第4章


 地平線の彼方に浮かんだ月が、太陽に代わって少しずつ昇ってくる。水辺に並んだナツメヤシの木が影絵のように黒く、藍色の空にざわめいた。鳥か動物か、遠くで何かの鳴き声がする。肩口に降りる風は冷たい。砂漠の夜だ。
「星が出てきたわね」
 ぱちぱちと燃える焚火に手を翳して、タミアはふうと息を吐いた。震えるような寒さではないが、やはり太陽が沈むとぐんと冷える。
「もう少し暗くなったら、移動するか」
 焚火の向こう側に寝転んで空を見上げながら、ログズは言った。そうね、と答えて、タミアは少し離れたところに見えるタフリールへ視線を移す。
 中腹にあるレストランや商店のほとんどが店を閉める時間帯になったら、タミアたちはもう一度、タフリールへ侵入する計画だ。タフリールは全体を石の壁に囲まれているが、中に入った観光客からの眺めを確保するという目的で、ところどころ壁の低くなっているポイントがある。
 魔法で上がるか、よじ登るかは見てから考えるつもりだが、そこならどうにかこうにか入れないことはない。稀に夜盗が入り込むので警備が立っているが、〈月の盾〉のメンバーだ。彼らはおそらく、味方になってくれる。ことの経緯を知りたがっているだろう。
 燃え盛る炎の芯を見つめて、タミアは膝を丸めた。
 副団長は今、礼拝堂に隣接する聖兵団の施設に囚われていると思われる。ログズの見解によれば、聖兵団は神の審判――つまり善悪の判断――が誰の目から見ても明確につくまで、処刑や裁判といった行動は避けるだろうという。聖兵団は神に忠誠を誓った組織だ。神や信徒に害をなす者を許しはしないが、無用な血を流すこともまた、教えに反する。
 今回の主犯とされているログズや、行動を共にしていたタミアならばまだしも、民衆からの支持も厚い自警団の副団長が相手では、安易な罰は加えられない。彼はおそらく、数日間に渡って尋問を受ける。そこでログズとジンについて説明をするだろう。
 彼の説明を真実であると証明できるものは、ログズに化けていたあの、悪性のジンの灰だけだ。
 ハートールの無実を証明できるのも、同じ灰である。
 彼らを救えるのは、自分たちだけだ。ジンを見つけ出し、戦いに勝たなければ、無実の彼らにかけられた疑いを晴らすことはできない。ログズも大罪人のままだ。杖をなくすどころか、これから先、追われる身となって、自由に生きていく保障をなくしてしまう。
 ジンと、戦う。
 タミアは広げた手のひらを見つめて、じっと瞬きを繰り返した。できるのだろうか。杖を奪われたままのログズと魔法を学び始めたばかりの自分に、そんなことが成し遂げられるだろうか。
 分からない。でも、やらないと言うわけにはいかないのだ。
 あなたは助けてくれる? と、誰ともなしに心の声で問いかけた。答える気配は、感じられない。
 揺らめくオレンジ色に染まる手のひらをきつく握りこんで、タミアはポケットから手紙を取り出した。故郷の村を出るときからずっと、肌身離さず持っているせいで、知らないうちに端が折れてしまっている。
 胸に抱いて、祈るように目を閉じたタミアに、焚火の向こうから呆れたような笑い声が聞こえた。
「何よ?」
「別に? ただ、お前ほんっとアルヤル好きだよな、と思って」
「な……」
「それ、アルヤルの手紙だろ? 健気だなァ、なんでそんなにアイツの弟子になりたいんだよ」
 馬鹿にしたような言い草に、タミアはむっとして睨み返した。
「なんでって……、なんでもいいでしょ。あなたに関係ない」
「そりゃ、関係はないけどよ。あんまり幻想は抱くなよって、忠告してやってんだって」
「アルヤル先生は尊敬できる人よ」
「会ったこともないくせに? お前が想像してるよりずっと、しょうもないヤツかもしんねえぜ?」
「そんなことない!」
 炎が、身を乗り出したタミアに煽られて大きく揺れた。しんと静まった辺りに、は、と自分の呼気だけが漏れる。
 タミアは自分の発した声の大きさに驚いて、二度三度、視線をさまよわせた。それから押し黙ったログズを見て、もう一度、今度は冷静に口を開いた。
「理想で言ってるわけじゃない。確かに、あなたと違ってほとんど知らないけど……私、昔アルヤル先生に会ったことがあるの」
 そっと、指先で封筒に綴られたサインをなぞる。
 魔法使いアルヤル――タミアがその名を聞いたのは、今から十年前。遠く色褪せた記憶の中、今も鮮やかに光る、金色の一瞬だ。

 タミアの故郷は、ガダブ砂漠の西の端に拓かれた、小さなオアシスである。オアシスと言ってもタフリールやイクテヤールのような、旅人で栄える町ではなく、西国から新天地を求めて移り住んできた人々が居ついた、ごく内輪の村だった。
 村には鉱山があり、高価な宝石はそれほど出ないが、良質の銅や鉄がよく採れた。素朴な山だが、村の生活は十分に支えてくれた。男はほとんどが鉱夫になり、怪我や年齢によって山に入れなくなった者が職人になった。


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