7:青に溢れる


 久しぶりに踏みしめた砂の大地は、風が作り出す無数の緩急と日光を吸い込んで湧き上がる熱気で、想像以上に人の足では歩きにくい場所だった。ざらざらと靴の中に入り込んだ砂が、痛くはないが、一足ごとに動いて落ち着かない。
 ルエルは掴まっていたジャクラの腕をそっと引いて、立ち止まってもらい、靴の中をはたいた。
「お疲れですか?」
 ハーディが傍へ来て、励ますように微笑む。砂漠を歩くのに慣れているのだろう、彼は誰から見ても高齢であるのに、砂の柔らかさに足を取られることもなく、易々と歩いていた。大丈夫です、と答える声が思いのほか弱々しくなってしまって、ルエルは赤面する。
 前方で待っていたアルギスが、首を横に振った。
「お気になさいますな、誰でも初めはこのようなところ、思うように歩けませぬ。あと少しですから、ゆっくり行きましょう」
「すみません」
 謝りの言葉を口にしてから、ありがとうと付け加える。軍事大臣の肩書きに相応しい、いかつい大男のアルギスは、黒々と厳格そうに吊り上がった眉の下の黒目を、わずかに和らげて「いいえ」と一礼した。
 ハーディが再び、彼と共にルエルたちの前を歩き始める。砂に沈むことのない、下に木の板を取りつけた杖を手にしていた。


「水源調査、ですか?」
 ルエルがその話を聞かされたのは、二日前の夕方のことだ。いつものように公務の終わったジャクラと待ち合わせて、彼が水路を見に行くというので、珍しい場所へ行くのだなと思いながらもついていった。
 歓待の宴に使われた奥の庭は、中心を石の水路が横切っており、王宮の裏側に繋がっている。その水を、ジャクラは持ってきた瓶に一杯すくって、ハーディのもとへ届けに行くのだと言った。
「この宮殿の水はすべて、砂漠の入り口にあるオアシスから引いているんだ。街の運河はもう一つのオアシスから引いていて、他にもいくつかあてにしているところはあるが、シュルークの都市の主要な水源はその二ヶ所。月に一度、水が悪くなっていないか、ハーディに水質を見てもらうんだ。運河のほうは今日、アルギスが採りに行っている」
 へえ、と瓶の中で揺らめく透明な水を眺めて、ルエルは頷いた。見た目には綺麗な水に見えるが、泥水だって上澄みは美しい。生活に関わる水が汚れていると、質の悪い病が流行ることもあると聞く。水質をある程度気にかけておくことは、王宮の大切な仕事の一つなのだろう。
「これを調べてもらって、問題がなかったら、今度はオアシスの水量を見に行く」
「実際に砂漠まで行かれるのですか?」
「こっちは二ヶ月に一度なんだけどな。先月は行っていないから、今月は明後日に行く予定なんだ。よかったらルエル、お前も来てみないか?」
「私が?」
 思いがけない誘いに、ルエルは目を瞬かせた。白の間へ行ったり、フォルスたちとの宴に呼ばれたり、遊びの場へ誘われることはあったが、仕事の場に連れ出されたことはない。
ハーディとアルギスもいる、と言われて、知恵と体力をそれぞれに兼ね備えた二人の姿が頭に浮かんだ。それとジャクラだ。そこに、自分が入る。
「……私は、足手まといになるのではありませんか?」
「足手まとい? 別に興味がないのなら、無理にとは言わないが」
「いえ、興味がないわけでは……行ってみたい、とは思いますが」
 ニフタで半ば人形のような暮らしを続けてきたのだ。女の中でも、非力なほうだと自覚はしている。彼らと同行しても仕事の邪魔にしかならないのではないかと危惧したのだが、ジャクラの返事はあっさりとしたもので、ルエルの遠慮を一蹴した。
「なに、一日予定を空けていくが、実際は昼すぎには帰ってくる仕事だ。少しくらい延びたところで問題はないし、足手まといというのなら、昔の俺のほうがよほどそうだったろうな」
「昔の?」
「水源の視察には、子供のころからついていっているんだ。暑さで参ったり、自分で歩くと言ったくせに帰りはアルギスにおぶってもらったり、あの頃は本当に一日がかりだった」
 白の間で遊ぶことは珍しくなくても、宮殿を囲む水路の外にまで出られる機会はそれほどなかったから楽しみだったのだと、ジャクラは懐かしむように言った。今の彼は時々、公務で外にも出て行く。王宮の暮らしというのは、子供の頃のほうが案外、刺激が少ない。
「それなら、行ってもよいでしょうか」
 子供の足と歩くことにも慣れていた彼らなら、ルエルが一人加わったところで、進みが少し遅くなるくらいは許してくれるだろうか。躊躇いつつも同行を願い出れば、ジャクラは勿論と頷いて、その日のうちに二人へ話を通しておいてくれた。
 シュルークに入るときは、使者の迎えを受けて駱駝で最短距離を通ったので、視界にオアシスは見当たらなかった。砂の海にぽっかり浮かぶという、物語めいた水源の話は知っている。本物を見てみたい気持ちが、遠慮に勝った。

 かくして視察に同行したのだが、歩き始めて最初のオアシスにたどり着くまでは、正直なところ後悔をしていた。慣れない砂の上を延々と歩くことが、どれほど疲れることか、分かっていなかったのだ。このままでは帰り道までもたないかもしれないと、早々にジャクラの手を借りて歩きながら思いつめていたとき、ようやく一つ目のオアシスが目の前に現れた。


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