21 夜に追われて


 戦況は大きく変動することなく、ユーティアは四十八歳になり、秋を迎えた。プラタナスの色づく森を横目に廊下を抜けて、調合室からの帰路を歩く。牢に戻るとかすかに温もりを残しているスープが、硬くなったパンと並んで置かれていた。冷めないうちに食して、日記をつける。
 母との手紙のやり取りがなくなってからというもの、夜の時間はこれくらいしかすることがない。サボの召集をきっかけに途絶えたのはユーティアからの手紙だけでなく、母からの手紙も来なくなったのだ。ユーティアがしばらく送らないように、母へ頼んだのである。
 今まではサボが面会という形で直接、牢まで渡しにきてくれていた。けれど今後は、配達員から兵士が受け取り、ユーティアに届けてくれる形になると予想される。母からの手紙には時々戦争のことも書かれているので、監視といって目を通されて、過去の手紙まで掘り出されるのは避けたかった。
 レドモンドとティムはそれとなく、自分たちが手紙の受け渡しをしてもいいと申し出てくれたが、それは彼らを危険にさらしかねない、看守としては越権にあたる行為である。二人はあくまで城に雇われた身で、ユーティアとは互いに深入りしていることを悟られてはならない。たった一回の手紙でさえ、見つかる危険はゼロではなかったのだからそれで十分だ。ユーティアは彼らに恩を受けた。薄い、銀の蔦の葉が並んだ髪留めを手にするたび、いつかこの場所を出られたら彼らにどれほどの礼をしようかと考える。
 戦争はいずれ、終わる。そのときになれば自分も、元の生活に戻れるかもしれない。シャワーを浴びて髪を乾かし、石の塔へきたばかりの頃の日記を読み返しながら、ユーティアはベッドに足を投げ出して欠伸をした。今日は何だか城内がいつにも増して緊張していて、見張りの兵士も苛立ち気味だったせいで、わけもなく気を遣ってしまった。
 眠る前に少し、トランプでもして気分転換がしたい。ユーティアが廊下にかかった時計を見に立ち上がったとき、ちょうど石の扉が開いて、二人が雪崩れるように駆け込んできた。
「どうしたの、そんな息を切らして……」
 時計の針は、まだ八時を指すか指さないかといったところである。仕事に遅れたわけでもないのに、ユーティアは二人の思わぬ慌てように、鉄格子を開けようとしていた手を引っ込めてしまった。重い扉が軋みながら閉まるのを待たず、レドモンドがそれを引く。ティムが睨むようにユーティアを見据えて、がつがつと近づいてきた。
「あんた、前に戦地へ行ってる友達がいるって言ってなかったか? ほら、ノルの出身の」
「ベレットのこと?」
「そう、そいつだ。魔女なんだろ?」
 有無を言わさず鉄格子を開けられ、外へ出される。ええ、と答えながら、ユーティアは嫌な緊張に身を強張らせた。
 ベレットのことは、彼らとの話題にも何度となく出したことがある。トランプで負けてソリエスの思い出話をするときに、彼女の存在をなくしては語れない部分も多かったからだ。だが、そういう機会を除いて、彼らがベレットについて聞きたがることは特になかった。彼らの興味はソリエスの風景としての彼女にあって、彼女自身にはなかったと言っても過言ではない。
「ベレットに、何かあったの……?」
 それがこんなに唐突に、彼女の名前を出してくるとは何事だろう。
 ユーティアが震えそうな声で訊ねると、ティムは一瞬、説明を迷うような顔を見せた。それからぼそりと、いや、と首を振り、ジャケットの下から半分に折った紙を取り出して、ユーティアの前に差し出した。
「分からん」
「え?」
「借り物だから、破ったり濡らしたりするんじゃねえぞ。それだけ頭に入れて開けよ。……今日、国境のほうの戦地がかなりの被害を受けたそうだ」
 国境。そう聞いて、頭が真っ白になった。北部はひどい状態が続いていると聞いていたが、国境側はこのところ、セリンデンの勢いが幾分か弱まっていたはずではないのか。ユーティアは二度、三度と指を滑らせながら、うっすらとペンの跡が透ける紙を開いた。
 縦に四列、細かい文字で女性の名前ばかりが並んでいる。
「今日、死んだ魔女の名前だ」
 しばしの間が空いて、ユーティアは顔を上げた。ティムが苦々しい表情で、その視線を受け止める。ふいに、彼の顔が二重になって見えた気がした。背中が鉄格子にぶつかって、がしゃんと音が響く。
「死んだ……?」
「ああ」
「だって、これ……こんな数……」
 優に百は並んでいるだろうか――手にした紙の上には、すぐには数えきれないほどの名前が連ねられていた。
 それらがすべて、死んだ。
 胸の中心に巨大な穴を開けられたような衝撃が襲ってきて、ユーティアは片腕をレドモンドに支えられていることにも気づかず、愕然と首を横に振った。ティムは口を開かない。なぜ、どうしてという声にならない叫びが頭の中を駆け巡る。


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