X.メイドの生活


「ごめんなさい。実はさっき、お皿割っちゃったの」
「皿? ……あ、では、血は」
「うん。ほら、指をちょっとだけ。自分でやっちゃっただけだから、平気」
 恐る恐る。真偽を探るような目をして、ルクは絆創膏と私の目を交互に見つめた。透かされるような嘘は、何も吐いていない。真っ直ぐに見つめ返していると、やがてその眸から貫くような鋭利さが消えていき、長い溜息と共に彼はがくりと身を屈めた。
「な、んだ……そうか、そうだったのか。それならいいんだ、うん」
「うっかりして、手が滑っちゃって。ごめんね」
「いや、食堂の皿だろう? あれなら別に、何十枚と割られなければ問題はないんだが……はあ、私の知らないところで何かあったわけではないんだな? それなら良かった」
 本当に、心の底から脱力したようにルクは苦笑した。早とちりで問い質したことが今になって気恥ずかしく思えてきたのか、所在なさげにふらりと動かした手で髪をかき上げて、明後日のほうを向く。仕事や私との会話でゼンさんに痛いところを突かれたときと同じ、何度か見覚えのあるルクの顔だった。
 下ろした右手を軽く握って、ねえ、と声をかける。
「心配かけてごめん。……あのさ」
「うん?」
 頭の中に、鮮やかな青が浮かんで消える。何の色だったろう、と思って、テティさんの眸の色だと思い出した。
 同時に、澱みかけていた言葉がすらすらと整列して、水流に乗ったように喉の奥から出て行こうとするのを感じた。それは頭ではなく、胸にあった言葉だった。しまっておけと合図する信号も、出て行くことを邪魔する思考もなくて、飾りもなければ削られる部分もなく、ぽろりと零れるように声になる。
「色々ありがとう、ね。私、貴方のお城で働くの、思ったほど嫌いじゃないかも」
 顔を上げると、いつも通りのルクが見たこともないほど驚いた顔をしていて、私は少々してやったりな気分になって笑った。体の芯がいつになく、蝋燭を一本灯されているように温かい。魔界へ来てからずっと抱えていた、ぽっかりと穴の開いたような寒さが、塞がるわけではないと思うのにどんどん気にならなくなっていく。
 単純だなあと、少し笑った。
「おやすみ、ルク。早く行かないと、タリファさんいなくなっちゃうよ」
 気にかけてもらえていたのだと、分かったことが嬉しいだなんて。
 口にするのはさすがに恥ずかしいが、自分の性格は自分が一番分かっている。誰とも繋がりのない、誰と会っても「はじめまして」ばかりが続く世界に放り出されて、私は心細かったのだ。そしてそれを認めてしまうことが、悔しいやら怖いやらで不満だった。
 本当は呆れるくらい、誰かに心配してほしくてたまらなかった。些細なことに反応してほしかった。家族のように気づいてほしかった。期待をすれば寂しくなるばかりだと、気づかないふりをしていたけれど。
 等間隔に灯された明かりの下を、寮へと歩く。慌ただしく厨房へ向かうルクの足音を背中に聞きながら、これからは日に一度くらいは、元気だと顔を見せるようにしよう。廊下で見かけたとき、もう少しきちんと、挨拶くらいはするようにしよう。そう思った。


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