14 アニバーサリーケーキ


 暖炉に火を灯すと、手前に広がる絨毯の一番外側のハチドリは、煌々とした明かりに照らされて白い風切り羽を橙めかせる。命が灯ったように、部屋の中は一斉に目を覚ます。暖かく、明るく、伸びあがっては縮む私の影も、生き生きとして見える。
 白い長袖のワンピースをひるがえして、私は高く上げた脚をハチドリのあいだに下ろした。爪先は静かに、回るときも丁寧に。最近、夜はリビングで仕事をするようになった伯爵の傍で、一時間くらいバレエの練習をするのが日課になっている。疲れたら絵本を見せてもらう。伯爵も疲れたら、二人で休憩にする。
 藍色の靴下が花のあいだを軽やかに跳び回るのを見ながら、私は先生に聴かせてもらった音楽を思い出して、鼻歌をうたった。いま習っているのは、花の精になる踊り。春に開かれる発表会へ向けて、練習を重ねている。
 ふわりと、ジャンプが今までで一番綺麗に決まったとき。テーブルの向こうから、ぱちぱちと手を叩く音が聞こえた。
「伯爵」
 見てたの、と笑うと、褒めるように頷く。今日も今日とて、華やかな、白地に紺色のリボンをかけたプレゼント箱のような帽子をかぶっている。伯爵は様々な色を着るが、どうも白と紺が特別好きらしい。自分の服でも、私の服でも、つい選びがちな色のようだ。
 今日は私も、似たような格好だ、と自分を眺める。練習に立つ前は、これに紺のカーディガンをはおっていた。
「休憩にするの?」
 訊ねると、伯爵が頷いたので、私は椅子の背中にかけてあったカーディガンに袖を通した。今日のバレエはおしまい。続きはまた明日だ。
 少し前からキッチンにこもっていた伯爵が、奥から何かを両手に抱いてやってくる。テーブルを拭いていた私は、なあに、とそれを覗き込んで、思わず目を瞠った。
 真っ白なクリームで、彫刻のように繊細な装飾を施されたそれは、立派なホールケーキだった。二人で食べるには夢のように大きくて、ヒヤシンスのテーブルランプに照らされて、大小さまざまなアラザンが雪のように輝いている。数えきれないアラザンの中央に、マジパンで作られた大ぶりの薔薇の花が、桃色やクリーム色、いくつも身を寄せ合って咲いている。側面には砂糖漬けにした菫の花が、大粒のアラザンと一緒に、クリームの下から芽を出してきたかのように並んでいた。
 こんなケーキ、誕生日にしか見たことがない。
 でも、今日は誕生日でも何でもないはずだけれど、と首を傾げる。何のお祝いであるのかは、伯爵がケーキの正面を私へ向けたときに、やっと分かった。
 大きな薔薇の根元から、周囲に広がった蔓のあいだに、チョコレート色のマジパンで〈1〉という数字が書かれている。
「一周年……」
 私ははっとして、カレンダーを思い出した。
「ここにきて、今日で一年だわ」
 よく分かりましたと満足したように、伯爵が大きく頷いた。私は嬉しくなって、座りかけた椅子から腰を浮かせて、花で彩られたホールケーキをめいっぱい眺めた。
 すっと、伯爵がシルクハットに手をかける。
 彼は静かにそれを脱ぐと、つばの上に作った大きな紺色の蝶結びの中心にあった、淡い紫色の石を外して、私に差し出した。
 驚きながらも受け取ると、手振りで裏返してみるよう促される。言われるままに裏返して、気づいた。ブローチになっているのだ。
 まさか、と予感が胸を走って、台座に指をかける。一度、伯爵を見上げると、彼はそのままやってごらんというように頷いた。立てた指の先に、ほんの少し力をこめる。
 まだ新しい金属の台座が、重い瞼を開けるように、ゆっくりと開いた。
「これ……」
 中に収められていた、小さな写真に息をのむ。それはあの、旅行かばんの蓋の裏に描かれた肖像画の元になった、私とパパとママ、三人の写真だった。
 残っているのかどうかさえ、私でも知らなかった。売り払われた邸のどこかに残っていた写真を、探し出してくれたのだろうか。言葉が出てこなくて、潤んだ目の先で、何かがきらりと光る。
 石の裏側、台座の、写真と合わさる内側の面に、小さな細い字でメッセージが彫刻されていた。
〈偉大な貿易商ウィリアム・ヴェンシアとその妻ナタリー・ヴェンシア〉
〈息女キャロル・ヴェンシア――私の娘へ〉
〈末永く愛をこめて〉
 針金で刻んだような細い文字で、最後に伯爵の名前が入っている。台座を閉めて、ブローチを胸に抱きしめ、私はカーディガンの襟元に針を通した。
「……似合う?」
 問いかけると、伯爵がそっと頷く。
「ありがとう。宝物にするね、パパ」
 懐かしい言葉が、喉の奥から目を覚ました気がした。
 銀色のナイフが、ケーキをまっすぐに切り分けていく。お祝いを始めよう。一周年のお祝いを。私とこの人が巡り合った、幸福な運命を、共に食そう。
 フォークを手と手に、私と伯爵は、顔を合わせてちょっと笑った。
「――いただきます」
 以上が透明伯爵と、彼の一人娘、キャロル・ヴェンシアの話。



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