4 グラム・ハーツ
冬は時計の針さえも雪に積もられたようにゆっくりと過ぎ、コートドールに再びの春が訪れる。まだうっすらと雪の残る三月、ユーティアはコートドールに来て初めての誕生日を迎えた。十九だ。
春は裏庭の手入れがとても忙しい。レタスやセロリ、蕪の種を蒔いて、苺の苗をたくさん植える。ハーブ花壇にはパセリやアップルミント、ディルなどが新たに仲間入りした。ツルムラサキやサルビア、マリーゴールドはもう少し先だ。忘れないよう、花壇の区切りかたをメモに書いてじっくり考え、キッチンの小窓の傍に貼ってある。
秋に植えたフェンネルは、じきに摘み取れるようになるだろう。同じころ、苗で買ったカモミールも順調に背を伸ばしている。
蜜蜂がどこからともなくやってきて、ユーティアの横をすり抜け、ブラックベリーの木をくぐって花壇を目指した。収穫したラディッシュをかごに入れて、檸檬の木の足元に水を撒いてから、リビングへ戻る。
カランカラン、と店のドアの開かれた音がした。
「いらっしゃいませ」
初めて来た人だろうか。女性はまじまじと店内を見回し、シロップと果実酒とオイルの並んだ棚、天井、中央のお茶とジャムを並べたテーブル、反対側の薬と石鹸を並べた棚、床、と一通り確かめてから、ユーティアのほうに顔を向けた。このところ、以前よりも色々な人が足を運んでくれるようになっている。見覚えのない、黒髪をひっつめにした細身の女性である。
彼女はユーティアを見るなり、そのきつく上がっていた眉をわずかに下げた。
「あなたが、ここの店主の魔女さん?」
「はい」
「マルタから聞いてきたの。薬を扱っているって本当かしら」
女性はリコットと名乗り、駅前にある金物屋の妻だと言った。その金物屋なら、ユーティアも何度か調理器具を求めて足を踏み入れたことがある。あそこはいいわよ、と以前ユーティアに紹介したのも、やはりマルタだった。
「ありますよ。どんなものをお探しですか」
「子供が風邪を引いたのよ。熱がとんでもなく高かったから、一度は病院に行ったのだけど、治ったと思ったのに咳だけがまだ続いていて。もう一週間くらい」
「それは辛いですね。それなら、たぶん」
ユーティアはリコットの横から手を伸ばし、棚の端に置いてあった瓶を手にした。
「セージとアニスを使った咳の薬です。病院で処方されるものより咳止めの効果は低いですが、病気自体はもう落ち着いているなら、無理に止めず、軽くする程度にしてゆっくり休めば、あとは自然に治るかもしれません。味は調えてありますが、苦いようなら蜂蜜を入れても大丈夫です。夜は眠れていますか?」
「いえ、ちょっと浅いみたい。咳が続いて、イライラしてるのよ」
「それなら、眠る前にカモミールのお茶を飲んでいただくと、気持ちが落ち着きます。カモミールにも、喉の風邪を抑える効果がありますし」
「どれ?」
「こちらです。ドライなので、ポットでお湯に出して作ってください」
テーブルの上に置いた小さな袋の中からユーティアが一つを取り出すと、リコットは迷わずそれも一緒にと頷いた。奥のチェストの引き出しからコインの入った缶を取り出して、会計のやり取りをする。
「ラマンシャさんがいなくなってから、こっちへ来ることはすっかりなくなっていたんだけど、また魔女の店ができているって聞けて助かったわ」
「そう言っていただけると、私も励みになります」
「本当よ。病院って薬が高くて、なかなか利用できないじゃない? 大きな病気や怪我のときは仕方がないけれど、普段のちょっとした不調や傷くらいじゃ到底使えないもの。だからそういう、日常で使える薬を売ってくれる魔女って、私たちみたいな一般市民にはやっぱり必要だわ。……お隣のセリンデンなんかは大変よねえ」
ぼやくように言ったリコットに、ユーティアも同意を返した。
隣国であるセリンデン王国は、アルシエよりも医学や化学の発展に力を入れていて、そのぶん民間療法に対する関心は低い。最新の技術が次々と台頭して、古くからの薬草魔女の数は減少の一途をたどっていると聞く。
しかし、真新しいものというのは大概において、高価なのだ。上流層には手が届いても、どの国にでも最も多く暮らしているはずの普通の人々にとっては、負担の印象ばかりが大きく、生活を圧迫する。
薬草魔女の仕事はそうした、時代の変化にとらわれず、人々の生活に寄り添うものを作ることができる仕事だ。アルシエでは国全体が魔女を寛容に受け入れていることもあって、この仕事はやりやすい。成功なんてしなくても暮らしていければいいのだと思っていたが、ありがとう、と言われるとやりがいを感じている自分もいる。
もっと、魔女として多くの人の役に立ちたい。
ユーティアは一年を目前にして、このソリエスという店に、グリモアのため以上の目的を見出し始めていた。
「早く、良くなるといいですね」
「ええ。今夜から飲ませてみるわ」
リコットを出口まで見送り、ふわりと流れてきた風に顔を上げる。温かい食卓の匂いだ。時刻はちょうど、昼を回ろうとしていた。
ラディッシュをサラダにして、麦を入れたスープを作ろうとキッチンへ入る。そういえば、この鍋もリコットの店で手に入れたものだった。
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