04 苺ババロア


 宙に向かって腕を上げて、日差しがとろ、と纏わりつく気配がしたら、春だ。冬、ガラスのように硬質だった日の光が、日毎に柔らかく溶けて、土も家も人も覆い始める。
 近ごろ天気がいいからか、伯爵は今日、冬の間しまってあったテーブルを外に出した。白い、つる草のように細い脚をした、綺麗なテーブル。伯爵がそこにクロスをかけたり、花瓶を置いたりしてお茶の支度をしている間、私は近くに座り込んで薔薇の花びらを拾っていた。風に吹かれて、咲きかけで散った綺麗な花びらを集めて、ポプリにするのだ。このお邸は、庭が広い。その広い庭の、実に半分くらいを、薔薇の花が占めている。
 風が手元に、少し色の違う花びらを連れてきた。顔を上げて、門のほうにその花びらがたくさん散っているのを見つけて、私は一人で駆けていく。
 ひとつめの庭は、お邸の東側に。裏門の隣から正門にかけて、ぐるりと囲むように造られている。つる薔薇やクリーム色の薔薇が私の背より高く咲いていて、間に時々、アネモネやムスカリが植えられていた。花の森は硬く均された土の道で、いったん途切れる。それは正門と邸とを繋ぐ、植物に埋もれかけた、まっすぐな道だ。
 黒い鉄の門の前に、スプレー咲きの赤い薔薇の花びらが散っている。今にも風で外に出てしまいそうなそれを、私は駆けていって拾った。門の左右には朽ちた馬つなぎと、小鳥の彫刻されたポストが立っている。どっしりとした鉄の足元には、ローズマリーやセージ、タイムといった香りのある植物が茫茫と茂っている。
 ふたつめの庭は、正門から邸の西側半分にかけて。ここは私の部屋から見える庭だ。東と同じで、クリーム色の薔薇がこぼれるように咲いている。隅や辻にセージが植えられていて、奥にひとつ、枯れた噴水があった。
 噴水の中には綺麗な花びらがたくさん溜まっている。私は特別に綺麗なのを一掴み選んで、邸をさらに西へと回った。
 古い、小さな木の柵を肘で押し開けて奥へ進む。ここから先は、人に見せるための庭ではない。檸檬の木を一本と、アーモンドの苗を境にして、菜園が広がっている。キャベツやラディッシュに交じって、苺の実がいくつか生っていた。採ったばかりなのだろうか。赤いのはない。
 ざわりと、檸檬の木のほうから風が吹いてきた気がして、顔を上げた。途端、今度は後ろで水を撒く音がして振り返る。鉄製の如雨露が苺の上に水を降らせ、奥の土地で鍬が土を耕していた。
 邸の西側の奥には、色々なものがいる。菜園では農具がひとりでに仕事をする。何がいるのか、姿は見えない。
 じっと見ていると、いたずらに帽子のリボンをほどかれて、私はやめてと腕を振り上げた。くすくす、笑う声がする。ぬるい風を切ったような、不思議な感触がある。彼らは私を面白がって、わざと足元に水を降らせたり、髪をそよがせてみたりする。花びらをこぼしながら足早に歩いていくと、水車小屋の前で透明な手が頭を撫でた。振り返ると、もう何の気配もしない。檸檬の木の陰で、誰かがくすくす笑っている。
『Je t’aime pour toujours,Charlotte.』
「え、なに?」
『Je t’aime pour toujours…』
 笑い声の中に、何か言葉らしきものが聞こえた気がして聞き返したのだけれど、それは私の知らない言葉で、何を言っているのかは分からなかった。戸惑っているうちに、また笑い声にかき消されて聞こえなくなっていく。
 その声が、ぴたりと止んだので、私は後ろに立った人の存在に気づいた。
「……伯爵」
 私の肩に手を置いて、伯爵がそこにいた。檸檬の木を見据えて、それからぐるりと菜園を見渡す。透明なものたちは、伯爵が来るといつも静かになる。でも伯爵は、彼らのことを知らないわけじゃない。
 伯爵の視線が、私の手を向いた。
「薔薇を拾っていたら、お邸を一周していたの。……勝手に歩いたらいけなかった?」
 シルクハットが左右に振れる。伯爵は少し迷って、それから思いついたようにブルーのジャケットを脱ぎ、両腕に広げて、私の前に膝をついた。
 薔薇の花びらを、置いていいと言われているのだ。
「ありがとう。これね、ポプリにするの。できたら、伯爵にもあげる」
 こくりと、シルクハットが頷いた。
 片手にジャケットを持った伯爵に手を繋がれて、菜園に背を向けたとき、私のワンピースの裾を誰かが引っ張った。振り返れば、地面に花びらがいくつか落ちている。菜園で私が落としてきた、薔薇の花びらだった。私はそれを拾って、一枚、風にのせてあげた。
 裏門を越えると、そこはもうお邸の東側だ。リビングのある角を回り込むと、テーブルが見えてきた。白い椅子が二つ並んだ丸テーブルの上には、白薔薇を切って挿した花瓶がひとつと、薄紅色のババロアがふたつのっている。添えられている真っ赤な苺を見て、私は菜園で探した宝物が、まるで先回りして待っていてくれたような気持ちになった。
 伯爵がティーポットを傾ける。私は貝殻のスプーンを取って、角砂糖をひとつ、水面に落とした。



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