フラインフェルテ・完結編W

「お前の力は才能ではなく、作り物だ」
「今さら、なんです?」
「だが作り物の力があれば、無力な人間は、無力ではなくなる。私の研究によって、お前のような存在を無限に創り出すことができれば、人は誰もが魔物に勝てる世界がやってくる。魔法使いが独占している力を、分かち合うべきだとは思わないかね。魔法使いに頼らずとも、誰もが自らの身を護ることのできる世界を、作るべきだとは?」
 静かに響く声を聞きながら、私はルミール教会のパンフレットを思い出していた。〈神の力をすべての人に〉――あれは、魔法の力のことだったのだ。アストラグスにおいて、魔法とは希望だ。魔法使いとは、英雄のようなものだ。魔法使いだけが、町を襲い、人を食らう魔物に対して手を打つことができる。
 どれほどの人が、その言葉に奇跡の一滴のような喉の渇きを覚えたことだろう。どれほどの人が誘われ、ここへ来たことだろう。
「結構な理想だとは思いますけど」
「けど?」
「そのために集めた信徒を実験台にして、大量の犠牲も厭わないっていうのは、筋が通らないんじゃないですか。大義名分を掲げたところで、貴方は結局、魔法使いを見返したいだけ。七賢や討伐隊や、アストラグス全土の魔法使いが、魔力を持たない貴方の前に跪くところを見たいだけでしょう?」
「ふむ、お前は私の記憶を見て、誤解をしているね。それとこれとは……」
「違いませんよ。そうでなきゃ、人を護るために人を犠牲にするなんて。あたしに力を与えるために、母を、村を潰すなんて、考えつくはずもない!」
 激昂が、そのまま魔法となって、体から溢れるのを感じた。私は思いのままに、テイラーへ向かって手を翳した。
 記憶の中に、テイラーの見たいくつもの顔がある。敬虔な信徒、素朴な村人、物静かな母。それらのすべてを、テイラーは一度だって、命ある人間として見たことなどない。何もかも、彼にとっては復讐の材料だ。魔法使いという、かつての自分が持っていた力を自由自在に振るう、この世界の最も眩しい場所で生きる者たちへの。
「イヴニン・フレイル!」
 ごう、と渦を巻いて一直線に向かっていった炎の前に、白い影が立ちはだかった。アイギスが展開され、私の魔法は小火か、蝋燭の火でも消すように打ち消される。とん、と灰だらけの素足が祭壇を蹴って、無数の氷の矢が私に向かって放たれた。
 受け止めるアイギスに、響く手応えは重い。一般的な討伐隊の魔法使いと相違ない重さが、びりびりと響いてくる。
「私の〈賢い〉イズ」
 テイラーが静かに、もう一人の私へ向けて言った。
「細胞は死体からでも採れる。お前の姉は、創り直しが必要だね」
「はい、パパ」
 ドン、ともう一振り、氷塊が叩きつけられた。どうにか耐えた私の後ろで、師匠が唱言葉を口にする。テイラーを狙った火柱に、彼女はまたしても踊るように身を投じ、アイギスでそれを防いだ。表情にかすかな焦りが滲む。圧しきれるのでは、という予感がしたが、あと一歩というとき、師匠が苦しげによろめいた。
「どうしたんですか? まさか、怪我してます?」
「おう。何日か前まで風穴が開いてたらしいんだよ」
「はぁ……!?」
「言葉の綾じゃねえぞ。チッ、さすがに響くな」
 鬱陶しげに顔を顰めて、銃を二挺に切り替える。その隙にまた攻防が入れ替わった。目には見えない風の刃を、見えない私の盾が受け止め、二つに割れた風が左右の柱を打ち砕く。
 テイラーが祭壇に備えつけられたスイッチのようなものを押した。途端、その足元が大きく開き、すべて倒したと思っていたキメラが地下から這い上がってきた。思わず目を合わせ、背中合わせに立った私たちの上に、氷の礫や火の粉や灰が、後から後から降り注ぐ。
「病院っ、とかは!」
「中央の病室に閉じ込められてた」
「まさか師匠、今って脱走中……」
「察しがいいじゃねェか。手ぶらで戻れる身じゃねえんだよ、やるぞ」
「どうりで一人だと思いましたけど!」
 アイギスでそれを防ぎ、師匠の攻撃に合わせて解除しながら、私は信じられない思いで叫んだ。そういう事情は最初に言っておけ、と自分の先刻までの態度を棚に上げて思う。
 怪我人だと知っていたら、自分の身を自分で守るとか、階段からは飛び降りさせないとか、もう少しどうにかできていたはずだ。それを言わせない状態だったのが誰なんだ、という話は別にして。
「二人だろ?」
 面白いことを聞いたように、師匠は笑った。
「俺が一人と半、お前が半人前だからな」
「一瞬いい話かと思ったあたしがバカでした」
「今は」
 ごつん、と銃身に背中を叩かれる。どういう意味、と顔を上げた視界に宙から見下ろすもう一人の私がいて、彼女に先導されるキメラの数は、地下から着々と増してきている。取り囲む黒い影を二挺の銃で撃ち抜きながら、師匠が小声で訊いた。
「お前、テイラーをやれるか」
「え……?」
「俺があいつにアイギスを使わせて足止めする。無理ならいい」
 何かを話しているのが聞こえたのだろう。上空から氷の剣が振り下ろされた。キメラの相手に手を取られていた私はアイギスの展開が間に合わず、師匠と二人、左右に分かれて身を躱すしかなかった。石を砕いて深々と刺さった剣の向こう側に、師匠の後ろ姿がひるがえる。
(私。私が、テイラーを……)
 そんなことができるだろうか。固唾を呑んだとき、首筋を掠めた風が背後にあった氷剣を穿った。罅割れ、がらがらと崩れるそれから飛び退った私の前に、同じ顔が降り立つ。
「イズ!」
「っ、く!」
 キメラの群れの向こうから、師匠の声が聞こえた。とっさに発動したアイギスが、氷を纏った足を受け止める。銀の髪に囲まれた顔の、唇が唱言葉の形を刻んだ。途端、降り注ぐいくつもの氷塊に、踏ん張った足が後ろへいきそうになる。
(どうして)
 私は、眼前の私を見つめて問いかけた。
(私と貴方の、何が違うの? どうして貴方は私より、強くなれたの)
 テイラーがそのように創ったのだろうか。しかし記憶の中の彼は、同じ〈イズ〉を創ろうとしていたので、その体が母の胎内ではなく細胞から水槽の中で育てられたという点以外、素材の変更はしていない。
(素材……、鐘楼魚の外皮、それを生成する遺伝子、血液、水竜火竜の髄液、それから……)
 母のお茶に入っていた薬の成分を思い返す。私の力を、そして彼女の力を作っているもの。私の魔法と、彼女の魔法の違い。扱う魔法の傾向や強さ、種類。
 幾度目かの攻撃を防ぎながらすべてを照らし合わせたとき、思い当たる可能性がひとつ浮かんだ。
(まさか)
 背後で爆発音がして、思わず振り返る。無尽蔵に現れるかと思われたキメラを、師匠が一掃した音だった。少し無理をしすぎたのだろう、後ろ姿がぐらりとよろめく。
 やってみるなら今しかない。例え失敗しても取り返しのつく、今しか。
「師匠っ!」
 私は覚悟を決めて、声を張り上げた。その一声の中に、師匠は私の潜めた言葉を聞き取ったようだった。返事の代わりに渦を巻く炎が向かって来て、アイギスを解いた私を掠めながら、もう一人の私を呑みこもうと口を開ける。彼女はアイギスを発動したが、直前まで私と相対していたせいもあって、防御に転じるのが一歩遅くなった。
 寸でのところで防ぎはしたが、態勢を崩して、壁際まで押し込まれていく。
「イズ!」
 喘鳴に似た叫び声に、今だ、と背中を押された気がした。体の奥に眠っている、固い鍵を回す気持ちで、開け、と自分の身に命じる。
(私は、受け入れる。私の中にある、私以外の力を。〈キメラ〉イズ・ファントムを。だから――)
 どくんと、今までに感じたことのない奔流が全身を巡った。冷たい水、あるいは熱気、あるいは内から切り裂くような風が。遺伝子の異なる、数多の魔力が私の中を一斉に駆け巡り、出口を探して暴れ回り、地を蹴った足の先で爆ぜる。
 天井近く舞い上がった私を見て、テイラーがはっとしたように、祭壇を飛び降りた。
(貴方だけは、逃がすものか)
 そのとき、私は自分が一体、どの呪文を口走ったのか覚えていない。
 無意識の檻の中で膨張を続けていた力が、鍵を開かれて全身を巡り、無数の流れとなって閃光のように溢れた。翳した手の先だけでは収まらず、指の先、髪の先、足の先からも噴き上がって、金色に輝く雨を降らせた。
 尾を引く彗星のようなそれがテイラーの胸を貫き、薔薇窓が割れて、七色のガラスが粉々に舞い落ちてくる。
 どの色のガラスよりも速く、その中を落下していく私を、煙草の匂いのする腕が苦しげな声と共に受け止めた。





「――して、――――のため、この度は長期任務となり……」
 彫刻のされた厚い木のドアのむこうからは、七賢の一人、クレーさんの話す声が途切れ途切れに漏れてくる。中央の北と南、二つの棟に囲まれたこの賢者の居住塔は、討伐隊といえども滅多に足を運ぶ機会はない。
 応接間なんて初めて入ったな、と思いながら、無駄に高い天井や絶対に梯子が必要な本棚を見上げる。サスペンダーで吊るされたショートパンツの先の、黒いブーツの爪先で絨毯の模様をにじっていると、向かいに腰かけた七賢が思わずといった表情で笑った。
「なんですか?」
「いや。君は師匠によく似ていると思ってね」
「はあ……?」
「初めてここに呼んだとき、あれはベリルと顔合わせをさせたときだったか、彼女を待つ間にあれも今の君と同じようなことをやっていたよ。緊張しているのかと思ったら、手持無沙汰だったらしい。君にも、チョコレートの二、三粒でも用意しておけばよかったか」
 深い皺の奥の目を緩ませて、マーロウさんは言う。からかわれているな、と感じて気まずく笑い返せば、懐かしかっただけだと温かみのある声が告げた。
「どうかね、最近、南のほうは」
「特に問題はないかと。魔物の数は結構多いですが、新しい動きはありません。民間の魔法使いたちが、水竜の繁殖地の特定に協力したいと言ってくれています。この件は後任のロイに引き継いでもらおうと思っているんですが……」
「ああ、それで構わないよ。ふむ、順調にやってくれているようで、何よりだ――イズ」
 おかげさまで、と当たり障りなく頷く。老賢はそれすらも見通す目で、うん、と頷き返して、礼を言った。
 十九歳、春。私は今、討伐隊として、アストラグスの南方の一角を預かっている。
 二年前、テイラー・ファントムを倒したときの戦いで、私は自分の中にある魔物の力を解放した。人間であろうとしていたのか、魔法使いになることに踏ん切りがついていなかったからなのか、それまで無意識に封じ込めていた力を、あのとき自ら望んで手に掴んだ。
 結果として、私の戦闘力は大幅に上昇した。アイギスに例えられる防御の能力はそのまま、難点だった攻撃の魔法が、Aクラスという判定になった。これは討伐隊の平均値であり、独り立ち、そして入隊に申し分のない判定だ。能力が落ち着くまでの間は様子を見たいということで、一年ほどは師匠の下で生活を続けていたが、十八歳の春、高齢で退職する魔法使いと入れ替わる形で討伐隊への入隊が要請された。
 二年前に明らかになった、私の出生や存在に関する問題は、テイラーを討ったのが私であるという大きな成果のおかげで、中央でも私を〈危険視しない〉という方針で話が進んだ。数週間に渡って検査や尋問、テイラーの記憶に関する報告などは求められたが、七賢はその一定の調査を経て、私を魔法使いとして認める意見でまとまったらしい。
 あの場にいたもう一人の私については、テイラーが倒された瞬間に、彼女も灰になって消えたそうだ。元々そういうふうに作ってあったのだろう、試作のような存在で後世に残すには不安があると判断していたのかもしれないと、科学局は分析する。真意はもう、今となっては誰にも分からない。
 新たな力を得てから、私は自分なりの魔法の使い方というものについて考え始め、今はアイギスを改良しているところだ。アイギスの能力の原型になっているのは、鐘楼魚の魔力と、硬い外皮を形成する遺伝子などで、鐘楼魚はこの鱗を使って敵の攻撃を跳ね返すことがある。私はアイギスに〈防ぐ〉だけでなく、〈跳ね返す〉〈閉じ込める〉〈湾曲させる〉などの動きができないのかを、日々研究しているところだ。
 前例も同じ能力の持ち主もない。模索に模索を重ねるしかないので時間はかかりそうだが、少なくとも〈跳ね返す〉に関しては習得しつつある。
 考えに耽っていると、マーロウさんが静かに口を開いた。
「次の任務地は、危険なところだ」
「竜の巣、ですよね」
「ああ。アストラグスの北方山脈の先にあって、昔から、魔物はその山を越えてやってくると言われていた。今となっては市街、郊外、至るところに棲息地を広げているが、今でもその山を越えてやってくる魔物というのが一定数、報告されている」
「はい」
「魔物はどこから生まれたのか。どこからやってくるのか。おそらくこの竜の巣に、何らかの鍵が眠っているだろう。それを探してもらう仕事だ。家を用意し、二年のあいだ調査に当たってもらいたいと考えている」
「はい、そのように聞いてます」
「当然、多くの魔物と出くわすことになるだろう。君のような若い魔法使いに任せるのは心苦しいが、君の能力があるからこそ、今回の依頼を出せたとも言える」
 ふ、と。マーロウさんはそこで、一旦目を伏せた。厳かにも思える数秒の、春の温い空気に満ちた沈黙の中で、私は自分が厄介払いで遠くへやられるのではないのだということを、その肩の丸みや呼吸の長さに、改めてぼんやりと実感した。
「無事で戻ってきなさい。それが一番の任務だ」
「はい」
「そう、あいつにも伝えておくれ」
 コンコン、と控えめなノックが、彫刻のされたドアのむこう側から響く。さて、とマーロウさんが立ち上がり、私を促した。
「お入りなさい」
 クレーさんの控えめな声が、私を呼んでいる。ソファの肘掛けにかけたハットを手に、シャツのリボンを正して、私は自分が少しだけ緊張していることに笑った。
「失礼しまぁす」
 ドアに手をかけると、かすかに漂ったのは懐かしい煙草の匂い。草臥れた帽子を片側に投げ出して、二人掛けのソファを陣取っていた背中が、驚いたように振り返った。
 ハットを胸に、軽く頭を下げて、私は唇に弧を描く。
「今回の任務に同行させていただくことになりました、イズ・ファントムです。――久しぶりですね、師匠」
 相変わらずですね、と言いたくなる、長さもばらばらに伸びた前髪。赤毛のむこうから私をまじまじと眺めた灰色の目が、面白いものを見たように眇められた。
「ったく、同行者ってお前かよ」
「何か文句でもー?」
「仰々しい引き合わせ方しやがって、誰が来るのかと思ったぜ。おいマーロウ、お前が考えただろ」
 ギッ、とソファを軋ませて師匠が隣の部屋を覗き込む。顔を覗かせた七賢を見て、やっぱりな、と呆れたように煙草を灰皿へ押しつけた。
「半年ぶりくらいか?」
「もっとですよ」
「そんな経つか? お前、しょっちゅう薬送ってくるから分かんねェな」
「師匠が相変わらず無茶してるって、噂に聞くからですよー。あれ作るのメンドクサイんですから、あんまり怪我しないでください」
 言うほどしてねえだろ、という反論は聞き流す。クレーさんがはらはらした様子で見守っている横で、マーロウさんが慣れた様子で笑った。
 肘掛けに膝をついて、久しぶりにその顔を近くで見る。なんだかまた目つきが悪くなったな、いやこれはただの寝不足か、と納得したところで、懐かしいあの家は今どうなっているのだろう、と思った。さぞかし散らかっていることだけは、言われなくとも想像がつくけれど。
「まあ、そういうワケで、あたしなので」
「おう、よろしくな」
「しょうがないから、二年間護ってあげますー」
「調子乗んな、ヒールチビ」
 ごつ、と額にぶつけられた拳を掴んで、片足でその爪先を踏んだ。てめえ、なんて独り立ちしてから久しく言われていなくて、なんだか面白い。結局伸びなかった身長のことを、気にしていると知っているくせに指摘してくる師匠が悪い。
 まあまあ、と宥めるクレーさんの後ろで、窓の下に広がる首都と、彼方の森が日差しに煌めいた。
 アストラグス――ここはかつて、〈誰も住めない〉と呼ばれた大地。生きるは人間、魔物、そして私たち魔法使い。
「何時に出ます?」
「もう準備できてんのか?」
「はい、いつでも」
 闘争の日々にも、光輝く力を。命を、誇りを、希望を。今このときを。
「んじゃ、行くか」
 不敵に笑って楽しみながら、私たちは生きてゆく。



〈フラインフェルテ/完〉

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