27 使命


 家がサロワで雑貨屋を営んでいたが、両親を早くに亡くし、若くして店を継いだせいで結婚の期を逃し続けてきたという。あの村にしては晩婚だが、ティムより十歳近く年下だ。店を畳み、農場を共に継いでくれることになった。はにかみ屋だが芯のしっかりした、笑うと深い笑窪の可愛らしい奥さんである。
 かつて少年のような雰囲気さえ纏っていたティムは、ここ数年でずいぶんと落ち着いたように見える。毎年、冬にサロワへ帰って会うと、みな年々少しずつでも変わっていくものだと感じるが、同じだけ自分も変化しているのだろう。顔立ちも、そうでない部分でも、爪の一枚、髪の一本にだって時間は流れている。
 変わらないものなど、何一つ取ってもない。そう思いながらちらと顔を上げれば、ベレットが「何?」と瞬きをした。
「……あなたは、あんまり変わらないわね」
「え?」
「なんていうか、昔のままみたい。いえ、もちろん、すべてが変わらないってことはないんだけど……」
 言いながら、自分でああそうかと納得する。どうにも若いころの感覚が抜けないで、同じだけ仕事をしたり、髪型を変える気が起こらないでいる理由の一つに、ベレットがいるのだ。彼女は、確かに歳を取っている。けれどあまり変わらない。顔や中身ではなく、纏う雰囲気や声の調子、表情が、昔とほとんど一緒なのだ。
 おかげで出会った頃の面影を、今も重ねることができる。これだけ長く共に過ごすと、鏡よりも彼女の顔を見ている時間のほうが長い。いつしか自分に流れる時間は自分の顔かたちより、ベレットを見て計るようになってしまっていた。彼女が昔のようだから、つい、接する自分も昔のように、若い友達同士の気持ちになる。
 昔から綺麗だったもの、と、戦争の傷も幾分か薄れたベレットを見つめて、ユーティアは出会った日を思い出した。雨に濡れて服も汚れていたが、海のように蒼い目もそこにかかる黒髪も、綺麗な人だとつくづく思った。ぼろぼろの旅人だったくせに、彼女は惨めではなかった。
 強引だったからというだけではない。彼女の纏う、その凛とした気配に、心の奥深くで惹かれるものがあった。だから、家に上げたのだ。今ならそう分かる。
「ねえ、ベレット」
 彼女の顔を眺めているうち、無意識にふと、呼びかけていた。当然、ベレットは顔を上げる。
「あなたのグリモアって……、もう達成されたの?」
 はたと、自分が何を訊ねたのか気づいたのは、問いかけが声になって、ベレットがわずかに目を見開いてからだった。思わず口元に手を当てるが、頭の奥をふらりと過ぎった疑問はもう、出て行った後だ。
 ベレットと互いのグリモアについて触れたのは、これが二回目。出会いの日、彼女のほうから魔女だと名乗られて、互いに内容を明かす気がないことを察して以来、初めてだ。
 最初に黙秘の意思を確認してからというもの、ベレットは何も訊かなかったし、ユーティアも同じだった。今だって、内容を知りたいと思ったわけではない。これまでも、グリモアを気にしながら付き合ってきたわけではなかったのに、今さら何を訊いているのだろうか。
「……いいえ」
「ベレット?」
「私は、まだよ」
 気にしないで、と言うより一足早く、答えが返ってきた。答えてもらえるとは思っていなかったので、驚いて、一瞬それが返事だとは気付かなかったくらいだ。ギィ、と椅子を軋ませて脚を組み替え、ベレットは笑う。
「そういうあんたは?」
 弧を描く唇が、他愛無い、日常の会話のように聞き返す。ユーティアはわずかに躊躇った。けれど先に訊ねておいて、答えをはぐらかす言い訳は見つかりそうになかった。
「そうね。私は、多分――」
 迷いを残しながらも、口を開く。そのとき、キッチンで耳慣れない音がして、対称的に親しんだ香りがテーブルまで、わっと漂ってきた。
「スープが……っ」
 反射的に立ち上がる。スープを火にかけて、温め直しているのをすっかり忘れていた。鍋が盛大に吹きこぼれて、外側に落ちたスープが音を立てながら蒸発している。ユーティアは慌てて駆け寄ると、火を止めて、拭くものを探して右往左往した。
 一緒に立ったベレットが、手近な布巾を差し出してくれる。
「ばかねえ、そんなに慌ててもしょうがないでしょ」
「ああ、ありがとう」
「まったく、誰の家なんだか」
「仕方ないじゃない。こんなこと、滅多にないんだもの」
 からかうような口調のベレットに何だかんだと応じながら、たっぷりと注いだスープ皿を手に、食卓へ戻る。そうして二人、再び向き合ったときには、うやむやに過ぎてしまった会話のことはもう、掘り返す雰囲気でもなくなっていた。


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