白雨の館編T

 拝謝
 今作の舞台となる「神孵りの丘」と、そこに住む人々を、アキラさん(口からクリオネ)からお借りしました。
 アンク
 ウィータ
 フィロンドール
 フィロンルージュ
 プレレフア
 上記の五名と、アキラさんに感謝をこめて。



--------白雨の館編


 その仕事は金でもなく銀でもなく、いわゆる討伐任務とは別の、ランクのつかない任務だった。別の言い方をすれば、危険のない仕事――遠方の調査であるとか、本部への出向会議であるとか――と同じ枠に含まれるもので。
 それがなぜ、討伐隊の中でも実戦向きであるはずの師匠の手に回ってきたのかは知らないが、本部から手紙が届いたのが二週間前のこと。
「着いた……、んですか?」
「……地図が正しけりゃこの辺りのはずなんだが。それっぽいのは何もねェな」
 私たちは今、森の前にいる。
「お前、探索の魔法使えたか?」
「知りませんよ。教えてもらってないですー」
「役に立たねえ弟子だな」
「うわー。自分だって、細かい魔法苦手なくせに。あたっ」
 べしんと、黒い手袋に後頭部をはたかれた。その手はもう一度地図を広げて、駅からの道筋をなぞる。ふー、と漏れた師匠のため息は真っ白だ。雪深い森には、丸裸になった木と、こんな冬でも葉を落とさないモミの木がばらばらに並んでいる。
 下手くそながら師匠が探索の魔法を唱えたので、私は代わりに、トランクを受け取った。本部からの手紙と共に届いた、謎のトランク。中身ははぐらかされて教えてもらえなかったが、旅の荷物の他にこれも持ってきたということは、今回の仕事の道具なのだろう。
(おっも……)
 何となく受け取ってしまったが、思ったより重い。ボストンバッグも下げているので、腕が突っ張りそうだ。寝台列車に乗って三日、そこから船に乗って半日。港から汽車を乗り継いで三時間。私たちは今、アストラグスからは遥か遠く離れた別の大陸の、辺境の村のそのまた奥に立っている。
「あ?」
 ぱしん、と森の奥のほうで、師匠の魔法が弾けた。何かに当たったのだろうか。
「失敗ですか?」
「いや、跳ね返された……、切られた?」
「え?」
「何か来るな」
 瞬きをした私の手からトランクを取り返して、師匠は木々の隙間に目を凝らす。その前方、雪景色の間から、ひらひらと何かが向かってくるのが見えた。
 初めは鳥だと思った。だが、近くなったその姿に唖然とする。
 それは一匹の、片方の翅が大人の手のひらほどはありそうな、黒い蝶だったのだ。こんな雪の地帯に、と驚いてから、微かな魔力を感じてはっとする。
「普通の蝶じゃねえな。……見てみろ」
「あ……道が」
 目の前に、先刻まではどうして見えなかったのかと思うような、はっきりとした道が生まれていた。蝶はくるりと後ろを向いて、その道を、誘うように飛んでいく。
 師匠が地図を畳んで歩き出したので、私もついていくことにした。本部からの紹介状はある。手荒に追い返されることはないだろう。私たちの背後で、音もなく道が消えた。
(これも魔法……、なのかな)
 あまり、こういうことに魔法を使う文化には馴染みがなくて、分からない。
 出発前にも一応聞かされていたが、この大陸では、アストラグスと違って魔物はほとんどが絶滅しているそうだ。寒暖の差が激しい気候と、人間の進出が早く、魔物の進化よりも人間が戦う力を得るほうが先だったことが理由に挙げられる。そのため、アストラグスよりも魔法使いの数は少ない。そしてその少数のあり方も、戦士というよりは、知識人や学者、医師などであるらしい。
 私たちが今回、訪ねる相手も魔法使いだ。神孵りと呼ばれる丘の上に邸を構えているそうだが、どんな人物なのか想像もつかない。
(七賢者みたいな感じじゃないといいけど)
 孤児院のころ、定期的に来る賢者から逃げるように暮らしていた私は、どうも年嵩の、いかにも知恵の働きそうな魔法使いというのが苦手だ。無意識に身構えてしまって、本部に行くといつも疲弊する。戦闘以外で魔法を使うというと、どうも彼らのような風体しか想像がつかないのだが。
 手袋越しにも寒さの凍みてくる指を擦ったとき、蝶が勢いよく飛び去り、視界がふいに拓けた。
「わ……っ」
 眼前に広がった光景に、思わず口を開けてしまう。
 針葉樹の森に囲まれた広い丘に、一面の緑が広がっていた。頬に触れる風の温度さえ、まるで春のようだ。さきほどまで歩いてきた雪道が幻だったかのように感じてしまう――しかし、ここにも雪が降っていないわけではなかった。
「どうやら、ここみてえだな」
 空と地面を交互に見ていた師匠が、ぽつりと呟く。私は完全に、目の前の出来事に気を奪われていて、師匠の言葉でやっと雪の向こうに建物があることに気づいた。白煉瓦と赤を基調にした、古風だが人の気配のする邸。
 その前を、丘に降ってくる雪と、地面に触れると同時に再び空へと還されていく雪が、太陽に照らされて行き交っている。
 がしゃんと、重い鉄の音をさせて門が開いた。
「どうも、アストラグスからの方でしょうか? すいません、出迎えが遅れて」
 門柱の影からひょいと、青年が顔を出す。
「当主か?」
「あはは、まさか。師匠(せんせい)は奥にいらっしゃいます。俺は弟子のウィータです」
「そうか。アストラグスからの仕事で来た、中央所属の魔法使い、キーツだ」
「遠方からお疲れさまです。そちらは?」
「……っあ、イズ。です」
 弾かれたように我に返って名乗ると、青年はよろしくと蒼い目を細めた。ほとんど白髪に近い、淡い水色の混じった髪を、高い位置でお団子にまとめている。派手な赤い服に白衣をはおって、ポケットには紙とペンが覗いていた。
 若い。私と同じくらいの年の頃だろうか。弟子がいるとは知らなかったので、一瞬彼がこの邸の主なのかと思って呆気に取られてしまった。師匠は私の自己紹介に「うちの弟子だ」と被せて、紹介状を開き、招かれるままに門をくぐった。
「コート預かりますね。荷物も、オレが持って良ければ」
「ああ、構わねえんだが、トランクは持っていかせてくれ」
「はい」
 手際よく師匠と私のコートを預かり、荷物を一旦置かせながらウィータさんは頷く。
「中身の確認はしなくていいのか?」
「問題ありません。プレレフアが道を開けた時点で、害意がないのは分かっていますから」
「プレレフア?」
「森で貴方たちを案内したでしょう。蝶ですよ」
 手袋は、と訊かれて鞄にしまうから大丈夫だと答えながら、私は黒い蝶を思い出した。
「番人みたいなものです。一応、あれ以外の姿も取れるんですけどね」
「ありゃ、魔物だろう。比較的高位の」
「師匠に懐いてるんですよ。昔から」
 ウィータさんは少し誇らしそうに言った。師匠はへえ、とそこそこ興味がありげに頷いて、クロークへ行ったウィータさんが戻るまでの間、玄関に飾られた調度品を眺めていた。
「お待たせしました、師匠の元へご案内します」
 ウィータさんに先導されて、私たちは長い廊下を歩き始めた。深みのある焦げ茶色の、厚い木のドアが並んでいる。その三枚おきに、天井からシンプルな鉄製のシャンデリアが下がっている。
「あの丘と同じ気温だな」
「はい。邸の周辺は常に春の温度を保ってるんです。裏庭で希少な魔法植物を育てているので、その関係で」
「当主は薬士か何かなのか?」
「そういうわけではないんですけどね。固定のお仕事としてではありませんが、村人の頼みがあればそれに近いこともされてますよ。薬士は、どっちかというとオレですかね」
「へえ、そうなのか」
「魔法医学と薬学の勉強をしてます。勿論、まだ半人前ですけど」
 二人が話すのをぼんやりと聞きながら、身軽になった私は壁際に並んだ銅版画や絵皿を眺めて歩く。そうして振り子時計の前をすぎたところで、ウィータさんが一際大きな、金色のノブのついたドアを開けた。
「師匠、お客様をお連れしました」
「通してくれ」
 細く開けたドアの隙間から、こぼれてきた声にあれ、と思う。想像より遥かに若い声だ。ウィータさんがキィとドアを開けた。
「長旅の足を休める間もなく呼びつけてすまないが、かけてくれ。僕が、この邸の当主のアンクだ」
「いや、こっちこそ、急な訪問で悪いな」
「構わない。そちらの七賢から手紙はもらっている。到着予定日とのずれもない」
 淡々と、あまり抑揚のない穏やかな口調で話す。その人が自らを「当主」と名乗ってからも、私はまだ、まじまじと見てしまった。
 年の頃は二十代半ばか後半だろうか、もしかしたら師匠と同じくらいかもしれない。神孵りの雪景色によく似合う、深いボルドーのフォーマルな出で立ちで、首元にうっすらと象牙色のスカーフを巻いていた。金の縁取りをしたカメオでそれを留めている。
(綺麗な人……)
 片側に寄せて細く結んだ銀の髪が、ジャケットの色によく映えた。
 男の人だというよりは、人形のような人だ。造りものみたいに一つ一つがこだわりを込められていて、その完成された雰囲気が美しく、少し近寄りがたい。しんとした広い応接間に、緊張気味に引いた椅子の音が大きく聞こえた。アンクさんへ紹介状を渡しに行ったウィータさんの足音に、ほっとした。
「その連れは、君の弟子か?」
 アンクさんがふいに、私を見て言った。ああ、と答えた師匠に続いて、挨拶をしておく。
 アンクさんの私を見る目は、興味があまりないというのか、少し戸惑っているようにも見えて、短く切り上げた。弟子の名前までは気にしないのだろうか。あまり他の魔法使いと接する機会もないので、どの程度話をしたらいいのか、躊躇ってしまう。
 コンコン、と私たちの入ってきたのとは反対のドアが、軽快にノックされた。
「旦那様、紅茶をお持ちしましたよ」
「あら、本当にお客様がいらっしゃったんですね。寒い中ようこそ」
 きゃっきゃと、上品ながらどこかはしゃいだ様子の二人組が現れた。ワゴンを押している赤毛の少年と、お盆を持っている金髪の少女――といっても二人とも、私より年上には違いなかったが、何となく少年と少女という雰囲気である――が、テーブルを回ってカップを並べていく。
 揃いの黒い服を着ているが、細部の作りが違っていた。主に色だ。襟元や腰布の色が、それぞれの髪と合わせてある。
「使用人の〈煌(フィロン)〉だ」
 私がじっと見ていると、アンクさんが静かな声で言った。慌てて見つめていた視線を背けようとするが、それより早く、顔を上げた二人が嬉しそうに笑う。
「ご挨拶してもいいんですね?」
「久しぶりのお客様です」
「ワタクシ、男のほうがフィロン・ルージュ」
「ワタクシ、女のほうがフィロン・ドールと申します。どうぞドー、ルーってお呼びくださいね」
 くるくると、まるで手品師の挨拶のように代わる代わる話されて、どちらがどちらか分からなくなりそうだ。赤毛の男の人がルージュ。金髪の女の人がドール。
 頭の中で名前を繰り返している間に、彼らは私のカップにも紅茶を注いで、ミルクと砂糖、蜂蜜はお好みでと置いていった。テーブルの中央に、洋梨のタルトが運ばれてくる。こんな季節では採れないのに、これもアストラグスとは違う魔法の使い方を発展させているゆえだろうか。
 ドーさんとルーさんはそれらを一切れずつ、全員の皿にのせてくれた。そうして窓を開けると、雪景色と春の風が一斉に入ってきた。
「いただこう」
 アンクさんが言い、ウィータさんも席に着く。師匠とアンクさん、私とウィータさんが向き合う形で座った。

 お茶の時間はゆったりと進み、途中、ルーさんが運んできた蓄音機から流れ出した音楽が、知り合ったばかりの私たちの空気を上手く取り持ってくれた。アンクさんはひとまず仕事の話は後にするように言い、神孵りや大陸の話をぽつぽつと聞かせてくれた。
 このお茶会は、私たちを歓迎して、休ませる目的のものだったのだろうかとぼんやり思う。こういう場のつくづく似合わない師匠が、気遣いをぶち壊すようなことを言いはしないかとひやひやしていたが、そこは場数を踏んでいる人だ。話は主に師匠とアンクさんの間で進んだ。卒のない、表面的な話題ではあったが、互いに適度な距離を見つけたようにも見える。
 私がタルトの最後の一口を食べ終えて少し経った頃、アンクさんがふと時計を見て口を開いた。
「さて、そろそろ君たちの部屋の準備も終わった頃だろう」
 ぱち、と彼が目を開けたので、もしかしたら遠見の魔法を使っていたのかもしれないと察する。
 私たちは今晩、アンクさんの邸に泊めてもらうことになっていた。何せこの辺りは本当に村の、もっと言えば国の外れで、港へ戻れる汽車は毎日一本しか運行していない。本部からの手紙が来た時点で、帰りは泊めてもらうようにと話がつけられていた。
「休む前に、ハーブティーでも一杯出したいところだが……ドールとルージュはまだ戻らないか」
 先刻の二人が、まさに部屋を準備してくれたのだろう。アンクさんはちらと視線を巡らせ、ウィータ、と弟子に声をかけた。
「はい。何かご希望はありますか?」
「お前に任せる。……ああ、それと」
 ふと、その目が今度は私に向けられる。
「君。すまないが、ウィータを手伝ってやってくれ」
「えっ、あたしですか?」
「ああ、四人分だ。一人では手が足りまい」
 いきなり話を振られたことと、指名されたことに。さらに言えば、一応は客人として扱われていたはずが、唐突に仕事を任されたことにも驚いた。思わず聞き返してしまったが、ウィータさんは何でもないことのように、行こう、と席を立つ。
 私は、ちらりと師匠の顔を窺った。師匠が小さく頷いたので、まあそれならば構わないかと、ウィータさんに続いて席を立った。

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