五章 檻の三日間


 見えない世界では、話すということが、一人きりではないことの証明に繋がる。暗い夜の波間に浮かんだ誘導灯のように、久藤くんの声は今や、私の世界を照らすものだった。
 馬鹿げた理論かもしれないが、今の私には、久藤くんの存在が有難かったのだ。久藤くんがいるから、こんな状況下でも一定の落ち着きを保っていられる私がいる。私は彼の存在に支えられて、彼の作り出した状況を乗り切るだろう。
 加害者であり、救済者である彼に対して、私の感情は錯綜している。怒りが喜びに、恐怖が感謝に、困惑が安堵に、殴打されて抱きしめられて、二度と剥がれない粘着性を持って混ざり合ってしまっている。
 ああ、そうか。だから私はこの人を制裁できないのだ。私は今さらながらに悟った。でもその悟りの中にさえ、制裁できなくてよかったと安心する私がいた。
「自分が二人になったみたい」
「どうして?」
「こんなことされても、まだ久藤くんを嫌ってない私がいる」
 お皿を片づけていた音が、数秒、止まった。それからひどく困惑した声で、久藤くんが言った。
「こんなことされなくても、あなたは私を嫌いだったんじゃないの?」
 私は――その質問に、どんな答えも出すことができなかった。空から突然、月が落ちてきたような衝撃で、頭が真っ白に焼けてしまって何も言うことができなかった。
 強いていうなら、考えたことがなかった、のかもしれない。自分が久藤くんのことを、どう思っていたのか。久藤くんから見れば、私は言うことをきくだけの犬。私は、私と彼について、それしか考えたことがなかった。



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