第一幕:黒曜宮の娘


「ここ……」
「最初の夢の中だよ。まだ少し、心が市場から帰ってきてないかな?」
 手をついた床はガラス張りで、下を青や桃色の光が浮かんだ灰色の川が流れている。薄いカーテンの奥に星の点在しているのが見えた。ああ、帰ってきたのだ、とカッシーアは首を振った。
「いいえ、大丈夫よ。もう目が覚めたわ」
「それは良かった」
「とっても楽しかった……、けちね、最後に私を呼んだの、貴方でしょう? もっと長くいさせてくれればよかったのに」
 冗談半分、本気を半分で言うと、夢売りは呆れたように肩を竦める。
「夢の中の時間が、現実の世界と同じはずがないじゃないか」
「え?」
「外はもうすぐ朝だよ。召使が君を起こしに、さっき、北の宮女部屋を出た」
「うそっ」
 思わず、カッシーアは髪に手をやって寝癖を整えた。それから今もまだ夢の中であることを思い出して、ああとかぶりを振った。
「やたらに長い夢を見たり、ほんの短い夢だったのに気づいたら朝が来ていたりしたことはないかい?」
「あるわ」
「夢の時間は、必ずしも現実と同じに流れるとは限らない。むしろ、そうはならないことのほうが多いんだ」
 ウードを抱えて宙に脚を投げ出し、夢売りは詩でも語るように淡々と言った。片手で掲げた髪飾りを眺め、うっとりと目を凝らす。カッシーアには夢売りが、細工や形に惚れ込んでいるのではなく、その目には髪飾りに宿っているという自分の想いが見えているのだと分かって、無性に居心地が悪くなった。夢売りはそんな彼女に気づいて、少年のように笑った。
「まあ、こんな感じでね。あと十一夜だよ」
「ええ」
「夜が更けたらまた会おう。太陽の出ている時間なんて、あっというまだ」
 夢売りの体が、ふわりと高く浮かんだ。そのままカーテンの頭が集合する、三角錐になった天井の暗がりへ、呼び止める間もなく吸い込まれていく。実際、遠ざかっているのは夢売りではなくて、カッシーアだった。床が抜けて、夥しい光の中を落ちて、真っ逆さまに落ちて、
「おはようございます、カッシーア様。朝のお支度を手伝わせていただいてもよろしいですか?」
 召使の声で、彼女は黒曜の眸を開いた。窓の外はもう、明るい日が昇っていた。



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