W.ヨマヨイバト


「ごめんなさい、急いで仕度するから!」
「慌てなくても結構ですよ。用意ができ次第、連れてきてくれとのことでしたので」
「王様がいうでき次第って、即刻用意してこい、って意味じゃないの?」
「あの方は、そういう言葉の裏表の使い分けができる方ではありません。では、身支度が整ったらお声をかけてください。外におりますので、ごゆっくりどうぞ」
 タリファさんは、さらりとそう言ってドアを閉めた。寝間着の裾を握り締めたまま、私はぽかんとして瞬きを繰り返す。
 ――王様のくせに、言葉の裏表が使い分けられないって。というか、それをメイドさんが認めて、平然と話すって。
 ゼンさんといいタリファさんといい、もしかしてあまり、ルクはこのお城の人に王様らしく扱われていないのではないか。使用人の立場で、普通はなかなか口にできないだろう。
 ただ、慕われていないわけではないように思う。ゼンさんなどは私がルクに頭を下げなかったとき、無礼だといって殺しにかかる勢いであったし、タリファさんも表情が少ないのに、さっきはかすかに笑っていたように見えた。
 考えれば考えるほど、「魔王」の価値観が分からなくなってくる。
「……あっ、いけない。着替えなくちゃ」
 頭の中に昨日聞いた魔王であるルクの情報と、同じく間近で会話した彼の印象や、彼を囲む人々の態度がぐるぐると絡み合いかけて、私は外にタリファさんを待たせていることを思い出し、考えるのをやめた。何はともあれ、今はまず、城主に呼ばれているのだから行かなくてはならない。
 コートをかけて寝間着を脱ぎ、壁際に立てかけた袋に手を伸ばす。片足だけの靴下を脱いでもう一方の片割れを探し、畳んで椅子の上に置いてある自分の服の間に滑り込ませた。
 そうして、私は人生初のメイド服に袖を通した。できるだけ無心で、何も考えず、事務的にワンピースを着てエプロンをつけ、最後に頭の上へカチューシャをのせた。

「とてもよくお似合いです」
 五分後、ドアを開けた私に、タリファさんは抑揚の少ない声音でそう言って、背中のボタンが留められていることを確認してくれた。メイド服が似合うというのは褒め言葉として単純に喜んでよいものか、私の感覚では微妙なところだが、如何せんタリファさんも同じものを着ているのでそれは言えない。曖昧に笑って、ありがとうございますと礼を言う。
「では、参りましょうか」
 シックな黒のメイド服の裾を翻して、タリファさんはすたすたと歩き出した。遅れないよう、その背中を足早に追いかけて少し経ったところで、あれ、と気づく。
「あの、タリファさん」
「何でしょうか」
「私、どこで話すの?」
 部屋を出てから歩いている方向が、昨日の〈裁きの間〉とは反対だ。
「ルク様の執務室です」
 あっさりと返ってきた答えが、やや予想よりも大きくて面食らった。
「タリファさ――」
 ちょうどそのとき、向かいから人の気配と話し声がし、廊下の角から見知らぬメイドが二人現れた。開きかけた口を咄嗟に噤み、身を硬くする。
「大丈夫ですよ。今朝、貴方のことはルク様から皆にお話がありましたので」
「え?」
「おはようございます。今日も一日、頑張りましょう」
 お喋りに夢中になりながら近づいてきたメイドたちは、タリファさんに声をかけられると驚いたように背筋を正し、それから笑顔で「はい」と言って挨拶をした。通り過ぎるとき、視線を向けられたのは感じたがそれきりで、二人はタリファさんの影に隠れるように身を縮こまらせていた私に関して、特に何も騒ぎ立てることはなかった。ただ、互いに遅い会釈をして通り過ぎていく。
 魔族には、自分が生者か死者かは見分けられない。
 人間の立場は低い。煮たり焼いたり裂かれたり。
 どうもそんなおどろおどろしい話が耳にこびりついているせいか、過度に緊張してしまった。ほっと大袈裟に息をついた私に、タリファさんが振り返る。
「それで?」
「え?」
「何か、私に聞かれるところだったのではありませんか。多分、執務室かルク様か、その辺りのことで」
 促されて、自分が質問の途中だったことを思い出し、そうと声を上げた。
「まさにその、両方のことなんだけど。私、昨日の今日で部外者みたいなものなのに、そんなところ行っていいの?」
 聞こうとしていたのはそのことだ。王様の執務室なんて、危うく侵入者の疑いで捕らえられそうになったばかりの、どこの誰とも定かでない人間である私が行っても構わないのだろうか。
 もちろん、ルクが呼んでいるのだから、そこへ来いというのは分かっている。ただ、お城というともっと、執務室などに入れるのは限られた立場の人だけではないかと思っていた。
「問題はありません。その服を着ている以上、内部の方としてルク様が認められた方、という意味です」
「そう、……そっか」
「はい。謁見の間もないわけではありませんが、仮にもメイドと主人が仕事の話を交わすのには、いささか大仰すぎますので」
 事も無げに、タリファさんは言う。彼女のきっぱりとした話し方は迷いがなくて、つられて私も、それならいいかと思えた。


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