてはくれなかった。
沈黙に耐え兼ねて、理一郎は撫子の頭を撫でながら言った。
「いつまでむくれているつもりだ。…悪かったよ」
「……」
「オレはただ、遅くまでお前を家に留めておいたら、親父さんに何て言われるか心配なんだ」
そう弁解すると。
撫子はむすっとした顔のまま振り向いて、理一郎の瞳を真っ直ぐに見据える。
「理一郎のばか」
「え、な……痛っ」
思いっきり、デコピンを喰らわされた。
鈍い痛みに額を押さえながら顔をあげると、いつものように、勝ち気に微笑む撫子の顔があった。
「さっきの仕返しよ」
くすくすと笑う声。
先程までとは打って変わった態度に、なんだか酷く調子が狂う。
「何なんだよお前は…」
恨めしそうに呟くと、返ってきたのは意外な言葉で。
「だって、悔しかったのよ」
「え?」
「…理一郎は、私と一緒にいたくないのかなって」
「バカ、そんなわけ」
「私は、朝までこのままだって構わないのに」
目の前のシルエットが、恥ずかしそうに俯く。
どこまでも甘く響いてきた声は、ほんのりと期待を含んでいるように思えて。
「…っ。それ、どういう意味かわかってるのか?」
返事代わりに、撫子は甘えるように首に手を回してきた。
その仕草は、見たことのない艶やかさをまとっていて―思わず、眩暈がする。
(こいつ、いつこんなのを覚えたんだ…?)
きっと今の自分は耳まで赤く染まってしまっている。
停電に感謝しつつ、なんだか一本取られたような気持ちになって。
悔しいから、無言で唇を奪ってやった。
(終わり)
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