X.メイドの生活


 毎朝、こうもりの断末魔のような得体の知れない音で目を覚ます。
 音の正体は、ルクが私に用意してくれた、魔界で売れ筋ナンバーワンの「誰でも絶対! 金縛りにあっていてもあら不思議! 体が勝手に動き出す画期的目覚まし」だ。ちなみにこれはキャッチコピーであって、正式名称は「爽快目覚まし」という。宣伝文句に嘘がある商品は地上でも度々あったが、商品名にここまで清々しく嘘が使われているのは見たことがない。逆にキャッチコピーのほうは、使用者として自信を持って真実だと言える。
 それほど大音量ではないのに、音の響きが壮絶すぎて、毎朝一瞬で飛び起きることができる。何日、何回聞いても、慣れがくる心配も恐らくない。
「マキさん、これもお願いします」
「あっ、はい」
 がたん、と大きな音がして、洗い上がった食器をいっぱいに積んだカゴが目の前に置かれた。ざあざあと水の流れる音が、絶え間なく聞こえてくる。布巾を持って一つ一つ水気を拭き取りながら、私は広い厨房の奥の洗い場で働くメイドの数を数えた。ひい、ふう、みい。この一列だけで、私と同じ拭き担当の人が十人は並んでいる。
(何度見ても、とんでもない量の洗い物だよね)
 魔界へやってきて、今日でちょうど二週間が経った。初めて見たときも驚きすぎて言葉にならなかったのだが、三百人の兵士と二百人のメイドを常駐させるこの城は、すべてにおいて想像していた以上に規模が大きい。たかが一食分の洗い物でも、五百人が摂った食事の片づけは、これまでの洗い物の概念が覆される力仕事だ。見つめ続けていると段々、皿が皿でないものに見え、かといって何かは上手く言えないという感覚に陥ってくる。これでも一人一人を見れば、使用する皿の数は節約されているほうだと思うのだけれど。
 とはいえ、夕食は食堂に出されるメニューの種類も他の二食より豊富で、一番忙しいのも事実ではあるようだが。十日間の研修を終えて、私の担当は午前の洗濯と午後の掃除、夕食後の洗い物と正式に決定した。勤務時間の終わりは夜の九時ごろと、メイドの中では最も遅くまで働くメンバーに入っているが、夕方に休憩を入れられるので体力的には辛くない。
 洗濯は三十人のメイドで、兵士寮やメイド寮から出される洗濯物や客室の寝具を一斉に洗って干す。夕方に取り込んで、それを畳む担当はまた別にいる。掃除は毎日、ローテーションで違う場所が割り当てられた。客室や廊下、中庭、寮から始まり、まだ行ったことはないが騎士団の訓練所やルクの執務室も毎日掃除をするという。
 昨日は〈裁きの間〉の掃除をして、最初に来たときのことを思い出した。別に、あのときは頭を擦りつけんばかりに接した絨毯の上を、これ見よがしに掃除機で走り回って、忘れかけていた恨みを晴らしたりはしていない。
 研修期間の私の仕事ぶりはシダさんから報告が上がっていたのか、配属を決めたのは私の希望ではなくルクの判断だ。動き回る仕事が多いので慌ただしくは感じているが、料理や裁縫といった苦手中の苦手に回されなかったことは感謝している。本当は、ポイントの稼ぎが一番良いのは料理だったのだが、私の腕では厨房の障害物、あるいは地雷になるだけだろう。洗濯や掃除、洗い物は気分的にもさっぱりする仕事で、城門の外へ出られない私にとっては、頻繁に中庭へ出られるのも結構嬉しかった。
 メイド服を着ることにも、初めの頃のような鮮やかな抵抗はなくなってきた。今はただの便利で機能的な仕事着という認識であり、そうして純粋に制服としてみれば、やはりワンピースにエプロンは可愛いものである。長いスカート丈に慣れるまでは、足元にまとわりつく感触が重苦しく感じたが、これのおかげで水仕事をしても足を濡らさずにいられるのだ。
 加えて私にとっては、城内で身を守る装備品でもある。研修の終わった今でも、洗濯の仕事で一緒になるシダさんが言っていた。メイドたちとはすぐ顔見知りになれると思うが、兵士たちとは接する機会が少ない分、顔を覚えてもらうまでに時間がかかる。休憩中や、夜に浴場へ向かうときなど、一人で行動するときほどメイド服を着ておいたほうがいい、と。言われてみれば確かに、メイドの知り合いは着実に増えていくが、互いに名前を知っている男の人はルクを抜いたらゼンさんくらいしかいない。
 もっとも、同じくらいにまだ、一人で行動することも少なくはあるのだが。シダさんの元を離れ、事実上の「ひとり立ち」をした今でも、私は彼女を始めとするあらゆるメイド仲間に助けられている。仕事で、というのももちろんのことながら、主に城が広すぎて迷子になる、という意味で。
 仕事場から自室へ戻る道はなんとか覚えられたのだが、如何せんそれ以外の場所がなかなか頭に入りきらない。一人では帰巣本能の塊か小動物のように、自室と仕事場を行き来することしかままならず、たまたまいつも使う道が掃除で封鎖でもされていようものなら途端に分からなくなってしまう。
 周囲が「そのうち覚えられますよ」、「最初は仕方ないですよ」と言って丁寧に教えてくれるので、なんとか生活できている状態だ。そうでもなければ今ごろ、私はとっくに遭難している。
 まさか、仮にも住んでいる場所の構造を覚えるのに、これほど手間取るとは。いくら広いといったって建物ひとつ、とタカをくくっていた。方向音痴なんてただのぶりっこじゃないのかと割り切っていた、数日前までの自分が聞いたら信じてくれなそうな話である。


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