灯神祭T

 長い廊下のはてに、黒い石炭ストーブが赤々と火を揺らしている。木造校舎の二階には一年生の二組から順に一組、二年生の二組と一組、三年生の二組と一組と、中等部の教室が全部で六つ並んでいる。
 一年生の教室の前が、ストーブから遠くて一番寒い。すぐ傍の階段の真下は昇降口で、窓を閉めてあっても冷たい風の匂いが漂ってくる気がした。カルツは悴んだ手にはあっと息を吹きかけて、かばんを抱え、三年二組の教室を目指して歩く。
 かつて白木だったと思われる廊下は、経年と数えきれないほど塗り重ねられたニスのおかげですっかり飴色だ。ストーブが近くなり、窓の低い部分に結露が目立ち始めた。
「よ、カルツ」
 ぽん、と肩を叩く手に、下を向いていた顔を上げる。マレ。慌てて振り返ったせいでずり落ちた眼鏡を押し上げて呼べば、親友は雀斑の散った鼻を寒さで赤くしながら、おはようと笑った。
「おはよう。ラウンジにいなかったから、今朝は先に行ったのかと思った」
「逆だよ、寝坊してたんだ。朝ごはん、ロールパンひとつしか食べてない」
 ひもじいなあ。同情混じりに言えば、マレは本当にねと肩を落とす。うつむいたすすき色の頭に髪が跳ねている。寝癖を直すひまもなかったらしい。
「課題が終わらなかったなら、言ってくれればよかったのに」
「おれがカルツと勉強してると、みんなが疑うんだよ。どうせ友達だからって、難しいところ解いてもらったんだろ、って」
「すごい買い被りだ」
 苦笑しながら二組の前に着いたとき、ストーブの真横のドアががらりと開いた。出てきた顔を見て、マレがあっと声を上げる。
「カルツじゃないか。おはよう」
 その声に視線を向けた少年が、カルツを見て親しみのこもった笑みを浮かべた。
「おはよう、兄さ……カルセ」
「別に学内だって、兄さんでもいいんだぜ? 本当のことなんだから」
 あはは、とからかうように闊達な声を上げる。淡いラベンダー色の髪も水色の目も瓜二つだが、纏う空気や口調はカルツのそれとは真逆に近い。
 曖昧な笑みを返してごまかしたカルツに、カルセは一瞬、ちょっと悔いたような顔をした。傷つけたかな、と思って、とっさに話を変える。
「今朝はずいぶん教室にくるのが早いんだね。寮門での服装チェックはいいの?」
「ああ、あっちはランスとニオに任せてきた。灯神祭のことでな、呼び出されてたんだ」
「そうだったんだ。ああそうだ、カルセ、これあげるよ」
 ポケットに手を突っ込み、昨夜入れておいた包みを取り出す。なんだ、と不思議そうな顔をしながらも、カルセは手を差し出した。
「蜂蜜のキャンディ。寮でたまたま、メグさんが作ってたのをもらったんだ」
 寮母のメグはよく、学生たちに作った料理の残りの食材で、小さなお菓子を作る。それを、夜中まで勉強していた生徒だとか、ラウンジで喋っていた生徒たちに、気まぐれに配ってくれる。
「いいのか? お前の分は……」
「僕はいいよ。灯神祭も近いんだ、喉だいじにして」
 廊下のむこうで、カルセを呼ぶ声が聞こえた。振り返ると、黒髪の大人っぽい少年と、蜂蜜色の髪をした背の低い少年が手を振りながら向かってくる。生徒会の副会長であるランスと、書記のニオだ。ランスの手に服装チェックのノートが抱えられている。二人が上がってきたということは、もうすぐ予鈴が鳴るのだろう。
「じゃあね、カルセ。また今度」
「あ、カルツ」
「何?」
「……いや、何でもない。キャンディありがとう」
 どういたしまして。カルツがそう笑うと、カルセはまだ何か言いたそうな、でも少しほっとしたような表情を浮かべた。そうして慌ただしく、カルツの後ろを通り抜けて、二人の友人のもとへ向かっていく。
 何か話があったのか、ランスがノートを広げた。すぐに二人のあいだに立ち、ノートを覗き込むカルセの後ろ姿を一瞥して、マレがふうんと感心したようにうなる。
「忙しそうだね、君の兄さんは」
「生徒会長だしね」
「寮長でもあるし、おまけに灯守だもんなあ。灯神祭の歌とか、いつ練習してるんだろう?」
「早朝と放課後だよ。あと夕食のあと、課題が終わってから」
「うへえ。おれには真似できない生活だ」
 立派すぎる、とマレが別の人種を拝むような目で首を振る。そう思うのは他人だけじゃない。カルツは二組の教室のドアに手をかけて、まあ、と宥めるように言った。
「カルセは、特別だよ」
 双子の自分から見ても、兄は輝石のようだ。比べることはおろか、対等だなんて昔から思ったこともない。
 勉強しか取り柄のない自分と違って、カルセはなんでも人並み以上に上手くこなす。勉強も、運動も、人の輪に入るのも、上に立つのも。家系の血がカルセを選んだのも、当然のことだ。
「おはよう、カルツ、マレ」
「おはよう」
 教室に入ると、級友たちが二人に気づいて声をかけた。石炭ストーブを囲んでいた輪の一角を開けて、温まれと招いてくれる。由緒正しきハーローツ少年学院の冬は、歴史ある校舎の隙間風に包まれて過ぎていく。
 二人はかばんを机に置いて、予鈴が鳴るまでのわずかな時間に、冷えた手をペンが握れるまでに擦り合わせた。



「それでは本日は授業の時間を使って、初等科六年生の生徒たちと一緒に、地域の皆様へのお手紙を書いていただきます」
 昼下がりの礼拝堂に、凛とした女の声が響き渡る。
「皆さんももう毎年、上級生の話を聞いてご存知だと思いますが、今日書いていただく手紙は灯神祭の招待状です。二週間後に迫った灯神祭では、例年この礼拝堂に、町の方が大勢集まってくださいます。皆さんのご家族だけではなく、地域の方を広くお招きし、灯神様のまなざしに届くよう盛大な灯神祭を執り行うのが、町一番の礼拝堂を持つ本校の大切な務めです。一枚一枚、丁寧に書いてください。まもなく初等科の生徒さんが到着します、その前に宛先と皆さんのお名前が書かれたリストを配布しますから、自分がこの町のどなたにお手紙を書くのか、きちんと確認をしておくように」
 神学を教える女教師ミシェーラは、灯神の敬虔な信徒である。灯神祭はまだ二週間さきだというのに、毎年この季節になると、早々と礼拝の正装である黒のケープに身を包んで、長いハニーブロンドをひっつめにし、小さな百合を一輪さして授業をする。
 彼女は細く腰のくびれた、これまた正装の、黒く丈が足元まであるワンピースをひるがえして歩く。広い礼拝堂の前のほうに集められた生徒たちに、端から順番に紙を配り始めた。隅のほうに座ったカルツには、まだ当分回ってきそうにない。
「招待状かあ。おれ、字汚いからやだなあ」
 隣に座ったマレがぼやく。初等科の生徒とはいえ、最高学年にもなれば達筆な子は出てくる。ばかにされたらやだよ、と言って、億劫そうにペンをいじくった。
「それとカルセ君」
「はい」
「貴方には、授業の最後に初等科の子供たちへ、歌を聴かせてあげてもらいたいの。お願いできますね」
「分かりました」
 おお、と前方の席で声が上がる。カルツは少し背中を伸ばして、最前列にラベンダー色の頭を見つけた。カルセのことだ。最初から、あとで前に出て歌うのを分かっていて、真正面に座ったのだろう。よろしくお願いします。ミシェーラが満足げに、そう微笑んだ。
「デュエットしてやれば、カルツ。音楽の成績、悪くないんだから」
「ばかなこと。あれはそういう歌じゃないんだって、分かってるだろう」
 招待状がよほど面倒なのか、いつになくからかうような発言をしたマレに、カルツは苦笑いで叱った。ごめん、と雀斑の下の唇が尖る。いいんだ、気にしてない。それは本当のことだった。今はもう。
「権利を持たない僕が歌ったら、例え双子だって、灯神様は怒ってしまうよ」
 囁くように言ったのは、ミシェーラが近づいてきていたからだ。やがて指の細い、神経質そうな手が、カルツとマレの前に紙を差し出していった。
 誕生日順に並んだリストは、二月うまれのカルツにとっては下から読むものだ。探し始めてまもなく、自分の名前を見つけた。すぐ上にカルセの名前がある。兄はいつも、弟の上にいる。

 灯神祭とは、このノスフォール地方に伝わる昔からの祭りで、毎年十二月の二十四日を祭日としている。雪深く冬が長いノスフォールでは、古くから民間に、火を祀る習慣が広まっていた。
 それがやがて灯神という一つの像を結び、灯神信仰という国教に至り、ノスフォールに属する五つの国で盛大に執り行われるようになった祭りが灯神祭である。
 言い伝えによれば、ノスフォールの人々の体のなかには、火がひとつ灯っているのだ。それは命の火であり、この火は灯神が、灯神祭の日に、年頃のよい女の腹に灯していくとされる。やがてその火を囲むように、赤ん坊が形を成し、十月十日を経てうまれてくる。
 灯神祭は命の火を与えてくれる灯神に感謝し、同時に新しい命の恵みを乞う日である。そして、その灯神祭の花形が、灯守。
 灯守とは、灯神に命を願う特別な歌をうたうことを許された者のことだ。ノスフォールには昔から、限られたいくつかの家系の者にしかうたえない歌があって、それを歌える者が灯守と呼ばれてきた。灯守の才能は遺伝である。灯守を親に持つ家系の、一人の男児にのみ引き継がれる。
「……うまいなあ」
 初等科の少年をひとり挟んで、マレがぽつりとそう言った。少年は礼拝堂を天井まで伸びあがり、光になって降り注ぐようなカルセの歌声に聴き入っている。
「そうだね」
 カルツは静かに答えて頷いた。
 カルツとカルセの父親は、灯守だった。十年前、二人が四歳のときに、病に伏して呆気なく還らぬ人となった。父の中に燃えていた、灯守の血はカルセが引いた。町の教会へ行って、礼拝堂で二人うたったとき、灯神はカルセを選んだ。カルツはもうあまり細かい情景は覚えていないが、母が驚かなかったことだけは鮮明に覚えている。
 理性的でありながら、まっすぐで迷いがなく、瑞々しい。自分の兄ながら、カルセの声はうつくしいと思う。
 幼い頃から練習を聴き続けてきたその歌を、じっと聴いていると、思わず一緒にくちずさみそうになる。そんなことをしたら、灯神の怒りがカルツの胸の火を吹き消してしまうだろう。
 響き渡るカルセの歌声の中、ミシェーラの影が静かに歩き回って、生徒たちの書き上げた招待状を回収していった。カルツはマレのものと重ねて、自分のペアだった少年に預ける。少年はそれを大切に受け取って、差し伸べられたミシェーラの手へと預けた。



 冬の真昼のうすい光が差し込む部屋に、ペンを走らせる音が響く。少し右上がりの癖のある文字でノートを埋めて、カルセはふーっと詰めていた息を吐き、大きく腕を反らした。
 寮の自室には暖房器具がない。ラウンジに行けば暖炉が燃えているが、あそこに行くと寒さをしのいで勉強をしている下級生がたくさんいて、ついつい面倒を見てしまうのだ。おかげで自分の課題は結局、真っ白なまま持ち帰ってしまう。
 寒さで強張った手を握ったり開いたりしながら、今日はなかなか捗ったな、と一人頷く。そうして吸った息を吐くように、歌を口ずさんだ。
 机の片隅には、荷物の詰まった箱が口を開けたまま置かれている。今朝、母親からカルセに宛てて届けられたものだ。
 全寮制を規則とするハーローツ少年学院には、学生たちの家族から手紙や荷物がたくさん送られてくる。それらはすべて寮母が預かり、寮監を務める副校長のスリンジャーが、授業の行われない毎週日曜日の朝に、中身を検分して、問題がなければ生徒に届けられる。中には学院に持ち込みの禁止されている遊び道具や雑誌を、誕生日のプレゼントとして家族にねだる生徒もいるからだ。スリンジャーが勉学の妨げになると判断したものは、箱を閉じ、家族のもとへ送り返される。
 カルセの母はそういった規則や規約にはきちんとした人なので、問題のあるようなものは何も入れてこなかった。大きなものとしては毛布が一枚。その他は、缶詰の果物やマッシュポテト、ビスケットやチョコレートなどの日持ちのする菓子ばかりである。
 途中まで読んで一番上に置きっぱなしにしていたのを思い出し、カルセは手紙に手を伸ばした。ほのかにラベンダーの香りのする便せんに、細いペンで綴られた清潔感のある文字が並ぶ。内容は毎週のものとあまり変わらない。灯神祭に向けて無理をしていないか、食事をおろそかにせず本番に備えて、しっかりと練習に励むように――そんなところだ。
 中等部に上がって、灯神祭に学院の礼拝堂でうたう役目を賜ってからというもの、母は毎年この季節になると週ごとに贈り物をしてくる。君に届け物だ、と呆れ顔でドアを叩くスリンジャーに、今朝はジンジャービスケットを一袋分けた。寮の食事は十分に出されている。これ以上望んでいるものなんてそれほどないのだけれど、母には息子の暮らしが気にかかって仕方ないらしい。
 灯守の血を引く、大切な息子のことだから。
 チリ、と喉に掠れるような痛みを感じて眉を顰め、カルセは冷たい指で喉仏に触れた。
「あー……」
 静かに声を伸ばしてみる。痛みは一瞬だったが、均等に息を吐いているつもりなのに時々ふいに掠れるのは成長期の影響か。探るように何度か声を出していると、耳の奥で「カルセ、」と呼ぶ声が聞こえた気がした。
 カルツにはまだ、変声の兆しは見られない。カルセから消えかかっている、雲母のような柔らかくてきらきらとした少年の声を、当たり前のように残している。
 双子といえど、自分たちは二卵性の双子だ。
 めくれたページの重さで閉じていく教科書を見送って、カルセは見るともなしに、母の手紙を広げたまま思った。子供のころは瓜二つで、髪の分け目くらいしか違いなんてなく、両親ですら二人が入れ替わってもすぐには気づかないくらいだったが、それは外見の話だ。カルセはやんちゃで怖いもの知らずで、カルツはおとなしくて人見知りだった。
 相反する性格が生む差異は成長と共にいっそう明らかになっていき、ハーローツの初等部に上がるころには、顔はそっくりでも纏う空気が変わってきていた。学院での生活が始まってみれば、得意なこと、不得意なことも違うのが分かった。
 カルツは、運動が苦手だが勉強なら学年一できる。読書家で座学が好きだ。それはもう、三十八度の熱を出していても授業に出たいと望むくらい。授業のない時間は大体本を読んでいて、母から届く小遣いは毎月頭に、学院内に設けられた古本屋で消える。
 カルセは、実のところ勉強は特別好きでも嫌いでもなかった。満遍なく平均より上の成績は取り続けているが、どちらかといえば体を動かすことや、生徒会や学院の活動に従事するほうが向いている。母が勉学の成績を重要視する人でなければ、多分もっと座学は手を抜いていて、代わりに体育系のクラブにでも参加していただろう。読書は好きだがあまり難しい本は退屈だし、小遣いは一年がかりでこつこつ貯めて、寮長になってすぐラウンジに寄付するチェスセットに使った。以来、毎夜のように顔を出しては、上級生も下級生もなく皆でゲームに興じている。
 内面に芽生えた趣味嗜好の違いは歳を重ねるにつれて、外見にも表れ始めた。部屋での読書の時間が何より長かったカルツは、中等部に上がるころには黒板が見えなくなり、眼鏡をかけた。線が細く、日に当たらない頬は血管の色が透けるほどに白い。いつ見てもラベンダー色の髪を、人形のように綺麗に整えている。制服もボタンひとつ崩さないし、ローファーに雨粒のあとが残っていたことなんて、一度もない。
 対するカルセは、近ごろ腕や背中にうっすらと筋肉の線が浮き始め、三年生の中でも体格のいい部類になった。外で遊ぶ時間も長かったせいか、いつも血色がよく、健康的な印象を与える。忙しさにかまけて襟足が伸びがちで、よくランスが生徒会長なのだからと文句を垂れながら切ってくれる。制服のかっちりした作りが昔から苦手で、校則に触れない範囲でボタンを緩めて着ている。靴だけはいつどんなときも、綺麗に磨くようにしているけれど。
 もう前から見ても後ろから見ても、カルセとカルツを見間違えるような者はない。
 少しずつ、少しずつ積み重なった違いが、二人を別の人間にしていくのだ。そして今またひとつ。声が別物になろうとしている。
「っ、げほ」
 咳き込んで、カルセは苦笑した。カルツの声を真似ようとしたが、もう体のどこからもカルツと同じ声は出せなかった。変声の影響が、思ったよりもはっきりと歌に出る。無理にうたうと噎せてしまいそうだと諦めて、高音の連なる部分は伴奏を少し華やかにしてごまかしてもらえないかと、明日にでもピアノを弾く生徒に頼んでみようと決めた。
 机の上の荷物を一瞥し、手紙を引き出しにしまう。引き出しを閉めた手をそのままポケットに押し込むと、小さな包みを取り出し、蜂蜜のキャンディを一粒、口に放り込んだ。
 掃除でもしよう、と窓を開けに立って、真下に見えたラベンダー色のつむじに瞬きをする。
 図書館に行っていたのか。分厚い本を両手に抱えたカルツが、学院のコートをはおり、紺色の背中を寒さに丸めながら雪の上を歩いていくところだった。
「カルツ」
 呼びかけると、弾かれたように上を向く。
「部屋に戻るところか?」
「うん」
「寄っていけよ。母さんからお菓子が届いてるんだ、お前と分けろって」
 レンズの奥の水色の眸に、冬の日が差し込み、一瞬ちかりと揺らめいた。カルツはやがて、今いく、と笑みを浮かべた。



 ノスフォール地方の初雪は十月の頭で、雪解けは例年、翌春の四月の頭くらいである。実に一年の半分が雪と共にある。
 灯神祭のころは特に雪が深く、毎日のように降っては積もり、解ける暇もない。町は人も建物も列車も、すべてが雪の谷に点在しているような光景だ。ガス灯が蓋の上にとっぷりと雪を積もらせながら、白銀の隙間に細く赤煉瓦の覗く石畳の路を照らし、建物の明かりが街路の左右に押し分けられた雪山に黄色く落ちる。
 子供たちは土で遊ぶよりも、雪で遊んで大きくなる。冬のノスフォールには、家々のあいだで遊び回る子供の姿が多く見られた。
 その光景は、学院という門の内側でも変わらない。
「あ、またやってるよ」
 寮から続く渡り廊下を曲がって校舎の中庭に差しかかったところで、マレが前方を示して言った。図書館で借りた植物図鑑の表紙に落としていた視線を上げて、カルツもああと慣れたものを見る眼差しを向ける。
 級友たちが十人余り、雪合戦に興じていた。冬の昼休みにはよくある光景だ。今日は人数が少ないほうだなあ、と白い息を吐く。
 相手になっているのは、一組の生徒たちだ。いびつな雪の壁から飛び出した横顔に、カルツは思わず、眼鏡の奥の目を丸くした。何かを察知したのか、横顔がふいにカルツのほうを向く。
 よう、とカルセは片手を上げた。
 その仕草に気づいた数人が、カルツたちのほうを振り返った。
「お前たちも入れよ」
「一組が多くて、苦戦してるんだ。手伝って」
「いや、僕は……」
 本持ってるから、と。断ろうとしたカルツの視界が、白く染まって弾ける。誰かが雪玉を誤ってカルツの顔面に投げつけたのだ。ごめん、と遠くで詫びる声が聞こえたが、眼鏡をはらったときにはもう、試合が再開していて誰にやられたのか分からなかった。
「カルツ?」
 渡り廊下にかばんを下ろし、その上に本を下ろしたカルツを見て、マレが首を傾げる。友人が何かを訊ねるよりも早く、カルツは中庭に飛び出して雪を掴んだ。
 真っ白なその塊を、向かい合った生徒に向かって投げる。
「カルツが入った!」
「いいぞ、やってやれ!」
 わあっと、二組の生徒たちが沸き立った。相手になっている一組の生徒たちも、カルツの姿をみとめると、期待ともの珍しさに輝いた眼差しを浮かべる。カルツは一気に狙いの的になり、紺色のコートがあっという間に白く染まった。投げ返す球はほとんどが壁さえ越えなかったが、盛り上がった級友たちの球が、カルツの分まで相手の陣を脅かしてくれた。

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