12 三段ホットケーキ


 伯爵が熱を出した。急な仕事の話だとかで、一人で慌ただしくベンバートへ行った日、通り雨に降られたのが原因のようだ。いつもはお洒落にジャケットを着こんでいる伯爵が、今朝はパジャマ姿で出てきたもので、それはもう驚いてしまった。体が重くて、着替える元気がなかったらしい。
 心配する伯爵を部屋に寝かせて、私はパンとミルクで朝ごはんを済ませ、お医者さんに電話をした。来るまでのあいだに、さて伯爵のごはんはどうしよう、と考える。準備にかかったころ、ちょうどお医者さんが到着して、伯爵を一目見るなり解熱剤をぽんぽんと選んだ。
 冷たい水を飲ませてあげるといい、と言われて、ちょうど冷蔵庫に入っていたレモン水のポットを持っていく。申し訳なさそうにする伯爵に、ちょっと待っててねと言って、私はお医者さんを見送ってキッチンへ戻った。
 小麦粉、牛乳、卵。お砂糖、バター、ベーキングパウダー。踏み台を抱えて走り回り、冷蔵庫や戸棚を開けて、両手に材料を引っ張り出す。計量カップと泡だて器、それにボウルが必要だ。伯爵はいつもどこから出していたっけ、と考えながら引き出しをいくつか開けてみると、探し物はすべて見つかった。
「よし」
 エプロンの紐を交差させて、蝶結びにする。踏み台を持ってきて、それでもまだ少し高いキッチンの上に、私はボウルを置いた。
 ホットケーキを作るのだ。お邸の朝ごはんの、実に半分はホットケーキである。残りの半分はサンドイッチなのだけれど、私はまだ、サンドイッチを一人で作れたことはない。
 ホットケーキなら、伯爵が横に立って手伝ってくれながら、どうにか焼いたことがある。あのときはできたのだから、きっと大丈夫だ。ボウルにバター以外の材料を入れて滑らかになるまで混ぜ、フライパンを火にかけた。バターを切り忘れていたことに気づいて少し焦ったが、すぐにナイフを見つけて、一切れをフライパンの上へ落とした。
「えっと……」
 溶けたバターが、フライパンの上でぱちぱち鳴り始める。伯爵の作り方を思い出して、重いフライパンを火からおろして冷まし、もう一度火にかけて生地を流し込んだ。そういえばどうして、わざわざ一回冷ますのだろう。今度、ちゃんと訊いてみよう。伯爵の元気があるときに。
 そうこうしているうちに、生地の表面に泡が出てきた。上手くいくかな、と躊躇いながら、思い切って引っくり返す。
 じゅっと音がして、甘い、いい香りが一斉に広がった。生地は少しこぼれて、フライパンのふちに流れた。自信のなさが、手元をもたつかせたせいだ。でもどうにか火は通っているようで、厚みは出ているし、きつね色もしている。
 それからまた四苦八苦しながらも、私は一人で、合計三枚のホットケーキを焼きあげた。それを戸棚の一番右側にある、白いお皿の上に重ねる。一枚目は端がこぼれたいびつな形。二枚目は生地が少なかったのか、他の二枚より小さい。三枚目は、二枚目が小さかったせいかやたらに大きくて、重そうだ。片面は綺麗なのだけれど、片面は焦がしてしまった。私は少し考えて、綺麗な面を上にして、先の二枚に重ねてのせた。
 頭でっかちなホットケーキを、いざ、持っていこうとしたところではっと気づく。クリームがない。私は、ホイップクリームを作ったことはないのだ。やり方は伯爵のを見て知っているけれど、一人でできる自信はない。迷った末、冷蔵庫を開けるとキャラメルソースが入っていたので、そちらを使うことにした。
 両手はお皿を持つだけでいっぱいになってしまうから、ソースはここでかけて持っていくことにする。ひとまずいつものように、メープルシロップを。色が茶色ばかりでつまらなかったので、裏口から菜園を見に行ったが、ちょうど採れそうな果物は何もなかった。仕方ない、諦めてキャラメルソースを斜めにいっぱいかける。
 これでいいかな、と完成したホットケーキを見下ろして、私は待っている伯爵のことを考えた。
(……元気になってほしいな。それでまた、いつもみたいに)
 置こうとしたキャラメルソースを、もう一度逆さにする。
(いつもみたいに、二人で暮らすの)
 キャラメルソースが、細い口金から溢れた。私はまるで、絵を描くような気持ちで、ホットケーキの天辺に〈パパ〉と書いた。
 書いてから少し迷ったけれど、階段を上って、伯爵の部屋をノックする。ドアを開けると、横になっていたのか、伯爵がベッドに体を起こした。
「伯爵、あのね。これ」
 その体が驚いたように背中を伸ばす。広い絨毯の上を、両手でお皿を持って、私は転ばないように早足で歩いた。
「お腹が空いてると思って、焼いてみたの。クリームは作れなかったから、キャラメルソースをかけたんだけど、どうかな。……伯爵?」
 ぐらぐら、頭が重くて今にも倒れそうなホットケーキを差し出す。とっさにと言った様子で受け取った伯爵は、後から差し出したフォークを受け取ろうとせず、じっと押し黙った。どうしたのだろう、と覗き込むようにその顔を見上げる。
 私は、静かに息をのんだ。伯爵の透明な頬を、透明な何かが一筋、伝っていた。
「伯爵?」
 驚いて、何も言えずにいる私の頭を、伯爵の手がそっと撫でる。布団に落ちて染みた透明なそれは、確かに涙の粒だった。



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