09 ウーピーパイ


 しとしとと音のない雨が窓を濡らしていく。外の景色は艶めきながら歪んで、ふいにガラスなどないかのように透き通って、また揺らいだ。
 夏が去って降り出した雨は、もう丸三日続いている。そろそろ空が溶けてしまうのではないかと思うくらい、朝から夜まで。
 かっちりとしたベージュのブラウスにリボンを結んで、私は近頃お気に入りの足首まであるスカートを広げたり閉じたり、絨毯のハチドリに交ざって一人で花のあいだを飛んで遊んでいた。首の汗疹は綺麗に治った。ポニーテールはやめて、近ごろは伯爵が選んでくれたカチューシャをつけるのが日課になっている。
 ぴょん、とまたひとつ、花を飛び越えたとき、リビングとキッチンを繋ぐドアが開いた。
「なあに?」
 伯爵が、私を手招きする。どうしたのだろうと思いながらハチドリを踏まないように歩いていくと、キッチンに入った私の首に、何か白いものがすぽんとかけられた。
 驚いて掴んでみると、それはエプロンだった。腰から下がった紐を両手に掴むと、後ろで交差させて前で結ぶよう、伯爵が手振りで教えてくれる。私は言われた通りに結びながら、キッチンの脇に、低いテーブルが出されているのに気づいた。
 伯爵は、エプロンをかけた私をそこへ案内した。
「わあ……!」
 しっとりと厚くて丸いビスケットに、クリームを挟んだお菓子が四つ。ウーピーパイだ、と顔を上げると、伯爵が頷く。
 二つは茶色いビスケットで、シナモンやナツメグの香りがした。スパイスを練り込んで焼いたものらしく、クリームはシンプルな白。もう二つはココアを混ぜた真っ黒なビスケットで、クリームは絵に描いた空みたいな水色をしている。チョコミントだ。
 可愛い、と笑った私の前に、伯爵がひとつのバレットを持ってきた。
 そこには、色とりどりのクリームやチョコレート、アラザンが並んでいた。宝石箱を引っくり返したような華やかさに息をのむと、伯爵がバターナイフにアイボリーのチョコレートを掬い取る。そうして、ココア色のビスケットの上に、放射状の線を引いた。
 見つめる私の前で、伯爵はその三角形を交互に埋めて、黒一色だったウーピーパイをチェスボードの色に変えていく。さらに中心にアラザンを置いたり、周りにも並べたり、みるみるうちに飾りをつけていった。
「すごい。魔法みたいね」
 身を乗り出して眺めていた顔を上げ、思わず声を張り上げる。伯爵はちょっと、笑ったかのような気がした。
 エプロンをもらった意味に気づいて、そうか、と頬が緩む。
「私もやっていいのね?」
 訊ねると、シルクハットはこくりと頷いた。
 シナモンの香るウーピーパイをひとつ引き寄せて、私は散々迷いながら、黄色いチョコレートに手を伸ばす。バターナイフを拭って、伯爵の真似をして掬い取り、さあどんなふうに何を描こうかと腕まくりをした。
 外は相変わらずしとしとと雨が降っている。キッチンの窓に差す光は薄くて、鳥の声もない。
 そんな今日の日が、ふいに色づいたような心地がした。私は黄色いチョコレートで描いたリボンに、アラザンをくっつけて、パイの外側を囲むように、白いチョコレートでお花を描いた。



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