W.ヨマヨイバト


「そのほうが、君にとってもポイントの貯まりやすい仕事を早く見つけられるかもしれないしな。自分に見合ったものを、いくつか探してみるといい」
「うん、分かった」
「仕事は担当のメイドたちから教えてもらうのがいいと思うが、初めはどこから回ったらいいか、色々と戸惑うことも多いだろう。――シダ」
「はい」
 シダ、と、ルクが呼んだのは、先ほどから彼の傍に控えていた一人のメイドだった。タリファさんよりやや若く、私と同年代に近く見える。はきはきとした高めの声と共に、彼女は私へ会釈をしてにこっと笑った。明るい翡翠色の眸が、くっきりと弧を描いた瞼に隠れて、また覗く。
「研修期間は、彼女を付き添わせる。君に城内のことを教えてもらうのと、万が一、連絡の行き届いていない者があった場合のための護衛だ。信用できる存在だから、安心して行動を共にしてくれ」
「シュレリア・デミ・ダラスと申します。シダと呼んでください。十日間、よろしくお願いしますね」
 肩で切り揃えた真っ直ぐな金の髪を揺らして、シダさんは右手を差し出した。お世話になります、よろしく、と握手を交わす。彼女の爪には、レースのような不思議な模様が入っていた。細かさからみて、わざわざ描いたものではないだろう。これも一つの、魔族の体に現れる特徴なのだろうか。
(タリファさんじゃ、ないんだ)
 メイドとして仕事を覚えるまで、誰かに面倒を見てもらうことになるとしたら、何となくタリファさんだろうかと思っていた。昨日今日と、食事を持ってきたり部屋から部屋へ案内してくれたりしたのは、すべてタリファさんだったからだ。
 ちらりと振り返った私の視線に気づいたのだろう、タリファさんの赤い目が瞬く。ルクが、ああと察したように口を挟んだ。
「タリファは、実はこの城のメイド長なんだ」
「えっ!?」
「昨日はまだ、君の存在を公にしていなかったのでな。食事にしても客室の用意にしても、最も自由に動ける彼女に任せた」
「そ、そうだったんだ……」
 予想外の肩書きに、本気で驚いてしまった。タリファさんは無言で、肯定するように一礼する。私よりは幾分か年上に見えるが、長とつく役職にしてはとても若いことも確実だ。落ち着いて堂々とした人だとは感じていたが、まさかそんな立場だとは思いもよらなかった。
「タリス=ファリンデン=ロアと申します。お気軽に、タリファと。私は城全体の仕事を管理しなくてはなりませんので、付きっきりでお教えすることはできませんが、困ったことがあれば何でも聞いてください」
 改めて思い返せば、廊下で擦れ違ったメイドたちやここへ来る途中で会った警備の人たちの、タリファさんに対する態度は確かにきっちりしたものだった。上司となったタリファさんに、よろしくお願いしますと挨拶をする。緊張しているときほどお辞儀が二回、三回になってしまうのは、私の中に流れる血が生粋の日本人だからだろうか。
 書類の山の下から何かを探し出して、ルクはあったあったとそれを手渡した。受け取って初めて、手の中で何だったのかを知る。茶色い、菱形の小さな鍵だ。
「これは?」
「君の部屋の鍵だ。今日から他の住み込みのメイドたちと同じ、西側の寮を使ってくれ。昨夜のうちに、タリファが一部屋用意してくれてある。一人部屋の一番端で、隣はシダだ。客室よりはどうしても狭くなるが……」
「いい、いい。むしろ、メイドになってからもあの部屋借りるとか、とんでもないし。それに、シダさんが隣なら、一緒に戻れば部屋まで行けるから」
 遮るように首を横に振って、視線をシダさんへ向ける。人当たりのいい笑顔を浮かべて、彼女は、「寮の部屋も、ベッドの寝心地は保証できますよ」と言った。
「仕事についてでも、地上へ帰ることについてでも、何かあれば遠慮なく相談するようにな。可能な協力は心がけるつもりだが、元の世界とは勝手が違う部分も多々あるだろう。シダを通してもいいし、私に直接言いにきてくれても構わない。必要なものなども、あれば言ってくれ」
 鍵をカードと同じ、しっかりとファスナーのついたワンピースのポケットにしまって、私はルクの申し出に顔を上げた。寮の部屋をまだ見ていないので、生活に不足しているものがあるかどうかはまだ分からない。
 だが、一つだけ、これはと思うものが確実にあった。
「じゃあ、あの……」
「なんだ?」
 こういう場合は本当に申し出てよいのか躊躇いつつ、控えめに口を開く。雑音のない室内で、私が次に放つ言葉は何なのかと、場にいる全員の耳がこちらに傾けられているのを嫌というほど感じながら。
「できるだけ大きな音がする、目覚まし時計……ない?」
 紫の眸が、拍子抜けしたように瞬きを繰り返した。
 ベッドの寝心地は保証できる、というシダさんの言葉を聞いたときに、これだけは必要になると確信したのだ。さすがに客室と同じ寝心地は期待していないが、万が一同等か、多少は低くても、間違いなく寝過ごす自信がある。
 元の世界では、いつも目覚ましを二個と携帯のアラームをセットしていた。私はお世辞どころか、冗談でも朝に強いとは言えないのだ。昨夜はいつになく早い時間に寝たからこうして目が覚めたものの、慣れない仕事など始めたら、今朝のようにはいかないだろう。
「分かった。夜までに探しておこう」
 くすりと笑って、ルクは真新しい紙にペンを滑らせた。相変わらず文字は読めないが、何を書かれたのかは大体分かる。せめて携帯が反応してくれるなり、自分で買いにいくことができるなりすれば、どこかの誰かに「目覚まし時計の用意」などという妙な仕事をさせて、私の寝坊ぶりが知れ渡ることもなかったかもしれないのに。自由が利かない世界というのは、想像以上に隠し事ができなくて辛い。
 私は恥を忍んで、ペンを置きかけたルクに「できれば二個」と注文を追加した。視界の隅で、シダさんが最初に口許を押さえた。


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