7:青に溢れる


 それを見たときの胸の高鳴りを、どんな言葉で言い表したらよいか分からない。
 深く澄んだコバルトブルーの水面が突如、砂の間から輝いているのを見つけたとき、ルエルは自分の体が風に押されたように軽くなるのを感じた。飲んでもいないのに喉が潤って、浸してもいないのに肌が清涼感を覚えた。
 オアシスとはそういうものですと、ハーディが言った。暑さと疲れと喉の渇きを慢性的に感じ続ける砂漠で、そのすべてを吹き消してくれる、魔法のような存在が水なのだと。
 隊商も旅人も盗賊も、砂漠を歩く限り、オアシスの前にだけは何人たりとも膝をつく。導師も皇子も大臣も――彼はそう笑った。
 この辺りのオアシスの源は、地下からの湧水であるらしい。ハーディが水嵩を測り、アルギスがそれを手伝って回る間、ルエルは冷たい水を飲んで体を冷やし、しばしの休息を取った。砂漠に入ってから実質、歩いたのは一時間に満たない。無色透明な、水の匂いのする空気を吸って目を閉じていると、あれほど溜まっていた疲労が嘘のように溶け出していくのを感じた。
「宮殿に帰りたいか?」
 見透かしたように訊ねるジャクラに、首を横に振る。
「視察するオアシスは、もう一つあるのでしょう? 私も行きます」
 答えてしまったのは、ほとんど無意識だ。子供が意地を張るような口調に、ルエルは自分でも驚いた。
 無茶をしようとしている自覚はあるのに、迷惑をかけるかもしれないと心の片隅では思っているのに、口をついて出るのは別の言葉だなんて初めてだ。疲れているのに、もっと遊びたいと駄々をこねるかのように、もっと彼らと砂漠を歩き回って、次のオアシスを見たい。
 ルエルの返事がきっとそうであることを、ジャクラは初めから分かっていたようだった。彼は暑さで火照ったルエルの頭を撫でて、それなら行くかと、笑って手を差し伸べた。


「ああ、見えてきましたね」
 前方を歩いていたハーディが、穏やかな声で呟く。顔を上げれば、彼らの後ろ姿ごしに、砂を拓いて浮かび上がるコバルトブルーが見えた。
 緩やかな坂になった砂の上を、足を縺れさせないように気をつけながら下りていく。一つ目のオアシスを離れてから、また一時間ほど歩いただろうか。今度も疲れや喉の渇きは感じていたが、体が幾分か砂漠に慣れてきて、感嘆の声を漏らす余裕は残っていた。
「先ほどのオアシスより、ずっと大きいですね」
「そうだな、倍はある。だから、こっちを街の運河に繋げているんだ」
「ええ」
 一つ目のオアシスは、ニフタの城を囲んでいた湖より一回りあるか、というくらいだった。だが、今度は全く違う。青空よりも深い青であるのに、明るく、一点の曇りもない水面が、水深によって所々色を変えながら、丘を囲んで三日月形に広がっていた。
 高みから見たから全景が分かるが、同じ高さで見たら、どこまでも続いて見えそうな大きさだ。シュルークの都市部をほとんど支えている水源だというのも、納得がいく。
 下りた先はオアシスの幅の、ちょうど一番広くなっている辺りだった。ハーディとアルギスは畔につくと、目印にしているという白い石のところへ行って、そこで水嵩を測った。
「ふむ、どうやら前回と、大きく変わっておりませぬ。皇子の眠りのあいだに降った量を考えれば、想定より少し多いと言えましょう」
 ハーディの報告に、計測を見守っていたジャクラの表情が明るいものになる。
「近頃は時折、雨があるようですから。まだ断定はできかねますが、もしかすると、そのおかげやも知れませぬ」
 ハーディから暗に労われて、ルエルもようやく、水嵩が想定より多いという言葉の持つ意味が分かった。どの程度かは分からないが、シュルークの降水量を上げることが、少しはできたのかもしれない。
 街の人々を支える水源の嵩が、自分の力によって増えている。そう考えると、胸の奥が温かいようなくすぐったいような、不思議な心地がした。
(私の雨が砂漠に染みて、地下水になって、濾過されて……)
 そうして集まったのが、このオアシスの一部だというのだろうか。雨雲はいつも灰色で、雨水はそのままでは飲めない。けれど今、目の前にある、地下を通り抜けてきた水は澄んで綺麗だ。濁りがなくて、手のひらをかざせば、鏡のようにくっきりと映す。


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