1 旅立ちの子


「大きな町へ行くのは、なんだか意外だったわ」
「そうでしょうか」
「ええ。あなたはもっと静かで、自然に囲まれた暮らしが好きなんじゃないかと思っていたから。学校でも、九年間ずっと花壇の面倒をみてくれていたのはあなたくらいだったし」
 コートドールへは、メアリーも大学に進学した間の四年間移り住んでいただけで、以降は一度も足を運んでいなかった。メアリーも生まれはこの町である。サロワの空気に馴染んで育った彼女にとって、コートドールの華やかさは圧倒されることのほうが大きく、暮らし続けるには目に映る景色が色とりどりで重かった。
 ユーティアはそんなメアリーから見ても、物静かで大人しい少女である。まさかユーティアの口からコートドールへ行くなどという言葉が出てくるとは思わなくて、メアリーは夕日に染まる階段を下りながら、ぽつりと口を開いた少女を見た。
「どうしても、それが最良だと思いますから」
「それは、あなたのグリモアのために――ということ?」
 グリモア。その言葉が出された途端、ユーティアは無言になった。九年間、ユーティアが背負い続けた鞄は、今日も他の生徒たちより一回り厚く膨らんでいる。肌身離さず持ち歩く本が、人より一冊多いのだ。
 誰から与えられたものでもなく、生まれたときに、一緒に持ってきたという紫の本。ユーティアの成長と共にグリモアも成長して、今では立派な大きさのある書物になり、教科書五、六冊に匹敵する厚さを持っている。そのくせ、箱のように軽い。まるで「どこへでも連れて行きなさい」と言っているように、重さはないのだ。
 ユーティアはゆるやかに、睫毛の間で滲むオレンジの光を見つめながら、瞬きをした。
 この世界には、魔女と呼ばれる人々が存在する。魔女の誕生する割合は、女子の三百人から四百人に一人。昔よりも人数は減っているようだが、今でも生まれ続けていることに変わりはなく、アルシエ王国でも実に七千人近い魔女がいるとされている。
 彼女たちに共通していることは、皆「グリモア」という本を抱えて生まれてきた者たちということだ。どのようにして書物を持って生まれてくるのかは諸説あるが、赤子が手を固く握りしめて生まれてきた場合、その手にグリモアを握っているという説が最も有力である。
 マッチ箱ほどの小さな本で、子供の成長と共に大きくなって、十五で膝に抱えるくらいの立派な本になり、成長は止まる。本の色や形は様々だが、どの本でも鍵がかかっており、六歳までは開くことができない。
 六歳になって、ちょうど持ち主である子供が文字を習う頃になると、持ち主の手でのみ開くことができるようになるのである。グリモアは厚い本だ。だが、そのページはたった二枚、中心の二ページを除いてすべて固く糊付けされており、開けるのはそこだけ。
 そのページには、持ち主の少女へ託された使命が書かれている。
 一行のこともあれば、ずらりと細かく記されるような内容のこともある。時代の変革に携わるような大きな使命もあれば、それが使命と呼べるのかどうか怪しいほど、簡単で些細なものの場合もある。
 だが、内容の重さ、軽さに関わらず、グリモアはきちんと果たすと、必ずこの世界に良い変化をもたらす。
 例として有名なのは、アデリーという女性だ。彼女はアルシエ王国に今から二百年ほど前に生まれ、生涯をかけて、女子の学校教育の必要性を説いた。当時、アルシエではまだ、学校へ通うのは男子だけだった。今日のアルシエ王国でユーティアたちのような少女が学校に通っているのは、アデリーのグリモア「教育の男女平等化を果たす」が彼女の手によって達成されたからなのである。
 記録に残るものでは他にも、「三人の子供を授かる」、「二十歳の誕生日に噴水の前で巡り会う人の妻になる」、「毎日欠かさず月を見る」、「国を代表する女優になる」などがある。
 三人の子供を授かった魔女は、彼女の息子たちが歴史に名を残す芸術家になり、二十歳の誕生日にグリモアが示した相手と結婚した魔女は、その相手というのが、お忍びで外に出ていた国の王子であった。彼女はその後、自らも気づいていなかった先見の明を発揮し、小国の王となった彼を全面的に支え、国民から聖賢母と呼んで愛されたという。毎日月を見た魔女が遺した数十年に渡る記録のおかげで、天文学は最近になって飛躍的な進歩を遂げた。
 国を代表する女優になった魔女――ちなみに彼女はアルシエ王国の魔女である――ジュリアは、六十年前、その実力をもってセリンデンの映画に出演した。アルシエ王国とセリンデン王国が貿易を結んだのは、その映画の後のことだ。大国セリンデンに、アルシエの名を広めたこと。それが、アルシエで最も有名な魔女の果たした「使命」の、行き着いた先である。
 ゆえに、魔女にとってグリモアを達成することは何より優先されるべき人生の課題であり、また、周囲はその達成を妨げるようなことをしてはならない。
 というのが、現在のアルシエ王国における、魔女に対する認識である。グリモアを持つ女性たちが世界の出来事の様々な分岐点に立っていたことは、歴史を紐解けばすぐに分かることだが、実はその立場や周囲の目は国や地域によってかなり違っている。
 アルシエ王国でも、五百年ほど前の記録によれば、魔女を異端として忌み嫌っていた時代があった。生まれながらに、本来母親の胎内で作られるはずなどない、書物を持って生まれてくる。その生い立ち自体が、普通ではない、異常だと見なされた。
 実のところ、同じように魔女を異端扱いしてきた国は少なくない。冷たい目を向けられるだけに留まらず、時には命の危機にさらされることもあった。本を持って生まれた子供を産婆が殺してしまったり、グリモアを持つ者を探し出して、悪魔の使いだとして裁く命令が下されたり。


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