03 カラフルゼリー


 伯爵は趣味で映画を観る。仕事も本の翻訳家だし、物語が好きな人なのかもしれない。パパは冒険小説が好きで、よく読んでは私にお話を分かりやすく聞かせてくれたけれど、伯爵は喋らないから、私が読むのはもっぱら一人で読める絵本になった。代わりに、映画は前よりも観るようになったと思う。伯爵が映画を観るときに、私も招くからだ。
 シアタールームは邸の一階、正面東側の張り出しにある。伯爵の部屋の真下だ。同じ張り出しが西にもあって、一階は書庫、二階は私の部屋になっている。水曜日の夕方になると、私と伯爵はまるで出かけるみたいに服をきちんとして、この東と西の部屋から出てきて、中央にある階段の前で落ち合い、一階のシアタールームへ行く。
 水曜日は、一週間の中で特別な日だ。伯爵はシアタールームに、山のようなサンドイッチを作って運び込む。冷やしたレモン水やアイスコーヒーがポットごと並べられて、私たちはソファに座って、映画を観ながら夕食をとる。
 こんな食事の仕方があるなんて、考えたこともなかった。最初はとてもびっくりして、伯爵が私のお行儀を試しているのかもしれないとさえ思った。でも、一度知ってしまうと、これはなんて楽しいことなのだろう。
 シアタールームは黒いカーテンが壁を一周していて、上部にだけ、赤い短いカーテンがたっぷりとたわみながらかかっている。金のタッセルつきのロープが、それを角々で留めていて、部屋全体が小さな舞台の内側のようだ。小さな映写機とスクリーンがあって、フィルムは厚いガラス戸のついた戸棚の中に、さらに厚い木の箱にしまって、いくつかに振り分けられている。
 伯爵は蝋燭の小さな光を頼りに、慣れた様子で、三本のフィルムを出す。私たちは水曜日、三本の映画を観るのだ。サンドイッチを食べながら一本、レモン水とアイスコーヒーでくつろぎながら一本。そうして最後に、特別なデザートで一本。
 それが銀色のトレーにのせられて部屋に入ってくると、私はいつも、胸がきらきらしたものでいっぱいになる気持ちがする。
 座ってじっとしていられなくて、立って、トレーの上にある二つの器を見る。鈴蘭を上向けたような、膨らんだ底に細い脚をつけたガラスの器。薄めたシロップで満たされていて、色とりどりのゼリーが詰まっているのだ。
 青や赤、緑、紫に黄色、桃色。真四角に切られたカラフルなゼリーは、中にひとつか二つ、星形を隠している。でも外からは見えない。細長い、銀のスプーンでひとつずつ掬って味わううちに、忘れたころになってぽろりと出てくる。
 伯爵がトレーから、八角形の星の形のコースターをテーブルに置いた。私は待ちきれなくて、それを二人の前に並べた。深緑と生成りのストライプ模様をした袖が、恭しい手つきで、私の前にゼリーを置く。手の甲から先が、生成りのレースで編まれた手袋をしている。伯爵の指の影は、蝋燭に照らされて、カラフルなゼリーが作る色とりどりの影を網目模様に切り取った。
「最後は、何を観るの?」
 伯爵はこのゼリーを、水曜日のデザートと決めていて、朝からキッチンに立ってこっそり準備をしている。そして三本目の映画の前に、冷蔵庫で冷やしてあったのを出してくるのだ。レモン水やアイスコーヒーはぬるくなってもお構いなしだけれど、このゼリーだけは、きらきらの見た目に似合う冷たさでなくてはならない。
 蝋燭の光で見ても綺麗だけれど、映画が始まって部屋に光が増えると、もっと綺麗になる。私はそれが楽しみで、三本目の映画をせがんだ。伯爵の手が、映画の宣伝チラシを差し出す。白い帽子の女の人が、立派なお城を背景にして石畳の道の上に立っている。その手には一輪の薔薇が握られている。どうやらラブロマンスのようだ。
 伯爵は色々な映画を観る。冒険ものも歴史ものも、悲しいのも楽しいのも。でも、最後に観るのはいつも、明るい映画だ。そしてその映画の傍らには、決まってカラフルなゼリーがある。
 フィルムがジーッと音を立てた。スクリーンの中で、制作会社の名前が浮かび上がって、ゆっくり消え、街の風景と共に女性が動き出す。
「いただきます」
 白い光に照らされたゼリーは、白いタイツを履いた私の膝まで、色とりどりの影を飛ばしていた。伯爵が頷く。襟元で、赤いブローチが輝く。
 器もスプーンもシロップも、何もかもが冷たくて、その中から掬い上げて口に入れたゼリーは幻のような甘さだった。青も桃色も紫も、全部同じ、まばたきの間に消えていく甘さ。
 伯爵がスプーンに手を伸ばした。スクリーンの中で、女性が微笑みかける。綺麗で、若くて、少しママに似ていた。この人の髪は、目は、何色なんだろう。
 ぽちゃんと、シロップが音を立てる。
「伯爵?」
 見れば中に、さっきまで見当たらなかった星がひとつ、沈んでいた。呼びかけても、伯爵はこっちを向かない。ただ、映画に見入っているかのように、前を向いている。
「……いいの?」
 訊ねれば、やっと小さく頷いた。
 その日、私は星を三つも食べて眠ったせいか、胸の奥がいつまでもきらきらしている気がした。



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