12 隣国の魔女


 季節は何度繰り返しても互いの順番を踏み違えることなく巡り、ユーティアに三十八歳の春が訪れた。始まりの季節であるとか、出会いと別れの季節であるとか、春は人々にとってたくさんの名前を持っている。ユーティアにとっては、歳を重ねる季節でもある。
 今年もサロワの母から手紙と一緒にプレゼントが届き、ベレットが駅前からケーキを買ってきてくれた。二人で食べるには大きすぎたそれを、マルタとリコットも呼んで分けあう。歳を取るとあちこちが痛くて歩くのが大変だと言いながらも、今でもよくソリエスに顔を出してくれる二人は、ユーティアにとってコートドールでの家族のようなものだ。
 それは、ユーティアと一緒にいるベレットにとっても同じことである。持ち前の要領の良さで何でもそつなく乗り越えていく彼女だが、両親を早くに亡くしているらしい。毎年サロワへ帰るユーティアに代わって、裏庭を見てくれる彼女に、あなたは故郷へ帰らなくていいのかと訊ねたところそう言っていた。
 私がいなくなって心配する人は、ノルにはいないのよ。コートドールには思い当たるだけで、結構いる気がするけどね。
 あまり詳しいことを話そうとはしないが、自分を育ててくれた祖母を看取って、それを機にグリモアを果たすため故郷を後にしたらしい。ユーティアがそれを聞いたのはもう十年以上前のことだが、当時なんとなく、ああどうりでと納得した部分はあった。
 旅の仕方もろくに知らずに、ふらふらと歩いて首都を目指す無謀さや、器用なわりに家事が嫌いで、生活に執着が薄いところ。それらは彼女に、家族があまりいなかったからなのだろう。ユーティアがコートドールに住むと言ったとき、父は汽車を間違えないようにしろと言ったし、母は家事の知恵をできる限り教えようとした。それらが自然と耳に残って、身について、ユーティアは一人でも汽車に乗って目的地を目指すことができたし、家に入れば自然と家事をこなそうとする。
 ベレットにはそういう、ある種の思い込みにも似た意識が何もなかった。まっさらだ。だから北の岬からコートドールまでだって、いつかは着くと疑わずに歩いたりする。
 ベレット自身は自らのそういうところを、常識の欠落と捉えている節があった。彼女は初め、マルタやリコットといった典型的な「家族」を持つ人々が苦手だった。ごく普通の家族の中にいる人ほど、彼女にとっては自分に備わっていない、常識を兼ね備えているように見えるらしかった。だが、避けることができていたのは、ほんのわずかな間だ。
 リコットはベレットの保つ距離を敏感に見抜いて、ほどほどに接していたが、マルタはあの性分である。ユーティアに魔女の友人ができたことを喜び、同時に当時、サボと別れたユーティアが立ち直るきっかけにベレットの存在があったことを力強く主張し、私の娘をこれからもよろしくねと言って、そういう物言いに不慣れなベレットを大層混乱させた。
 さらにマルタ曰く、娘の友達は娘。つまりベレットも、ユーティア同様、彼女の第二の娘に認定されたのである。第一の娘はもちろん、血の繋がった本当の娘だ。でも、第二の娘が彼女にはたくさんいる。
 初めは戸惑って、その戸惑いを隠すために愛想笑いをしていたベレットも、次第にマルタに気を許し、彼女を第二の母のように慕うようになっていった。一人にそうして心を開くと、後は早い。ベレットはそれから間もなく、リコットともいつの間にか打ち解けて、ソリエスでは三人がばったり行き会うことも珍しくなくなった。
 母から贈られてきた新しいグラスにレモネードを注ぎ、ユーティアは苺ジャムの瓶に手を当てた。テーブルの上に全部で五つ、並べられたジャムはどれも作りたてだ。仄かに残っていた熱が冷めて、蓋が閉められるようになっている。
 蓋をして、赤いギンガムチェックの生地で瓶の上を包み、ラベルを通した紙紐で結ぶ。すぐにでも棚に並べたい愛らしさだが、まだ出さない。ユーティアはオーブンに近づいて、香ばしい麦の匂いの中で深呼吸をした。じきに、パンが焼ける。そうしたら本日のおすすめ、焼きたてパンと朝摘み苺のジャムとして、外の看板に絵を描いて、店の真ん中のテーブルに並べるのだ。隣に美味しいハーブティーを、さりげなく並べることも忘れてはならない。
 テーブルの上を片づけて、クロスを真っ直ぐにかけ直す。そのときふと、視界の端で何かが動いた。
「いらっしゃいませ」
 それは、ドアの前に立った一人の女性の栗色の髪だった。入り口に育ったポプラの葉の間から落ちる木漏れ日で、ちらちらと眩しく光る。女性はユーティアが口を開いたのに気づくなり、ドアの向こうでびくりと体を強張らせた。
 どうしたのだろう。疑問に思いながらも、ドアを開く。
「こんにちは、いらっしゃいませ」
「あ……」
「何かお探しですか?」
 ユーティアが微笑みを浮かべて尋ねると、女性はブラウスの胸元を握りしめて、どこかおどおどと躊躇うように辺りを見回した。昼を目前にした周囲の道は人気がなく、プラタナスの枝だけが風にそよいでいる。


- 48 -


[*前] | [次#]
栞を挟む

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -