W.ヨマヨイバト


 ――目を覚ますと、私はいつもと同じ、使い慣れたベッドに横になっていた。
 窓からはガラスを砕いたようにうっすらとして温かい、冬の朝の光が差し込んでいる。夜、足が冷えてしまうからと履いたつもりの靴下を、今日も片方だけ脱ぎ捨てていた。変わらない朝の、変わらない光景と、朝の光に少しずつ冴えてくる頭。
 ――なんて、都合のいいことが起こってくれるはずもなく。
「やっぱ、全部夢でしたー……ってわけにはいかないかぁ」
 はは、と生気の抜けた笑いを漏らして、ごろんと寝返りを打ってみる。途端、下になった肩を包み込む、柔らかいベッドの感触。綿のようにどこまでも沈み込んでいきそうなのに、中心はしっかりと体を支えていて、深いところに安定感がある。肩も腰も背中も、これほど軽いと感じた目覚めが今までにあっただろうか。睡眠がここまで体を休めてくれるものだとは知らなかった。
 クリーム色のシーツの上で、伸びをしてみる。手を伸ばせば届く位置に、同じクリーム色のカーテンがあり、おもむろにそれを引いた。
「……ですよね」
 一点の曇りもなく磨かれた窓の向こうに広がる、紫空。なんと語感が悪い。手前を見れば整った芝生の上で、黒い石とガラスでできた砂時計の中を、アメジストの砂がさらさらと零れている。ここはお城の中庭だ。
 枕もとの時計を見ると、八時を過ぎたところだった。昨晩、眠る前には目が覚めたら何もかも元通りになっていやしないかと期待もしたが、目覚めてしまった以上、いつまでこうしていても景色は変わらないだろう。ゆっくりと起き上がって、手櫛で髪を整える。上質なベッドは私の体重の移動に、うんともすんとも軋まず、ただふんわりと揺れた。
 バスルームへ向かって、広々とした洗面所で顔を洗い、カステラのような厚いタオルで水滴を拭う。昨日、私に宛がわれた部屋は、城の一階にずらりと並んでいる客室のうちの一部屋だった。案内されたときはあまりの豪勢さにもっと質素な部屋でいいと訴えたのだが、タリファさんいわく、これでも客室の中では一番狭い造りだという。
 お一人なので、あまり広いのも心細いかと思いまして。上階には、これより広い部屋も空いていますが、どちらがよろしいですか。
 淡々とした声で選択を迫られて、それならここがいいです、としか答えようがなかった。はっきり言って、この部屋も心細くなるには充分な広さだ。これより広い豪華な部屋になど放り込まれたら、私はきっと色々なカルチャーショックに気圧されて、ベッドの上で座り込んだきり動かなくなってしまう。
 タリファさんはそんな私の狼狽を見抜いたのか、くすりと笑って「室内のものは気兼ねなく使ってください」と言った。おかげさまで今、この未だかつて出会ったことのない柔軟性を持つタオルを、なんとか使ってよいものだと認識できている。なんというか、豪華すぎていちいち心臓に悪い。
(あ、クマが……)
 鏡を見ると、目の下がうっすらとくすんでしまっていた。時間はたっぷり眠ったつもりだったのだが、やはり緊張して眠りが浅かったのかもしれない。そういえば、深夜に一度、聞きなれない鳥の声で目を覚ました。ポポウ、ポポウ、となんだかおろおろしたように鳴く鳥で、ふくろうの声に似た響きがどこか不気味で、あまり聞かずに布団を被って眠ったのだが。
 髪の毛を梳かして、バスルームを出る。深いオリーブグリーンと黒の綺麗な絨毯の上に、備え付けの寝間着から覗く片方だけ靴下を履いた私の足は、何ともミスマッチでそこだけ現実感があった。
 裸足の足の裏で、ぺたぺたと絨毯を叩いてみる。夢でも幻でもないそれは解れることなく、私の足を受け止めて、しっかりと押し返した。
 ――これから、どうなるんだろう。
 一晩眠ったおかげで混乱していた頭が落ち着き、漠然と、自分が宙に浮かんでしまったような実感だけが残っている。テーブルの上にはバッグがあった。荷物はすべて返してもらえたが、携帯の電源は入らなかった。ゼンさんいわく、荷物のチェックで開いたときから、画面は何の反応も示さなかったという。電波が入らないどころか、ここでは携帯はなんの役にも立ってくれそうになかった。ほんの少し、アドレス帳の中の家族の名前を見返すことすら叶わない。
 それでも、試しにもう一度、バッグから取り出して開いてみた。特に変わったことは起こらなかった。秋に買ったファーのストラップが汚れてきていることに、ぼんやりと気づく。私の足元を見たときと同じような、現実感がそこにもあった。
 溜息をつきかけたとき、コンコン、とドアがノックされた。
「失礼します、マキさん。お目覚めでしょうか?」
 厚い木の向こうから聞こえてきた声に、慌てて自前のコートを羽織る。タリファさんの声だった。夕べは内鍵を必ずかけて寝るように言われて、きっちりと施錠してしまったのだ。外からでは開かない。
 合計三ヶ所にもなる鍵を、慣れない手つきでなんとか開ける。それからそうっとドアを押し開けると、タリファさんが「まあ」とわずかに目を丸くした。
「すみません。起こしましたか」
「あ、ううん。その、さっき起きたところで。こんな格好でごめんなさい」
「いいえ、失礼しました。マキさんが目覚めたら呼ぶようにと、ルク様から申しつかっておりまして」
 言われてようやく、そういえば昨日、「明日の朝、また話をする」と言われていたことを思い出し、私は慌てて寝間着姿の自分の体を見下ろした。


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