13 キャンディクッキー
ピクニックへ行くから、マフラーをしておいで。ある晴れた日の午後、伯爵が思い立ったようにそう言ったので、私はクローゼットから白いマフラーと手袋を取ってきて、ラベンダー色の、肩布つきのコートをはおった。アイボリーのベレー帽を斜めにかぶって降りていくと、外にはもう馬車がついていて、伯爵も荷物を用意していた。
もしかしたら、前々から出かける予定でいたのかもしれない。なんとなく、そんな気がした。
馬車は私たちをのせて、郊外へ向けて一時間ほど走った。駅の反対側へ行ったのは初めてかもしれない。初めは農村にぽつりぽつりと建っていた家も次第に数を減らして、ついには木立になり、荒れた草むらになり、丘になった。
夕方また迎えに来ると言い残して、馬車は来た道を戻っていく。静かな、草の揺れる匂いだけが広がる丘だ。伯爵は私の手を取って、並んだ丘の、一番小高いのを目指して登り始めた。枯れているようで枯れていない、地面を這うような草ばかりが生えている。私はごく稀に咲いている黄色い花を摘みながら、頂上について、顔を上げた。
太い合歓の木が一本、乾いた幹を風に晒して佇んでいる。その足元に、ひっそりと、合歓の木に守られるようにして、真四角な灰色の石が座っていた。
伯爵がゆっくりと、そこへ近づいていく。
「これ……」
正面に立って、ようやくそれだけ、口にすることができた。
伯爵がその先の言葉を、心の中で聞いたみたいに頷く。そこにあったのは、お墓だった。大きくて立派だけれど、とても素朴な、切り出した石をただ置いたような、飾り気のないお墓だ。
伯爵が手を離したので、私は駆け寄って、手を触れてみた。ひんやりとした石の表面には、砂が積もっていて、払うと灰色が鮮やかになる。名前が彫ってあるのがぼんやりと見えて、まだこんなに砂が積もっているのかと一所懸命に払ったが、何度か触っているうちにそれが、砂で見えにくくなっているのではなく風化しているのだと気づいた。
石に彫られた文字の周りが、雨風にさらされて、削れてきているのだ。ほとんど凹凸のなくなった、途切れ途切れの文字がある。
「キャ……、違う、シャーロット……アンダーソン?」
名前らしき文字の列を、ようやく読み解いたとき、私ははっとして振り返った。シンプルな黒のシルクハットをかぶった伯爵は、静かに頷く。シャーロット・アンダーソン。アンダーソンは伯爵の姓だ。そして、シャーロットという名前の響きは。
――Je t’aime pour toujours,Charlotte.
合歓の枝を一本手折って、伯爵はお墓をぐるりと囲むように、そう記した。つる草のように細長く、脚を伸ばして書かれた文字の周りに、慣れた様子で薔薇の花を描いていく。お墓の周りはみるみるうちに薔薇の花でいっぱいになって、私は一歩下がって、まじまじとそれを眺めた。
1719――名前の傍に、そう彫ってある。日付は霞んでしまって、もう見えない。
合歓の枝を置いて、伯爵が戻ってきた。そうして襟にいつもつけている、あの赤い石のブローチを外すと、台座を開いて私の手のひらに差し出した。
中に入っていたのは、一枚の写真だった。セピア色の写真の中央で、淡い色のまっすぐな髪をした女性が、アーモンド形の目をこちらに向けて笑っている。一目見たとき、私は分かった気がした。伯爵がどうして、見ず知らずの私を引き取ったのか。
「伯爵の、奥さん?」
シルクハットが、こくりと頷く。
「似てるね。……私、この人の娘みたい」
髪も目も、その顔立ちも。知らない人に見せたら、親子だと思われそうなくらい似ている。本当のママよりも、似ているのではないだろうかというくらいに。
押し黙ってしゃがんだ伯爵の手にブローチを返して、私はそっと、シルクハットのふちにキスをした。伯爵が驚いたように顔を上げる。
「私でいいの?」
問いかけると、黄色い花を持った私の両手を、伯爵が両手で包んだ。大きくて温かくて、気がついたら「うん」と笑っていた。
私はその花を、お墓の周りに全部飾った。土に書かれた名前の上に、いくつも黄色い花が咲いた。
伯爵と私はそれから、丘を歩いて散策したり、座ってクッキーを食べたりして馬車が迎えにくるまでの時間を過ごした。中心に飴の入ったクッキーは、冬の光を反射してステンドグラスのように輝く。薄くて脆くて、口の中で薄氷のように罅割れる。
私たちは馬車に乗るまでほとんど喋らなかったけれど、退屈でも淋しくもなくて、ただぼんやりと今日の日溜まりのような温もりの中にいた。お邸に帰ったら、菜園に行こう。私は馬車の横の窓から、遠ざかる丘を見て、そう思った。
[ 13/14 ][*prev] [next#]