8:月明かりの宴


「それでは、この喜ばしき星月夜に」
 ランプの光が、掲げられた石榴酒を紅々と照らす。一つながりの細長く、四角いテーブルの最奥で、フォルスが張り上げた声に合わせて、居並ぶ大臣たちも杯を掲げた。
「乾杯!」
 ルエルも微笑んで、檸檬水の注がれたグラスを持ち上げる。正面のナフルと、隣に座ったジャクラ、最後にフォルスと軽く縁を合わせた。
「良い夜ですわね、陛下」
 ナフルがフォルスに挨拶をして、ちらとルエルに微笑む。フォルスはいつになく上機嫌で、乾杯の石榴酒をすでに空にして、宮女が二杯目を注ぎ足しにきたところだった。
 ルエルがシュルークへ来て、そろそろ二ヶ月が経つ。毎月であればこの時期、ジャクラは眠りに就いているのだが、ルエルが雨を降らせるようになったことを受けて、今回の眠りの儀は見送りとなった。今日はその祝いの宴だ。
 フォルスが主催となって奥の庭に用意をさせ、家族とルエルは勿論、ハーディや大臣、占師までも全員呼んでの盛大な夜となった。テーブルには歓待の宴にも引けを取らないほどの料理が並び、急な雨を避けるための天蓋が取りつけられている。オイルランプをその支柱に吊るし、テーブルは幻想的な光で照らされていた。ランプの底に当てた銅を、細かな装飾文様に切り抜いているのだ。光は隙間を通ってこぼれ、料理の上に、無数の花となって降り注ぐ。
「陛下、今宵はお招きいただいて――」
 アルギスが杯を手に、フォルスの元を訪れる。
 祝いの宴というだけあって、今日は賑やかな無礼講だ。立食も許され、席は人数分あるものの、移動は自由だった。テーブルの端から端まで、ほとんど違う料理が並んでいることも手伝って、大臣たちは次第に乾杯の席を立ち始める。
 気軽に言葉を交わせる機会とあってか、フォルスはすぐに数人の大臣に囲まれた。彼の斜向かいに腰かけていたルエルは、早々に席を立つのもどうかと遠慮していたが、これならあまり気にする必要はなさそうだ。
 テーブルを見回すと、離れたところに石榴のサラダが見える。シュルークに来てからの一番好きな食べ物を見つけて、ルエルは皿を手に、隣を窺った。
「では皇子、今度また――」
「ああ、その件は以前からお前が――」
 ジャクラはいつのまにか、フォルスと大臣たちの話の輪に引き込まれている。ナフルはとっくに席を移って、宮女を従えて、好きなものを取り分けていた。
 小皿を手に、石榴のサラダを取りにいく。途中、いくつか目移りしながらも、結局は一番食べたいものから食べることにした。今日の宴は呼ばれない限り、宮女は手を出しに来ない。人に何かを命ずるのが苦手なルエルは、不慣れなりに自分で取り分けて、料理を楽しんだ。
「どうぞ、姫」
「え?」
「ご一緒にいかがかと思いましてね」
 レンズ豆のスープが、脇に並べられる。顔を上げれば、ザキルが人のいい笑みを浮かべて立っていた。スープ皿の縁には、一切れのパンが添えられている。どうやらルエルが、まだ誰も手をつけていないパンを取るのを躊躇っていたことに、気づいていたらしい。
「ありがとうございます、お気遣いを……」
「これくらい、とんでもない。我々がこの日を、どれほど喜ばしく思っているか」
 ほんのりと酒で赤く染まった頬をゆるめて、ザキルは自分の言葉に頷く。
「今宵、こうして宴が開けるのはあなたのおかげです。月末を迎えても、皇子が眠らずにいられる日を、私たちはずっと待ち望んでおりました」
「それは……」
 さあさ、と料理を勧められ、スープを一口すくいながらルエルはジャクラのほうを見た。
 相変わらず、大臣たちと共に談笑を続けている。彼が今回、薬を飲んで眠らずに済んだのは、確かに雨のおかげだ。しかしそれが自分の成果かというと、ルエルは正直なところ、首を傾げたくなる。
 なぜならルエルが雨を降らせる理由のほとんどは、主にジャクラのおかげ――というか、所為であるからだ。
(そうよ、この間だって)
 笑ったり喜んだり、日常の中での感情の起伏が降らせた雨ももちろんある。オアシスで笑顔を取り戻してからというもの、初めこそ自分では気づけなかったが、ルエルはだんだんと笑えるようになってきた。今では挨拶のような場面でも、ずいぶん自然に微笑むようになったとナフルにも褒めてもらっている。表情が豊かになったと、ハーディにも勉強の合間に言われた。
 そんな変化を見てのことだろうか。ジャクラは最近、以前のようなからかい方はしなくなってきた。後ろから抱きつかれたり、唐突に何かを仕掛けられたりすることはない。ルエルが驚かさなくても、感情を表に出すようになってきたからだろう。だが、代わりに最近の彼は、ルエルにとって少し困った存在だった。
 ――おいで、ルエル。
 夕刻、そろそろ王宮へ戻ろうかとひとけのない歩廊を帰っているときなどに、時々そうして呼び止められることがある。素直に向かい合うと、何を話すわけでもなく抱きしめられる。額の触れ合うような距離まで、互いの目が滲むほど近づいたこともあったが、そのときは洪水のような雨が降って、ジャクラは笑って手を離してくれた。


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