4 グラム・ハーツ


 ユーティアは心の中で、自分に言い聞かせるようにそう決意して、布の上から父の額に口づけた。透明な涙が一滴、汚れのない白の上に落ちて染みた。
 もう一度、会いたかった。ユーティアはその後悔を深く受け入れた。胸に広がる痣のような重苦しさは、幼い頃に将来をコートドールで暮らすと決めたときと同じ。避けられない別れに覚える、大切な人だからこそ生まれる苦しさだった。

 父の葬儀は翌日には執り行われ、サロワのわずかな親族と、父と交流のあった近所の農家の人々だけが集まった。皆、父の死を悼み、母を労り、ユーティアを気遣い、花を手向けた。
 葬儀の間中、降り続いていた細かな雨がやがて大粒の雨になり、ユーティアは一晩だけ実家の屋根の下で体を休めた。一年ぶりに入った自分の部屋は、何も変わっていなかった。空気はこもっておらず、机には埃も積もっていない。母が時々、窓を開けてくれていると聞いた。きっとユーティアに代わって、掃除もしてくれているのだろう。
 リビングにはユーティアの送った薬がまだ少し残っていた。風邪だと思っていたから五月の間も送り続けたが、民間療法などで治せる病ではなかった。
 無力に押し黙ってしまったユーティアの様子に気づいて、母が教えてくれた。病院でも、父が治療を受けてももう長くないことを悟った母は、ユーティアの送った鎮痛剤を飲ませてほしいと頼み、医者もそれを承諾してくれていたのだと。
 ――果報者だ、と言っていたわよ。
 倒れる前に父が遺したという少ない言葉を、母は形見のように教えてくれた。遠く離れてしまったのに、ただ少し体調を崩したというだけで、共に暮らしていた頃と変わらず気にかけてくれる。それがどんなに幸福なことか、いつかあの子が風邪を引いたら、私たちが教えてやらないとな。
 ユーティアはその日、初めて日記に自分の思いだけを書き綴った。他には何も書かないで、ただ父への思いだけを、真っ青なインクで綴った。

「それじゃ、体に気をつけて。着いたらまた連絡してちょうだいね」
 父を送った葬儀の翌日、ユーティアはサロワへ戻ってきたときと同じグレーのワンピースに身を包んで、コートドールへ帰ろうとしていた。見送りに出てきた母を敷地内までで構わないと止め、分かったと頷く。
 憔悴した母を一人、サロワへ残していくことに不安はあったが、現実問題としてユーティアはすぐにでもコートドールへ戻らなくてはならなかった。しばらく休むと看板をかけて飛び出してしまった店も、とっさのことで誰に世話を頼むこともできず放置してきてしまった裏庭も、ソリエスにはユーティアの戻りを待っているものがたくさんある。母も無花果園やこの家を置いて、ユーティアと共に出ていくわけにもいかない。悲しみを癒えるまで分かち合うことはできず、ユーティアは母と抱き合い、互いの背中を叩いた。
「無理しちゃだめよ、お母さんも」
「ええ」
「お店はもう忙しくない時期に入ったから、淋しいときは連絡してね。私もまた来るから」
 言葉がきちんと残るように、耳元で約束する。雨上がりの濡れた草が覆う足元は、ほのかに夏の気配を湛えて、緑の匂いを強くしていた。
 ユーティアは駅へ向かう道を歩き出してからも、汽車の発車時刻を気にせず、その顔を見たいと思うだけ何度も母を振り返った。母はそのたび、緑の中で小さくなっていきながら、ユーティアに向けて大きく手を振った。


- 18 -


[*前] | [次#]
栞を挟む

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -