11 琥珀糖


 そのお菓子は、ポピーのような薄くて紅い紙を貼った小さな長方形の箱に収められていた。水色、桃色、黄色、白、薄紫。たくさんの色があるけれど、どれも触れたら壊れそうに淡い。
「学者をやっているお客さんが、手土産にと持って帰ってきてくれたものでしてね。ここから船で東へ行った、島国のお菓子だそうで」
「へえ……」
「たくさんいただいたので、常連さんの何人かにはお配りしているのですが、一目みたときお嬢さんの顔が思い浮かびましたよ。お気に召していただけましたかな」
 かっちりしたベストから伸びた、糊の効いたシャツの先で、銀食器を磨きながらマスターがにこっと微笑む。私はこくこくと、何度も頷いた。マスターの頬の長い皺が、いっそう深まって見えた。
 琥珀糖、というそうだ。伯爵の仕事についてきて、いつものカフェに足を伸ばした私に、マスターが常連さんからのお土産を分けてくれた。私にくれるつもりで取ってあったようだ。箱の脇に、小さくペンで〈ミス・キャロルに〉と記されている。
 インクの滲んだその文字も、薄い紅い紙も、その紙からかすかに漂う海や、どこか知らない土地の香りも、何もかもが私をどきどきさせた。宝物みたいなお菓子をひとつ、ヴェロアの手袋を嵌めた手で摘み取る。
 黒い指の間で、私の選んだ薄桃色の結晶はほんのりと光を放って見えた。何度も角度を変えて眺めてから、そっと一口、歯を立てる。鉱石をかじるような硬さを想像していたが、外側がしゃりんと音を立てて崩れると、中は柔らかなゼリーのようだった。思わず、かじった断面を見る。透き通って、彼方まで見通せそうに輝いている。
「美味しい……」
 クリームのたっぷり詰まったケーキや、フルーツの香るパウンド。ナッツの入ったチョコレートに、蜂蜜のキャンディー。知っている限りの甘さを舌の上に思い起こしたけれど、そのどれとも違う、雪の結晶が溶けるような甘さだ。すっきりして、冷たくて、あっというまで儚い。なんと言い表したらいいか分からなくて、伯爵の顔を見上げる。
 箱を差し出す私に、伯爵は白い結晶をひとつ取って、口の中へ入れた。しばらくそうして、じっと味わっていたが、やがて私の驚きに納得がいったように、深く二度、三度と頷く。
 マスターがそんな私たちを見て、しみじみと言った。
「私も長年、この港町にいて、色々なものを食べてきたつもりでいましたが。世界には、まだまだ不思議なものがあると思いませんか」
 伯爵が同意する。私は、知らないことなんて何もないように見える伯爵と、その伯爵より年上に見えるマスターとが、私と同じ、初めて口にしたものへの感動を噛みしめているのをみて、なんだか面白い気持ちになった。
 同時に、マスターの言っていることが、私にもはっきりと分かった。
(世界は、広いわ)
 船に乗って海を越えても、海にはまだ先があって、そこには大地があって、汽車が走っていて、人が住んでいる。世界はどんなに目を凝らしても一望できることなどなくて、途方もなく広くて、見たこともないものがたくさんあるのだろう。
 パパはよく私に、二十歳になったら船を買ってあげると言っていた。あのときはどうして、船をもらって私が喜ぶと思っているのか不思議だったけれど、今なら分かる。パパは私に、世界をくれようとしていたのだ。
(いつか、見に行くときがくるのかな。大人になったら)
 お砂糖を運ぶ仕事ではないかもしれない。私の船ではなくて、誰かの船かもしれないけれど。いつか、そんな日が来るような気がして、私は残りの琥珀糖を口の中で転がした。
 色とりどりのそれは少し、水曜日のゼリーを思い出させる。私は映画に出てくるたくさんのヒロインに想いを馳せながら、彼女たちに未来の自分を重ねて、小さく笑った。



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