23 農村の日々


 戦況は日々悪化の一途を辿っていったが、首都から遠く離れたサロワにその影響は薄かった。手足を失って帰った兵士の虚しい怒号も、飛行機の飛び交う音も聞こえない。時々、物流の滞りに戦争を感じることはあっても、元より静かな村だ。人も物も、さほど行き来のないのが当たり前であって、人々は薄い新聞で首都の現状を異国のことのように知るのみである。
「あら、おかえりなさい」
「ん」
 ギイ、とドアが開いて、入ってきた人影にユーティアは顔を綻ばせた。お疲れさま、と声をかけるとティムが頷き、レドモンドはひらひらと片手を振って、キッチンのほうへ向かった。
「お茶? 淹れましょうか」
「いや、いいよ。あんたも飲む?」
 立ち上がろうとしたが、手元で縫っていたシャツを置くのにもたついて、逆に気を遣わせてしまった。ポットを片手に、どこか機嫌のいいレドモンドを見やって、棚に並んだハーブティーを眺める。
 私は平気、と言おうとしたけれど、ちょうど疲れてきたところにその誘いは魅力的だ。
「いいの? じゃあ、お言葉に甘えて」
 答えると、彼は戸棚からカップを三つ出して、お湯を沸かし始める。はたと見れば、ティムは疲れたのか、上着を脱いでテーブルに突っ伏していた。束ねた黒髪の先に、乾いた土がついている。ハンカチを持ってそっと拭うと、気づいたように顔を上げて、ユーティアのハンカチをはたいた。
「お疲れね」
「畑の後に、薪を割りに行ってた。倉庫の奥から斧を引っ張り出して、ホセと」
「そうだったの、もう薪を用意する時期ですものね。兄さんも手が増えて助かっているでしょう」
「どうだかな。教える手間も増えてるだろ」
「屁理屈」
 指摘すると、テーブルに肘をついたまま彼は笑った。植物と土、それと水で荒れた手に、頬をのせて休む。
 ティムは農家の仕事が性に合っているようだと、ホセが言っていた。研究家気質なところもあると、リヨンは評する。少々短気で仕事を力任せに片づけようとする癖も、最初に比べて嘘のようになりを潜めた。農業は忍耐がいる。草木が一日では育たず、麦が一雨では実らないことを、彼は存外すんなりと受け止めて仕事に当たっているようだ。
 おかげでホセはティムを気に入って、息子か何かのように面倒を見ていた。看守をやっていた頃に比べると、最近のティムはよく喋る。ひねくれたものの言い方もするが、それも思春期の少年のような感じだ。以前のような威圧感ではなく、どこか純朴な雰囲気を纏うようになった。
「はいよ」
 カップを三つ、トレーにのせて運んできたレドモンドが、一つをユーティアの前に下ろす。礼を言って、水面から立ち昇ったほんのりと甘い湯気に、思わず胸が高鳴った。
「とってもいい香りね。ローズマリーかしら?」
「中心はそう。他にも色々混ぜて、最後に蜂蜜を入れてる」
「へえ……」
 レドモンドはテーブルの真ん中に、ピッチャーに入ったミルクを置いた。確かに、ミルクティーにしても味の引き立ちそうなお茶だ。一口目をそのまま飲んでから決めようと、温かいティーカップを口につける。
「……美味しい!」
 一瞬、驚きに間を空けてしまってから、ユーティアは目を輝かせて叫んだ。若い二人と目を合わせてから、なんだか年甲斐もない喜び方をしてしまったと気恥ずかしくなってくる。でも、本当に驚いたのだ。手の中で今も冷めていってしまうことが勿体ないような、そんなことを言わずゆっくりと味わいたいような、どちらの心境にも持っていかれる美味しいハーブティーである。
「すごいわ、後で作り方を教えてもらえない?」
「いいけど、分量はあまり正確に量ってないよ」
「またなの? まあ、それでも平気よ。大体が分かれば、少しずつ調整してみることはできるし……適当に作ってこんなふうに、美味しくできるのはすごいと思うけれど」
 大げさだ、と肩を竦めて、レドモンドは受け流してしまう。照れ隠しなのか本当にそう思っているのか分からないところが、彼の厄介なところだとユーティアは思った。
「本当に美味しいわよ。ミルクを入れると、また違った風味が出るわね」
 銀のスプーンで水面にこぼれたミルクを溶かし、念を押すように言う。ユーティアは長いこと、ハーブを扱う仕事をしてきた。薬草魔女として開業する前から、生活の中でハーブを初めとする薬効のある植物に親しんできたのだ。それなりに多くの経験と知識を持って、植物を使えると自覚している。
 でも、レドモンドの淹れるお茶は、ユーティアがこれまでに作ったことのない華やかな味わいで、人々の舌を楽しませる。


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