第三章 入隊


「確かに君の思う通りだよ、薊くん。花繚軍の女性たちは、決して能力で劣るわけではない」
「じゃあ……」
「しかし、軍として――いや、国としては、未来のために、花の女性が減るのは困るのだ。意味は分かるかね?」
 青灰の眸が、探るように千歳の眸を窺う。千歳は数秒あってから、理解してあっと声を上げた。
 母になる体を、残すためだ。
 花も蜂も、始まりは偶然の産物に過ぎなかったが、今となってはすっかり遺伝によって受け継がれる能力である。そして東黎軍の、戦力の要だ。男は一人で百人に種を残すことも不可能ではないが、女が一人で産める赤ん坊の数には限界がある。母体の減少はそのまま、東黎の戦力の減少に繋がる。
「だから、少しでも安全なように?」
「そういうことだよ。それでも、いつ巻き込まれてしまうか分からないのが戦争というものだがね」
 諦観を含んで、ナーシサスは微笑んだ。そして切り替えるように、さて、とファイルをめくった。
「後援部隊にも色々と、役割があってね。見張りが主要な任務の隊もあれば、医療が任務の隊もある。衛生兵や看護婦は基本的に一般から募集しているが、花の力は、水を手に入れたり沸かしたりするのにも役立つからね。魔術には幅広い使い道がある。得意なのは?」
「火です。でも、それ以外はあまり」
「なるほど、結構。それなら夜回り部隊でもいいか。ああでも……」
 紙がずっしりと、千歳の手のひらほども挟まれたファイルには、上辺にも横にも実にたくさんのラベルシールが貼りつけられていた。青いインクで記されたそのシールを頼りに、ナーシサスは素早くページをめくっていく。花繚軍の、各部隊の所属名簿のようだ。
 あれやこれや独り言をぼやきながら名簿と睨み合っているナーシサスの前で、千歳はじっと、彼の決断を待ち構えていた。そのとき、沈黙を打ち崩すノックの音が、心電図のようなきっちりとした間隔で三回、響き渡った。
「失礼します、ナーシサス大尉」
 ドアのむこうから聞こえた声に、ナーシサスが勢いよく顔を上げる。驚きと喜びを全面に浮かべた表情で、彼は声の主に呼びかけた。
「ケイ!」
「失礼いたします。――お久しぶりです、大尉。ナーシサス隊所属上等兵、桐尾(きりお)ケイ。ただいま戻りました」
 澄んだ、少年の瑞々しさを端々に残す凛とした声が、花繚軍の制服を着こんだ小柄な体から発せられた。癖のない黒髪の、少し長い前髪の間から、深いブルーの眸が千歳を捉える。
 ケイは先客の千歳に窺うようなお辞儀を一つして、ナーシサスに視線を流した。ナーシサスは請け合うように、快く立ち上がって、二人を交互に手で示した。
「薊くん、こちらはケイ。今聞いた通り、私の部下だ。半年ほど西華での仕事を任せていてね。無事の帰国に立ち会えて嬉しいよ」
「はじめまして」
 千歳は軽くお辞儀をした。
「ケイ、こちらは薊千歳くんという。昨日来たばかりの、カーティス少尉の契約者だ」
「ああ、あんたが」
 噂の、と独り言のように言って、ケイは千歳を頭の先から足の先まで一通り眺めた。どうやら制服ではないので、外部からの来客か何かだと思っていたようだ。内輪の人間だと知ると、態度に少し砕けたところが出て、よろしく、と手のひらが差し出された。
「噂なの?」
「若干ね。ふうん、どんなすごい花なのかと思ったけど、見た目は普通だな。むしろ、ちょっと細いし爪の血色も悪いし、顔色は良いけどまだ芯まで供給が追いついてない感じ。僕より年上に見えるけど、少尉と組むまで契約者いなかったの?」
 ずばずばと見透かされて、千歳は「その通りです」としか言えずに無言で頷いた。多分、あの断花の≠ニいう意味で噂がされているのだろう。
 千歳は実のところ、その断花≠フ一件で契約が怖くなって、一度申請を取り下げてしまっているのだ。女学校を卒業するとき、ネリネと一緒に軍へ血液を送って、契約者募集の申請を出した。だがネリネの死をきっかけに、蜂花の契約にはそんな裏切りもあるのだと知ってしまい、恐ろしくなって取り下げたのである。
 それからH75で生きられるところまで生きてきたが、今年の夏、ついに限界を感じて、改めて申請を出した。つまり、二度目の申請なのだ。元より二年くらい前からH75の効きは悪くなってきていたので、本来契約者を見つけるべきだった時期より、大分出遅れての契約である。
「ケイ、君のほうは大丈夫なのか? 空木くんとはもう会ってきたかね」
 ナーシサスが思い出したように口を挟んだ。
「ええ、先ほど。僕が帰ることを伝えておいてくださったそうで、ありがとうございます」
「なに、当然のことだよ。彼女もずっと心待ちにしていただろうからね」
 空木、というのは誰だろうか。ケイを待っていたということは、契約者か恋人か。話の流れが見えなくなって手持ち無沙汰になっている千歳に気づき、ケイがああと補足した。
「巴……、空木巴(うつぎともえ)は僕の蜂だよ。子供の頃から契約してるんだけど、僕、しばらく西華の軍に忍び込んでたから。久しぶりに会った」
「そんなことができるの?」
「契約した時期が早かったおかげで、H75の抗体がなかったからね。少しくらいなら離れても大丈夫」
「それもだけど、軍に忍び込むなんて。度胸があるのね」
「祖父が西華からの亡命者なんだ、おかげで僕も西華訛りが話せる。軍の他にも街の子供になったり物乞いになったり、何度かやったことがあるよ」
「わ、本当。東黎の言葉とは、イントネーションが違うわ」
「まあでも、今回の任務の途中で、H75が効かなくなっちゃったから。もう行けないと思うけど」
 べえ、と舌を出してみせて、ケイは一度西華訛りにした言葉をまた東黎訛りに戻した。元はひとつの国だったというだけあって、言語の基本は同じだが、発音の強弱は結構異なる。
 生で聞いたのは初めてだ。驚いていると、ナーシサスがあっと声を上げた。
「すまない、二人とも。まもなく軍議の時間だ」
「もしかして、十一時からですか? 急いだほうが良さそうですね」
 振り子時計を仰いで、ケイが言う。ナーシサスはファイルを閉じながら頷いて、
「薊くん、悪いが一時間程度で戻るから、またラウンジで待っていてくれないか。ケイ、君の報告もそちらで聞こう。少しゆっくりしていてくれ」
 千歳はケイと共に、慌ただしく外へ出た。ナーシサスが最後に出て鍵をかけ、ではまた後ほど、と言い残して大股に去っていった。


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